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- 広島電鉄株式会社 電車事業本部
駅前プロジェクト推進部課長 八木秀彰さん - 1994年に広島電鉄に入社。主に駅や電停、駅前広場などの施設計画や路面電車網の拡充など公共交通ネットワーク計画に携わる。1999年には人と環境に優しい街づくりを考える「エコシティフォーラム」を企画し、市民参加型のフォーラムを開催。これらの事業展開を経て、現在の駅前大橋ルートは実現の運びとなった。広島修道大学の非常勤講師も務め、交通まちづくりを通じて現代社会の課題を発見・解明・解決する方法について講義をしている。
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目次
50年以上も前から広島の公共交通の発展と街づくりを担う広島電鉄
広島電鉄は、1960年代後半から広島の公共交通問題に取り組まれていると聞きました。そこから今の「新しい広島駅ビルプロジェクト」に参画することになった経緯はどうだったのでしょう?
八木:皆さん、「札仙広福」というのを聞かれたことがあると思います。地方中枢都市である札幌市、仙台市、広島市、福岡市の4市をまとめて表した造語です。札幌市、仙台市、福岡市が地下鉄を計画する中で、当然、100万都市を目指していた広島市も地下鉄構想がありました。1960年代に入ると高度経済成長に伴い自動車が急速に普及し、郊外から市内中心部への著しい渋滞が顕在化し始めました。そこで1967年から1970年にかけて日本で初めての本格的なパーソントリップ調査が行われ、それに基づいて道路や鉄道を中心とした総合交通計画が策定されました。この中で提案された鉄道計画は、横川駅からは紙屋町を経由して広島駅まで地下鉄で整備し、横川駅と広島駅で国鉄に接続するもの。さらに西部方面へは紙屋町から広島電鉄の西広島駅まで延伸し宮島線に接続するというものでした。さらに後に平和大通りを経由する路線が追加されています。しかしこの計画には多くの課題があったようです。例えば国鉄と広島電鉄のレール幅が違う等多くの技術的課題です。また、1973年のオイルショックの到来とともに日本経済が急速に低迷し始めたころから地下鉄構想の盛り上がりが欠けてしまい、実現しませんでした。
そんな経緯があったんですね。ですがその後、また広島市内の公共交通網が話題になったのを覚えています。アストラムラインができたのもその一つでしたよね。
八木:広島って実は様々な交通計画や調査をしています。先ほど話に出したパーソントリップ調査は、「どのような人が」「どのような目的で」「どこからどこへ」「どのような交通手段で」移動したかなどを調べるもので、今では多くの都市で実施されていますが、その先駆けは広島市でした。地下鉄構想後は、建設費が地下鉄に比べ1/3程度ですむ新交通システムの計画が検討されるようになりました。一般道路では従来のバスと同様有人で運転し、専用軌道区間では無人で自動走行するデュアルモードバスや都市モノレール、軌道上のみを自動運転で走るシングルモードの中量輸送機関、現在のアストラムラインの原案です。そうした中、1984年に10年後広島でアジア競技大会の開催が決定すると、シングルモードの新交通システム導入の方向で調整が図られるようになりました。1985年に開催された中国地方交通審議会で「広島県における公共交通機関の維持整備に関する計画について」諮問がなされ、新交通システムを導入すべきとの意見が大勢を占めたことから新交通システム建設に向けて実質的に動き始めました。1987年には「広島市北西部から広島市中心部間の通勤通学交通を中心とした大量の旅客交通を処理するためには新交通システムを導入するのが望ましい」と答申され、広域公園前駅から本通り駅までアジア競技大会に焦点を合わせて事業が進められ1994年8月に新交通システム(アストラムライン)が開業しました。ちょうど私が広島電鉄に入社した年です。 この後から新規路線計画に携わっています。
広島駅前大橋を通るルートはいつごろから本格的に動き始めたのでしょうか。
