- 1981年国鉄入社、岡山電力区岡山電力支区に配属となり、和気電力支区、倉敷電力区、備中鉄道部と岡山県内のさまざまな職場を経験。西日本電気システム株式会社へ出向中に、岡山駅の構内改良工事や宇野線 早島〜茶屋町駅間の複線化に従事し大人数でプロジェクトを成し遂げる経験も積んだ。現在39年目の大ベテランだ。
「これまでに出会った人や仕事があって今の自分がいます」。芳谷 治はこの6月に倉敷電気区 副区長になった。入社39年目で電力設備一筋のまさに匠だが、他系統の仕事にも気を配ることができる人材だ。「系統を問わず、どの仕事も大変です。自分のことだけを考えて行動するのではなく、皆がチームとなって取り組むことで成り立つのが鉄道だと思いますので、大きい枠組みの中での自分の役割を意識して、それを全うすることが大切だと思っています」。
芳谷は1981年に国鉄へ入社し、電灯電力設備の担当となった。電気科の高校を卒業したものの、仕事においては全て初めて触れるものばかり。分からないことは先輩や上司が丁寧に答えてくれた。「入社直後は何でも物事を軽く考えていた」と振り返る芳谷は、当時の上司から現場に連れていくのは危険と思われたのか、なかなか作業に同行させてもらえなかった。仕方なく事務所に残って仕事をしていると電灯などの修理依頼の電話がしょっちゅう鳴り、その対応をしているうちに設備に詳しくなっていった。
3年目に和気電力支区(当時)に異動となり、それまで触れたことのなかった電車線設備を担当した。ある日簡単な作業を指示された芳谷。初めての作業だったが、同期が簡単にこなす様子を見て「僕にもできますよ」と架線に上った。上空で悪戦苦闘するも、一向に作業は進まない。そうしているうちに足元にいる助役から「降りてこい」と声をかけられた。「同期ができるのに『無理です』とは言えませんでした。できなかったあまりの悔しさに、人から見られないように車庫の中で練習したことを覚えています。それからは見栄を張らずに分からないことは分からないとはっきり言う、自分なりに努力を重ねることを心がけるようになりました」。
入社から20年あまりが経ったころ、西日本電気システム株式会社に出向していた時の話。仲間と力を合わせてチームとして取り組む大切さを知った。
出向中に岡山駅改良工事、宇野線 早島〜茶屋町駅間の複線化工事に携わった。いずれの工事もそれまで経験したことのない規模で、人数も比較にならなかった。系統も異なる大人数で工事を進める中、電気部門の工事が遅れることがあり、進捗管理の会議の場で関係者に頭を下げることもあった。そんな時、芳谷は人と人のつながりに助けられた。「例えば駅改良で、仮の線路を敷設しようとした時に電柱が邪魔で施設系統の工事を進めることができない、ということがありました。こちらとしても早急に進めたいのですが、撤去に必要な機材の置き場がないなどの理由でなかなか進められず困っていた時、施設系統の方から置き場を融通してもらったり工程を変更してもらったりして助けてもらったことがありました。それからも助け合いながら工事を進め、無事に工事を完遂できました。仕事なので当たり前のことですが、チームとしてお互いを理解し、志を一つにすることで大きな力が生まれると感じました」。
芳谷は「チームとして働く尊さを強く感じた」と、昨年7月に発生した西日本豪雨を振り返った。「当初は、雨が強まるという予報を聞き、当夜の警備体制や雨が止んだ後の運転再開に向けた手続きの準備をしていました。内心、『そこまで大きな被害はないだろう』という思いでした」。一夜明けて様子を見ると、自分の考えの甘さを思い知らされた。「道路は至るところで冠水し、職場までの移動もままならない状況でした。ようやく伯備線にたどり着くと、濁流や流木に折られた電柱が目に入りました。
伯備線の電柱は雪に耐えられるよう通常の電柱よりも強度を上げているのですが、それがあんな姿になってしまい、衝撃的でした」。資材などの関係で復旧には2カ月以上を要すると見込まれたが、被害を聞きつけた他支社の仲間から連絡があり、材料を融通してくれることになった。工法の助言や人的支援など、本社、支社も総出で対応したことで、発生から3週間での復旧にこぎつけた。「支援の申し出を受けた時は本当にうれしかったです。皆さんの思いを胸に、あとは現場でやるのみ、という気持ちでした。暑い中、社員、グループ会社、協力会社の皆さんはよくやってくださいました」。開通を早めたのは結束力にほかならなかった。
来年は入社40年目を迎える芳谷は、「後進へ何かを残したい」と奮闘中だ。部下には事あるごとに質問を投げかけ、知識の習得を促す。中でも芳谷が強調するのは、物事の勘所をしっかり押さえるということ。「例えば高所作業をする際は、ハシゴを平坦な地面に置くなどいくつもルールがありますが、安全帯の使用は決して漏れてはならない項目です。訓練をする際もできるだけ現実に近い状況を作り出し、勘所を伝えています。どのルールが欠けてもいけませんが、中でも最重要となる箇所を認識してもらえるよう、これからも経験と知識を伝えていきます」。
人との出会いを財産としてきた芳谷。後進にとって芳谷との出会いは、とても大きな財産になるはずだ。
「中期経営計画2017」に掲げられていた言葉です。西日本電気システム株式会社に出向していた時、岡山駅改良工事、宇野線 早島〜茶屋町駅間の工事に携わりました。工事を進めるにあたってはまさに系統や会社を超えた大人数が力を合わせなければ順調に進まず、系統間、会社間での連携が重要であることを痛感しました。グループ、区所、支社と組織の大きさはさまざまですが、仕事はチームで行うことが、とても大切だと思います。