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プロフェッショナル職採用

施設

新幹線鉄道事業本部 小倉新幹線保線区 助役 河村 伸行 1999年 入社

Career Step

  1. 1999年神戸支社 神戸保線区
  2. 2002年広島支社 広島新幹線保線区
  3. 2003年広島支社 新岩国新幹線保線区
  4. 2006年広成建設(株) 出向
  5. 2008年新幹線管理本部 小郡新幹線保線区
  6. 2013年新幹線管理本部 新岩国新幹線保線区 係長
  7. 2015年新幹線管理本部 施設課
  8. 2017年新幹線管理本部 新岩国新幹線保線区 係長
  9. 2020年新幹線鉄道事業本部 小倉新幹線保線区 助役

新幹線の安全な運行を支える。
それを実感することで覚える
喜びと責任感

広島支社 広島新幹線保線区

入社した当初は、在来線の線区で自ら線路の検査を行い、保線に関する基礎的な知識・技術を身に付けました。入社4年目に広島支社に異動、在来線業務から新幹線業務に変わりました。新幹線の保線業務では、レールやバラスト、分岐器と、設備ごとに担当者が配置され、私は温度によるレールの伸縮を調整する働きを持つ「伸縮継目」と「レール」を担当。各設備担当は工事計画の立案をはじめ、工事を施工するグループ会社への発注、検査結果の取りまとめなどを任されます。その際に、新幹線の高速走行を支えている設備の担当として、検査漏れや不備、整備遅れなどを発生させてはならないといった責任感が芽生えました。当時はまだ経験も浅く、技術者としてまだまだ未熟でしたが、グループ会社の方には正確に工事計画を示さなければいけません。最初の頃は試行錯誤しながら工事計画作成に取り組み、時には作業に従事されている方々に教えてもらい、信頼できる上司に支えてもらうなかで少しずつ知識と技術を磨いていきました。
工事が完了すると、最後に現場に赴き計画通り施工されているか確認をします。整備された施設を目の当たりにするその瞬間に、自身が新幹線の安全な運行を支えていることを実感でき、その際に喜びとともに「この仕事を着実に続けていかなければならない」と改めて仕事の重みも感じました。

成長を支えたもの

現場の第一線で作業し、保線工事を担っているのはグループ会社のスタッフの方々です。皆さんとお話をする際に、「新幹線を安全に運行させるために、一緒に頑張ろう」といった声もよく耳にします。その言葉を聞いた時に、現場の第一線の方も同じ気持ちでいてくださっているんだ、ということを実感するとともに、そんな皆さんの気持ちに応えるためにも自分自身が今以上に研鑽し、知識や技術を高めないといけないと強く思います。実際に現場の皆さんと相談し、より良い整備方法などを考えたりもするわけですが、そういった工事に関わる周りの方々の熱い思いと、現場での実際の行動が、私の成長を後押ししてくれています。

「無理」と言われた難工事を取り仕切り、
無事に整備できた時の
達成感とやりがい

広成建設(株) 出向

入社7年目のこの年、保線業務を実行するグループ会社に出向し、現場で軌道工事管理者を務めました。当社の社員が直接現場で作業を実施する場面は少ないのですが、出向先では自ら作業する機会も多く、その体験を通じ、夜間の限られた時間で行う工事の大変さを改めて実感しました。また、年度初めに仕事が集中する一方、極端に作業が少ない時期があるなど、仕事を発注する側として仕事が安定的に依頼できるよう年間計画の標準化や、精度の高い作業指示を実施しなければならないことも痛感しました。現場監督として作業の仕上がりを確認する際には、列車を安全に通すことができるかの判断を求められ、技術者として高い知識や技能の必要性を感じ、今まで以上に技術習得への意識も高まりました。
この時期に取り組んだもので印象に残っている工事のひとつに、「岩国山脈」と呼ばれていた、レールが縦方向に波打ち、乗り心地が非常に悪かった箇所の整備があります。私が担当していた長波長軌道整備は、車両の振動によりレールの幅が広まったり、狭まったりしたその僅かなズレを調整し、正常な状態に戻すというもの。横方向の整備が基本となりますが、この時は縦方向のゆがみで、レール下に特殊な材料を詰める必要がありました。ただ、どういった材料を入れれば動揺が収まるのかは分からず、その材料の選定から整備計画、整備方法を私が中心となって検討・施工した結果、列車動揺の発生を止めることに成功。誰しもが「この工事は非常に難しい」と口を揃える個所だっただけに、それを成し遂げた達成感と喜びは大きかったです。

世界唯一の機械を用いて
保線業務に携わり、
新幹線の安全な運行を支える

新幹線管理本部 新岩国新幹線保線区 係長

新岩国新幹線保線区では2016年4月から、JR西日本がオーストリアのメーカーと共同で開発した「まくらぎ交換機」を現場に導入しています。世界に1台しかない機械で、バックホーと呼ばれる油圧ショベルを使った従来の方法では30本だった1日のまくらぎの交換数が、最大で200本まで交換可能になりました。ただ、導入当初は油が漏れる、思うように動かないといった不具合が続出し、時にはオーストリアから技師に来てもらい、一緒に調整を行うなど少しずつ精度を高めていく必要がありました。「まくらぎ交換機」は、まずは新岩国新幹線保線区で稼動させ、将来的には山陽新幹線の各新幹線保線区に順次運用される予定です。当区で稼働している間に「まくらぎ交換機」のあらゆる不具合を解消することが、以降の作業に生かされ、今の自分たちの仕事が全社的な貢献につながることも仕事のやりがいになっています。
現在は、部下が担当する保線工事の計画や検査結果をサポートし、総括するのが主な仕事です。部下を持つようになり、私自身の保線区のプロとしてのさらなる成長を心がけるとともに、「後進の育成」を意識するようになりました。彼らの成長が、保線区全体の成長につながることも日々の業務を通じて実感しています。

私の地域への取り組み

現在取り組んでいる まくらぎ交換の工事は、単に老朽化した まくらぎを新しいものに変えているだけではありません。 まくらぎを交換するとともに、地震対策としてレールとレールの間に「逸脱防止ガード」を設置しています。これは、走行中に大きな地震が発生し、レール上から車輪がはずれた場合でも車輪がガードに誘導され、線路から車両が大きく逸脱することを防止する設備です。この取り組みが新幹線の安全性を向上させるとともに、万が一 大地震が起こった際にも 、乗車されているお客様はもちろん、沿線近隣の方々にもご迷惑をおかけしないという意味において、地域の方々の安全な生活を担っていると自負しています。