八木:1987年には2回目のパーソントリップ調査が実施され、その結果を踏まえアストラムラインの始終点である本通りからは宇品地区へ、広域公園からはJR西広島駅まで延伸するとともに、西広島地区から市内中心部を経由して広島駅周辺地区まで地下鉄「東西線」を整備する案が検討されるようになりました。1992年には広島市が中心となって公共交通施設整備長期計画がまとめられました。この中で地下鉄「東西線」は西広島駅から平和大通り、中央通り、城南通りを経由して広島駅付近までの約7.3qのルート案が示されました。またアストラムラインは広域公園から西広島まで、本通りから広島港までの延伸が盛り込まれました。なお、地下鉄「東西線」はJRと広島電鉄の相互乗り入れが望ましいとされていました。その後、事業化の検討が進められましたが、JRと広島電鉄との相互乗り入れは技術的課題が多く莫大な投資が必要であることから、1990年代半ばには事実上断念され、東西線ルートをアストラムラインで高架式と地下式が検討され始めました。しかし、平和大通りを高架式で整備することは景観上課題が多く、地下式で整備するには採算性に課題があり、広島市はなかなか結論を見いだせずにいました。そこで当社は1997年に市内線(路面電車)を西観音町から平和大通りを経由して白神社交差点で宇品線に接続する平和大通り線を提案し、地下鉄東西線の議論に一石を投じました。そんな中で広島修道大学の日隈教授を中心に「エコシティフォーラム」を企画しました。当時は既に人口が減る将来が見えていたし、超高齢化社会の到来による医療関係費の増大が予測できた ので、巨大なインフラを整備するのは将来に対して負荷が大きすぎると感じていました。さらにCO2問題やヒートアイランド現象、温暖化が少しずつ言われはじめてきた時代でしたので、人や環境に優しいまちづくりの取り組みが必要であると考えていました。今よく聞くSDGsの先駆けですね。その後、継続的に広島市を中心に新たな公共交通体系づくりが 議論されたと記憶しています。2000年に「広島県における公共交通機関の維持整備に関する計画」について中国運輸局長の諮問に受けた中国地方交通審議会は、2002年に新交通システムの改善施策として「広域公園駅前から西広島まで延伸する必要がある」、一方、路面電車の改善策として「観音町から平和大通りを直進し、江波線に接続することや、広島駅から駅前大橋を直進し稲荷町交差点で本線に接続することについて検討する必要がある」などと答申されました。ここから本格的に路面電車の都心アクセス改善について検討が始まり、中でも駅前大橋ルートは実現に向けて動き始めました。
広島には広島のリズムがある。四季や街の様子を肌で感じられるのも路面電車の良さ
かつては地下鉄案を模索していましたが、路面電車が残り、新たな魅力になっていると感じます。その理由はどこにあるのでしょうか。
八木:首都圏や関西圏と違い、地方都市での地下鉄経営は難しい部分があります。地方には地方のリズムがあり、広島には広島のリズムがある。広島には川や木がたくさんあって自然が豊か。わざわざ地下鉄にして風景を見せないのはもったいない…という意見がありました。欧米各都市では路面電車をLRT(Light Rail Transit/低床式車両(LRV)の活用や軌道・電停の改良による乗降の容易性、定時性、速達性、快適性などの面で優れた特徴を有する軌道系交通システムのこと)として復活や新設が相次いでいます。これはクルマ優先の交通政策から「人の交通権」を補償し、LRTをトランジットモールと合わせて整備することで、安心・安全そして賑わいのあるまちづくりが実現できるからです。歩行者空間に公共交通機関を共存させる「トランジットモール」にすると、車が無い分スペースが生まれ、オープンカフェができたり、中にはメリーゴーラウンドがある地域もあります。そうするとそこに人が集まり、まちに活気があふれてきます。
たしかに自然や町の景色は電車が地下に入ってしまうと見られなくなりますね。
八木:川や海、木といった自然をしっかり見られるのが路面電車のいいところだと思います。また、路面電車に乗っていると、「あ!お祭りをやってる」とか、「新しいお店がオープンしている!」など、思い立ったらすぐに降りて向かって行ける良さもあるんですよ。よく「進むのが遅い、遅い」と言われますが、その「遅さ」が風景を見ること、文化を感じること、新しい物を発見することに繋がっていると思います。
広島の歴史を塗り替える一大プロジェクトに関わることができて幸せ
そんな路面電車の良さを生かしながら誕生する新規路線。決まったときはどのようなお気持ちでしたか。
