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輝く匠

安全・安心を支える技術(第2回)

経験に裏打ちされた技術を確実に継承するために(金沢支社 金沢電気区(現・金沢支社電気課) 吉村 一彦 助役)

金沢支社 金沢電気区(現・金沢支社電気課) 吉村 一彦 助役

匠プロフィール
昭和56年4月、日本国有鉄道に入社し、富山操車場に配属。
その後、電力部門に移り、七尾線の電化工事などさまざまな経験を積む。その経験を生かし、電力系統の工事および保全の総括管理とマネジメントを行うとともに、若手社員の指導育成に取り組んだ。
現在は金沢支社電気課で金沢支社エリアの工事に関するマネジメントを行っている。

北陸新幹線の開業に向けて沸き立つ金沢。金沢駅では着々と工事が進む一方で、これまでもずっと北陸本線を守り続けてきた社員たちがいる。今回紹介する「匠」は、これらの社員のうち、電力部門のエキスパートである金沢電気区の吉村である。

コミュニケーションギャップに苦しんだ若手時代

吉村のキャリアは電力とは無関係の富山操車場からはじまった。その後、国鉄分割民営化の中で電力畑の門を叩くことになるのだが、未知の分野でもあり苦闘の連続であった。

研修後、富山電気区に配属された吉村は20代前半で、最も近い年齢の社員が40代。世代間ギャップに苦しむ。先輩の背中を見て技術を修得していくことが求められた時代。一人前の技術者を目指し、日々苦闘する毎日でつらい日々もあったが、今ではその時の経験が血肉になっている。

転機となる七尾線電化工事

その後も黙々と技術力の向上に取り組んでいた吉村が、ターニングポイントを迎える。平成3年の七尾線電化工事だ。

当時非電化区間だった七尾線の一部区間(津幡駅〜和倉温泉駅)を電化するもので電力設備のすべてをゼロから築き上げるプロジェクトだった。集められたメンバーは吉村と同時期に電力部門に転身した社員が中心であり、仲間とともに自分たちで作り上げた設備の下で電車が運行されたときには何物にもかえがたい達成感があったという。

また、このプロジェクトで吉村はその後の電気系技術者としての人生を変える出会いがあった。「班長」との出会いだ。「班長」はプロジェクト内の各グループの責任者であり、当時50代のベテラン社員が中心であった。吉村は、「班長」たちが足場の悪いはしごの上で重い工具を軽々と扱う姿や、軽快に作業をやってのける姿に驚嘆した。彼らの周囲の環境変化や危険を察知する能力、視野の広さに技術系社員としてのあるべき姿を感じ、自然と憧れの対象となった。

指導する立場となって

吉村が在籍する金沢電気区は、若い技術者たちの技術・技能を強化する重要な拠点であり、入社5年以下の社員を集め、事故復旧訓練や新しい技術についての教育を行う「錬成道場」を実施している。また、机上での教育や訓練設備を使用しての訓練はもちろん、吉村自身の経験を踏まえ、工事の中で若い技術者たちに保守用車などの手配や線路閉鎖や停電の運転手続きなど「生きた経験」を積ませる工夫をしている。

また、金沢支社エリアは交流区間と直流区間が混在するエリアのため、2つの電気の特性の違いを理解することが必要だ。これは適切な作業計画を立てるためだけでなく、自身や仲間の命を守るためでもある。お客様の命を守り、安全な鉄道を築くためには、自身や仲間の命を守り、確実な作業が必要だ。そのため、吉村は知識の整理にも妥協を許さない。

現在は、金沢支社電気課で金沢支社エリアの工事に関するマネジメント業務に携わっているが、今後も吉村の飽くなきこだわりが、若手社員へと受け継がれていく。

  • 架線を交換する訓練を行い、作業の要領を直接指導する。
  • 工事のマネジメントに関するポイントについて、図面を用いて分かりやすく説明する。
  • 自らも作業に加わり、コミュニケーションを図りながら技術を直接伝えている。

未来の匠

吉田 哲也

私たちは安全に、安定的に電車が運行できるよう、日々、電力設備の保全、検査、修繕に携わっています。
入社した当時から吉村助役に指導していただき、特に「けがをしない、させない」ことは厳しく指導いただきま した。また、電力設備に影響するような輸送障害が発生する際の吉村助役のリーダーシップや、それを裏付ける技術力・知識は本当に手本となります。私も吉村助役のように、後輩の手本となれるような技術者になりたいと思います。

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