Loading...

総合職採用

電気

山陽新幹線統括本部電気部 企画課長 森田 洋 1997年 入社

Career Step

  1. 1997年京都支社米原電気区
  2. 1999年西日本電気システム株式会社 出向
  3. 2001年鉄道本部技術部(地球環境)
  4. 2004年鉄道本部東京指令所
  5. 2007年鉄道本部電気部新幹線電気課
  6. 2008年大阪電気工事事務所大阪電力工事所 係長
  7. 2010年総合企画本部(整備新幹線) 主査
  8. 2013年近畿統括本部草津電気区 区長
  9. 2016年金沢支社金沢新幹線電気区 区長
  10. 2017年金沢支社金沢新幹線総合指令所 担当課長
  11. 2021年大阪電気工事事務所 総務企画課長
  12. 2022年新幹線鉄道事業本部新幹線電気部 育成戦略課長

『環境報告書』の取りまとめを担当。
自社と社会の関係を見つめ直し、広い視野を得る

鉄道本部技術部

1997年に京都で開かれた「COP3」において、「京都議定書」が採択されました。このこと等をきっかけに、CO2削減をはじめとして、環境問題に対する社会的意識が高まりました。当社でも1998年4月に「地球環境委員会」を立ち上げ、環境保全に関するさまざまな取り組みが加速。そして2001年6月、私は環境対策担当の部署に異動しました。主な役割は、地球環境委員会の発足以降に当社で行われてきた環境保全活動を、『環境報告書』(現在のCSRレポート)にまとめることでした。
各部門で行われていた取り組みを1冊の報告書にまとめるにあたって、担当部署に在籍した3年間で社内のほぼすべてのエリアに足を運び、取り組みの内容を聞かせてもらいました。そこでは、どのような部署でどのような人が、どんな思いで鉄道事業と環境問題に向き合っているかを知ることができました。それ以前の私は電気設備保守の経験しかありませんでしたが、このときの経験を通して、鉄道という事業の仕組みや社会との関わり、地域と地球環境に対する責任を認識することができ、その後の仕事につながる広い視野を得ることができました。社内外に人脈が広がったことも、現在につながる大きな財産です。

成長を支えたもの

多くの「人」に支えられて、今の私があると感じています。特に上司の方々は、その時々の私の仕事ぶりや私の希望、そして課題などをよく見て、それらにマッチする仕事を担当させてくださいました。若手をはじめ、社員に対して「成長する機会」を与えることが上手な人に恵まれたおかげで、広い人脈や新幹線に関する深い知識、経営的視点を持って社外の人と協議する力など、さまざまな財産を得ることができました。

新型「ドクターイエロー」の導入に従事。
困難を乗り越え「やり切る力」を養う

鉄道本部東京指令所

入社して8年が経った頃、「ドクターイエロー」として知られる電気軌道総合試験車を新型車両に置き換える業務に携わりました。ドクターイエローには、さまざまな計測機器が搭載されています。メーカーが工場で出した精度と同じ性能がドクターイエローに乗せた状態でも発揮できるかを確認したり、私たちが求める精度が出なかった際にその理由を分析し、修正方法を検討する役割などを担当しました。
新型車両の投入は時期が決まっていました。一方、検査項目は数多くあり、その内容も非常に緻密です。例えば、新幹線の走行区間全域において、5cmごとに電線の状態を測定したりするほどの膨大なデータの収集を行うのです。思ったような結果が出なかったときは車両基地に相談し、車両の点検整備に使用する線路を空けてもらってドクターイエローを持ち込み、翌日の試験までに大急ぎで調整したこともあります。困難な事象が次々に現れるなか、期日は迫ってきます。私を含めチームメンバーは、「やるしかない」と心を決め、目の前の問題に真正面から取り組みました。この経験を通して、困難から逃げることなく努力を重ねることの重要さを改めて認識しました。また、試験列車の運行ダイヤの確保やそれに伴う車両、乗務員の運用調整も知ることができたおかげで、新幹線というサービスがどのようにして生み出されているのかについても理解を深めることができました。

私の地域への取り組み

新幹線の安全・安定輸送が地域への貢献の1つだと考えています。ビジネスでも旅行でも、新幹線を利用される方の多くは、新幹線の運行時刻を軸にしながらその日の予定を立てておられます。それぐらい大きな責任を負っている新幹線に対して、除雪や設備の点検をはじめ、できる限りの手は打っておきたいという思いで日々の仕事に取り組んでいます。新幹線の車両基地は一般公開することもありますし、駅などは地域の子どもたちの職業体験の場として活用いただくこともあります。また、在来線の職場にいた時には、地域の学校で、踏切の安全をテーマにした出張授業を行ったこともあります。

北陸の期待を背負った新幹線。
設備投資を計画し、保守に携わる

2010~2013年
総合企画本部(整備新幹線)
2016~2021年
金沢支社 金沢新幹線電気区、金沢新幹線総合指令所

2010年から在籍した総合企画本部では、北陸新幹線の金沢開業に向けた設備計画の策定を行いました。私が担当したのは、車両基地や指令所、沿線に配置される保守拠点など、「何を、どこに、どのように」整備するかを考え、関係各所と協議しながら計画を固めていく役割です。北陸新幹線の開業に向けては、国や自治体、JR東日本など、数多くの機関との調整が必要です。論理的でわかりやすい説明を心掛けると同時に、お互いが利益を享受できるwin-winの関係になれることを心掛けて協議に取り組みました。
その後、いったん北陸新幹線の仕事からは離れることになりましたが、開業後の2016年に、今度は運用・保守の立場で携わることに。自分が計画した設備などを自分で保守するという、感慨深い経験をすることができました。
思い出深いのは、2018年2月の大雪の日です。在来線の運休や高速道路の不通が相次いだなか、北陸新幹線はほぼ時刻通りに運行させることができました。連日にわたって夜間の列車が走らない時間に沿線の除雪や設備の点検を行っていたことなど、事前の入念な準備が実を結んだのです。始発の東京行き「かがやき」が時刻通りに出発し、JR東日本にバトンを渡す上越妙高を通過したときのほっとした気持ちは今も忘れられません。