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JR西日本

噴水小僧

噴水小僧

工部美術学校彫刻学科で学んだ菊地鋳太郎が制作した作品の一つで、2体1対の作品と言われています。1901(明治34)年に2代目大阪駅の車寄入口の両側に設置され、乗客の飲料・手洗い用として利用されました。その後、3代目大阪駅完成後は中央改札口前に1体設置され、1974(昭和49)年4月1日には中央コンコース北側の泉の広場開設に伴い移設されました。2004(平成16)年、4代目大阪駅の改修工事で大阪駅から撤去され、現在は京都鉄道博物館で保管されています。

(所在地)
京都市下京区観喜寺町 京都鉄道博物館
(指定)
1963年10月14日
車両航送発祥の地

車両航送発祥の地

1901(明治34)年に山陽鉄道が下関まで開通し、関門連絡航路により本州と九州が結ばれました。当時、荷物は艀(はしけ)に積み替えて対岸に運ばれましたが、より安全で効率的な方法として、貨車を船に積み込み、そのまま海上輸送する「貨車航送」(車両航送)が発案されました。1911(明治44)年に下関〜小森江(門司)間で日本初の貨車航送が行われ、1942(昭和17)年の関門トンネルの誕生まで続きました。現在は、下関駅前広場横の施設の壁面に「車両航送発祥の地」のレリーフが残されています。

(所在地)
下関市竹崎町(シーモール下関)
(指定)
1966年10月14日
関釜、関門航路、下関鉄道さん橋跡

関釜、関門航路、下関鉄道さん橋跡

下関鉄道さん橋は、関門航路(下関〜門司)と関釜航路(下関〜釜山)の開設に伴い、1914(大正3)年に築造された桟橋です。関釜航路は、最盛期には大型新造船が就航するまでの隆盛を誇りましたが、1945(昭和20)年に戦争の激化によりその機能を失いました。一方、関門航路も関門トンネルの誕生により1964(昭和39)年には幕を閉じました。現在ではさん橋跡は埋め立てられ、「海峡ゆめ広場」に設置された記念碑が当時の面影を伝えています。

(所在地)
下関市豊前田
(指定)
1969年10月14日
古文書(旅客事務通達類纂)

古文書(旅客事務通達類纂)

明治期の私設鉄道である山陽鉄道が定めた旅客事務に関する通達集です。山陽鉄道は1888(明治21)年に兵庫〜明石間で開業。1901(明治34)年に神戸から馬関(現、下関)までを全通させ、1906(明治39)年に鉄道国有法により国有化されました。当事物は、1905(明治38)年7月1日現行の通達を纏めたものであり、その内容は国鉄(官設鉄道)の規程等にも影響を与えたといわれています。

(所在地)
広島市東区上大須賀町 JR西日本中国統括本部
(指定)
1969年10月14日
稲荷駅ランプ小屋

稲荷駅ランプ小屋

ランプ小屋とは、駅舎や客車を照らすランプに使用する燃料や灯具を保管していた施設です。電灯が普及していない時代には駅の設備として欠かせないものでした。このような煉瓦造のランプ小屋はいくつか現存していますが、この稲荷駅ランプ小屋は建設年代が古く、鉄道黎明期の駅施設を知るうえで貴重な存在となっています。

(所在地)
京都市伏見区深草 稲荷駅構内
(指定)
1970年10月14日
D51形蒸気機関車488号機

D51形蒸気機関車488号機

D51形蒸気機関車は1936(昭和11)年から1945(昭和20)年にかけて1,115両が製造された、大型の貨物用蒸気機関車です。全国各地で活躍し、愛称の「デゴイチ」は蒸気機関車の代名詞になりました。この488号機は、1975(昭和50)年に運転された本州最後の「さよならSL列車・石州号」(米子〜益田間)をけん引しました。同年に廃車となり、米子駅前で保存された後、島根安来市の和鋼博物館に移設されました。

(所在地)
島根県安来市 和鋼博物館
(指定)
1975年12月
梅小路の蒸気機関車群と関連施設

梅小路の蒸気機関車群と関連施設

1914(大正3)年に京都駅と二条駅にあった機関庫が統合し、現在の地に梅小路機関庫が開設されました。その後、担当する線区も拡大しながら1930(昭和5)年には特急「燕」の新設に伴い名古屋〜神戸間も担当し、大規模な車両基地へと発展していきました。SL時代が終わった後は、梅小路蒸気機関車館や京都鉄道博物館の開設を経ながらSLの保存と動態の蒸気機関車を検査・修繕する現役の施設としての機能を保ち、現在も往時の姿を伝える重要な鉄道拠点として活用されています。

