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輝く匠

安全・安心を支える技術(第48回)

広島新幹線 土木技術センター 村上 健二 副所長

1979年国鉄に入社し、在来線保線で経験を積んだ。1992年、土木業務に転向し、在来線・新幹線共に携わり、土木技術者としてのキャリアを磨いた。2017年、広島新幹線土木技術センターの副所長となり、現在に至る。
 

今回の主人公、広島新幹線土木技術センターで副所長を務める村上 健二。「何でもやってみることが大切、チャレンジしたからこそ気づけることがあります。チャレンジして失敗したっていいんです。それをフォローするのが私たち上司の仕事です」。そう笑顔で話す姿からは、懐の深さを感じさせられる。

任されることがモチベーションにつながる

1979年に国鉄へ入社し、13年にわたり在来線保線業務に従事。レールや枕木の交換から、村上の会社人生はスタートした。犬釘の頭につくハンマーの跡がコインサイズに収まるのが良いと言われていたが、初めは打つ場所がずれコインよりも大きな跡をつけてしまっていた。的確に、かつ格好良く作業を行う先輩の姿に憧れ、同期と切磋琢磨しながら、経験あるのみと何度も何度も釘を打った。レールや枕木の交換をマスターした後は、レールの検査、作業ダイヤ作成などを行う運転担当者と経験を積んだ。

転機となったのは1992年。岩国保線区(当時)に異動となり、土木担当となった時。土木担当としての初めての仕事は全長2mほどの橋りょうの上下動を抑える金具の製作と取り付け工事の発注だった。「事前調査を行い、測量した内容を図面に起こし発注契約するのですが、自分でスケジュールを組んで業務を進めていく必要がありました。裁量が大きい分責任は重いですが、任されているという喜びややりがいは大きかったです。当時の上司や先輩にも助けていただきながら完成させた金具の形や、その金具が取り付けられた橋りょうは今でもふと思い出すことがあります」。自身が若手のころに感じた“任される”という喜びが、今、村上が行う指導の基礎となっているのだろう。

怪我がないよう願いながら現場へ送り出す

長い土木人生の中で一番の山場だったと振り返るのは、1999年に発生した山陽新幹線トンネルにおけるコンクリート剥落事故だ。この事故を受け、10月よりトンネル安全総点検を実施することとなった。当時の村上は施設技術主任(現在の係長のような立場)を担っており、小郡(現在の新山口)地区で、誰が、いつ、どこを点検するかの計画策定や作業者の出発前の点呼などを担当した。「誤った計画を立てれば、進捗に滞りが出ますし、作業者を危険にさらす可能性もあります。朝早くから夜遅くまで、戦いのような日々でした。点呼の際は、作業者が怪我をすることのないように、無事に作業を終えて戻って来られるようにと願いながら送り出していました」。

「全区間の点検が終了し12月に安全宣言を発表、通常の列車運行に戻ったが、村上たちには点検で見つかった変状を補修していくという次の仕事が待ち受けていた。先人たちの知恵を借りながら、計画を立て、それぞれの変状に応じて部品を作り、補修を行っていった。

「この経験を通して、安全な新幹線をお客様に提供し続けなくてはいけないという思いを強くしました」。村上たちが行った点検の結果をもとにトンネル変状図が作成され、これが現在土木現場で活用されているトゥーマスTuMaSの原点となっている。

※トンネル保守管理業務の効率化と精緻化を図ることを目的に開発されたシステム(Tunnel Maintenance System)

鉄道は沿線の方々との共生で成り立っている

検査や工事に加えて、沿線にお住まいの方々との関わりも重要な仕事だ。「沿線の方々のお声を真摯に受け止め、できる限り早期に対応させていただくことが大切です。やる/やらない、できる/できないということを自分たちの基準だけで判断せず、その方が何を求めていらっしゃるのかを考え寄り添いながらお話をお聞きすること、電話で済ませるのではなく、できるだけお会いしてお話しすることを心がけています。顔を見ながらコミュニケーションをとることで、分かり合えたことが多々ありました。鉄道は沿線の方々との共生で成り立っていることを心に留めて日々業務に励んでいます」。どれだけ連絡手段が便利になろうと、時間がかかろうと、沿線の方々と真摯に直に向き合うことを大切にする村上の姿勢は着実に職場の若手にも伝わっている。

副所長となった今も日々勉強

現在、村上は副所長として研修や会議などの年間計画策定や、所員の教育・指導、諸々の問題解決など幅広く所内の調整役を担う。「朝の出勤時から仕事中も、一人ひとりの表情を気にするようにしています。不安な表情をしていると“仕事で行き詰まっているのかな?”“公私どちらで悩んでいるのかな?”などと考えながら、『何かあった?』と声をかけるようにしています」。沿線の方々だけでなく、社員とのコミュニケーションも欠かさない。

最後に今の若手社員を見て思うことを聞いた。「自分の若いころと比べると日常業務に自己研鑽にと、よく頑張っていると思います。見習うことがたくさんあります。今、副所長として若手社員を指導する立場となりましたが、自分の言葉で何かを伝えるには、自分自身がまず勉強することが必要です。副所長となった今も日々勉強です」。60歳を迎えた匠だが、謙虚さも向上心も忘れない。そんな大きく頼もしい背中から学ぶべきことは、まだまだありそうだ。

匠の影響を受けた言葉「土木は経験工学です。やってみなはれ。」

保線から土木に移った時に、当時の上司から「土木は経験工学です。どんどん経験して身に付けてください」と声をかけていただきました。その言葉をきっかけに「どんどん経験して早く一人前になろう」と心に決めました。モヤモヤと一人で頭の中で悩んでいても、なかなか前には進みません。それよりもどのような形であれ(周りの同僚や上司に聞く、過去のものを真似する…)、一歩を踏み出すことが大切だと思います。

人は、言葉だけの説明を聞いても半分も残らないものです。なぜやるか分からないけれどとりあえず進めてみる社員、何も考えずにやってみる社員、納得してから行動する社員、タイプはいろいろですが、やってみて分かることが多々あります。やってみて分かったことをいかに身体に覚えさせるかは個人のやり方次第です。

特に若い時は、突っ走って周りが「待て待て」と止めるくらいの勢いがあっても良いと思っています。叱られたって、喧嘩したって、後のフォローは上司がしますから。

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