八木:駅前大橋ルートと平和大通りルートの計画をずっと行ってきて、定年退職するまでもしかしたら一つも実現できないのでは…と思っていたらここ十数年で宮島口の駅の移設や広島駅ビルプロジェクトが始まり、驚いています。しかも新規路線事業に携わるのは初めてで、ある意味広島の歴史を塗り替える一大プロジェクトに関わることができて幸せですね。私達の思いを地図に残すことができるのもうれしいです。
線路を新設するエリアがあれば、廃線するエリアもあり、何度も説明会を行われたと聞きました。
八木:近隣住民の方を対象に、かなり何度も説明会を行いました。線路の新設で期待される方もいれば、当然、違う意見をお持ちの方もいらっしゃいました。廃線を予定していた区間では、「廃線しないでほしい」という要望が多く、それで段原一丁目と的場町部分を残して循環線を作ることになりました。駅前通りにはクスノキが植えられていた中央分離帯があったのですが、戦後の復興を一緒に担ったクスノキでもあり、地域の方の思い入れもあったため、残してほしいというご意見もありました。そこで、ただ伐採するのではなく、移植や廃材の再生に取り組むことにしました。また、現在、クスノキの苗木も作って育てているところです。
様々なご意見にも柔軟に対応し、地域の方々とも関係をつくられているんですね。何か秘訣はありますか。
八木:自分の意見を通すには、相手がどう考えているかをしっかり考える必要があります。まずはしっかりと話を聞いて思いを把握し、理解を得られるように努めています。また、使い手側の立場で計画を立てることも大切です。当社は「広島のワクワクを創造する」と謳っているのですが、本当にその通りで、その地域の方がどうしたら喜んでくださるか、そして積極的に参加してくださるかを考えます。自分たちの思いを通すだけでなく、その計画を実現することで地域が便利になるだけでなく、さらに幸福感まで感じてもらえる、そうなることを中心に考えています。
JRと路面電車で皆さんの人生を運び、世界と広島を繋げる拠点であり続けてほしい
路面電車が乗り入れる広島駅ビル2階のホームはどのような空間になりますか。
八木:今よりもスペースが広くなり、4系統の路線が入ります。乗降者数が多い路線の電停は幅7mと広くして、団体客や朝のラッシュにも対応できるようにしています。また、JRと広島市、広島電鉄でデザイン部会を設け、仕上げ材のタイル一つをとっても、広島駅の自由通路など全体と統一感を持たせるようにしています。軌道部分は、石畳風のデザインになります。また、通常は特にデザインをしていないのですが、路面電車の架線柱を今回はデザイナーさんにデザインしてもらった、見せる架線柱にしています。
広島の、瀬戸内の玄関口にもなりますが、他に何か取り組まれて仕掛けをつくられていますか。
八木:広島駅電停は、 路面電車から降りるとすぐに商業施設やJR、交通広場などどこへでもアクセスできます。周辺のベンチで休憩したり、商業施設で何かを買って食べたり、いろいろな人がここに集まり、出会う場にもなります。偶然の出会いの中から新しいイノベーションが生まれるといいですね。
広島駅ビルの中でJRと路面電車が共存しますが、全国的に見ても珍しいですよね。
八木:JRも路面電車も、ただ人を運ぶわけでなく、その人の思いを運んでいるというか、生活を支えていると思います。以前、線路管理の部署にいたことがあるのですが、線路の保守・整備は結構大変なんです。最終電車が出た後から始発電車が来るまでの間、休憩もそこそこに作業をします。そして何事もなかったかのように朝を迎え普段通りに電車が通りお客様をお運びします。電車には様々なお客様がお乗りになります。 例えば「病気の親のお見舞いに行く人」「初めてのデートでワクワクしている人」など、お客様の人生を運んでいる、そしてお客様の幸せを線路が繋いでいるんですよね。
路面電車のホームも入る広島駅ビル。どのような駅ビルになってほしいですか。
八木:広島から外に飛び立つ人にとっては、「これからどんなことがあるんだろう」といろいろな気持ちを胸に出ていく場所だと思います。駅ビルの大きな屋根は翼を広げた形にもなっていると聞きましたので、世界に羽ばたいていくイメージですね。また、観光で来られた方から見ると平和の祈りにも見えるデザインになっているようです。そんないろいろな方の思いが交差する駅ですし、広島の発展のためにも重要な駅なので、世界と広島を繋ぐ拠点であり続ける広島駅ビルになってほしいです。