(所在地)
京都市下京区観喜寺町 京都鉄道博物館
(指定)
2006年10月14日
回転変流機

回転変流機

この回転変流機は、1934(昭和9)年に京阪神間で電車が運行されることになった際、新設された芦屋変電所に設置されました。発電所から送られてきた交流の電気を鉄道の直流電化区間で使用できるように、機械の動きによって交流から直流に変換する装置です。1967(昭和42)年まで使用され、関西圏での電車運転に大いに貢献しました。現存する回転変流機として大変貴重です。

(所在地)
京都市下京区観喜寺町 京都鉄道博物館
(指定)
1976年11月
モハ52形電車1号車

モハ52形電車1号車

鉄道省が京阪神地区の急行電車に使用することを目的に、1936(昭和11)年に製造した車両です。当時、世界的に車両の空気抵抗の減少を目的に流線形の車体デザインが流行した時期であり、モハ52形もこうしたスタイルが随所に取り入れられています。また、明るい印象の塗色も当時は斬新で、関西の急行電車として活躍しました。この電車はその後の「新快速」の礎を築いた車両とも言えます。

(所在地)
吹田市目俵町 吹田総合車両所
(指定)
1981年10月14日
キハ81形気動車3号車

キハ81形気動車3号車

キハ81形気動車は、日本初の特急用ディーゼルカーとして1960(昭和35)年に登場した車両です。本車両はボンネット型の先頭部分が特徴的で、独特の先頭形状から「ブルドッグ」などの愛称で親しまれました。ボンネット内には車内サービス電源用の発電機が搭載されています。当初は上野〜青森間の特急「はつかり」として活躍し、1972(昭和47)年からは紀勢本線の特急「くろしお」として活躍しました。

(所在地)
京都市下京区観喜寺町 京都鉄道博物館
(指定)
1986年10月14日
クハ86形電車1号車

クハ86形電車1号車

クハ86形電車は、80系電車の先頭車です。それまで電動車は運転台付きが原則でしたが、長大編成が前提の80系では先頭車は制御装置のみを搭載し、電動車は中間車という区分けが初めて行われました。この1号車は3枚窓ですが、これ以降は大形2枚窓に変更されています。このデザインは「湘南形」などと呼ばれて、わが国における鉄道車両の流行のスタイルとなりました。また、オレンジと緑の塗色は好評を博し、塗色の多様化のきっかけにもなりました。

(所在地)
京都市下京区観喜寺町 京都鉄道博物館
(指定)
1986年10月14日
モハ80形電車1号車

モハ80形電車1号車

モハ80形は、80系直流電車のモーター付き中間車で、初めて中間車にモーターが搭載されました。それまでの電車は振動・騒音が大きく長距離や高速運転に向かないとされていましたが、モーター出力の向上や台車の改良など、当時なかった新技術を採り入れることで、長距離・高速運転に対応し、最大16両編成が可能となりました。この80系の技術は、特急用の151系電車や0系新幹線電車の開発につながりました。

(所在地)
京都市下京区観喜寺町 京都鉄道博物館
(指定)
1986年10月14日
マイテ49形2号展望車

マイテ49形2号展望車

マイテ49形2号車は、スイテ37041号として1938(昭和13)年に製造された鋼製客車で、戦前は特急「富士」、戦後は特急「はと」や「つばめ」の展望車として列車の最後部に連結されました。大きな窓の車内にはソファーが置かれ、華やかな優等列車を象徴する車両です。1961(昭和36)年に廃車され、交通科学館で展示されていましたが、1987(昭和62)年に動態復元され活躍しました。2022(令和4)年に再び廃車となり、現在は京都鉄道博物館で展示・保存されています。

(所在地)
京都市下京区観喜寺町 京都鉄道博物館
(指定)
2024年10月14日
C62形蒸気機関車1号機

C62形蒸気機関車1号機

C62形蒸気機関車は、1948(昭和23)年から1949(昭和24)年にかけて49両が製造された旅客用蒸気機関車で、「シロクニ」の愛称で親しまれています。貨物用のD52形蒸気機関車のボイラーに、旅客用のC59形蒸気機関車の足回りを組み合わせて新製されました。その1号機となる本車両は、山陽本線で使用された後、東海道本線で特急「つばめ」「はと」の牽引機として活躍。東海道本線の電化後は、山陽本線で特急「かもめ」や急行列車に使用されました。

(所在地)
京都市下京区観喜寺町 京都鉄道博物館
(指定)
1976年3月

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