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プロフェッショナル職採用

運転士

新幹線鉄道事業本部 広島新幹線運転所 國寄博志 2000年 入社

Career Step

  1. 2000年大阪支社 和泉府中駅
  2. 2001年岡山支社 せとうち地域鉄道部糸崎乗務員センター
  3. 2004年大阪支社 大阪電車区
  4. 2008年新幹線管理本部 広島新幹線運転所
  5. 2011年新幹線管理本部 博多総合車両所
  6. 2017年新幹線管理本部 広島新幹線車掌所
  7. 2018年新幹線鉄道事業本部 広島新幹線運転所

指導操縦者だった先輩の
大切な教えを胸に秘め、
在来線の運転士として一歩を踏み出す

岡山支社 せとうち地域鉄道部糸崎乗務員センター

高校時代、通学途中でドクターイエロー(新幹線電気軌道総合試験車)を見かけた際、「かっこいいな」と思ったことが、運転士をめざすきっかけとなりました。入社後、駅業務を経て、山陽本線で車掌を務めてから、入社4年目で同線の運転士となりました。
在来線の運転士見習いとして乗務を開始し、免許を取得して一人で乗務し始めるまでの半年間、指導操縦者という運転士の先生からマンツーマンで指導してもらいました。乗務中、分からないことはすぐに質問でき、小さなエラーを起こしそうになるとすかさず指導されました。厳しい指導操縦者でしたが、安全第一を徹底して教えてもらうとともに、乗車されているお客様に配慮した乗り心地の追求など、運転士に欠かせない知識と技能を丁寧に授けてもらいました。指導操縦者からの「初心忘るべからず」の教えは、私自身が新幹線の指導操縦者となった現在においても乗務を行う上での支えとなっています。
運転士は鉄道事業の中で花形の職種と思われがちですが、何よりも運転の基本動作を正確に行うことが求められる仕事です。そこには外見のかっこよさに惹かれるだけでは責任を全うできない厳しさがあります。また、何かトラブルが生じた際、常に冷静さを保つとともに、場合によっては長時間にわたって運転席に待機する必要があり、心身ともに強靭であることが求められます。こうした点を運転士見習いの時期に学び、運転士としての覚悟を身につけていきました。
運転士の免許を無事に取得し、晴れて初乗務の日を迎え、いざ運転席に乗り込むと今までに感じたことのない緊張感に包まれました。それは運転席の隣に頼りしていた指導操縦者がおらず、運転席には運転士の私しかいないことに改めて気づいたからです。
そして、初めて一人で列車を動かした瞬間、数多くのお客様を目的地まで安全にお届けするという、運転士としての本当の責任感が芽生えたように思います。あれから約15年が経ちましたが、初乗務で芽生えた思いは、私の中で今なお生き続けています。

成長を支えたもの

JR西日本に入社して約18年。さまざまな職場や職種を経験してきた中で、心がけてきたのは「明るく、楽しく、元気よく」の精神です。この言葉を知ったのは私が幼稚園児の時でしたが、現在も新幹線の運転士として職責を全うする上で大切にしています。出勤前、妻から「あなたは仕事がいつも楽しそうね」と言われると、この精神を体現できているようでとてもうれしいです。また、職場に向かうのが楽しみな理由の一つに、職場で大切な仲間に会えることが挙げられます。どのような仕事でも一人だけでできる仕事はありません。運転士の仕事にしても、数多くの仲間の支えがあって成り立っています。だからこそ、「明るく、楽しく、元気よく」の心構えが大切なのです。それにより、私の周りには自然と人が集まり、入社してからこれまでたくさんの仲間ができました。これは何にも代えがたい財産だと思っています。また、「明るく、楽しく、元気よく」はお客様に対しても欠かせない姿勢です。いつもいきいきと仕事をしている姿を見ていただくことで、お客様の安心感や信頼感につながると考えています。

上司や先輩の励ましをもらい、
新幹線運転士になることが
夢から目標へと変わった瞬間

新幹線管理本部 広島新幹線運転所

高校時代に夢見た新幹線の運転士。在来線の運転士として日々使命を果たし、経験と自信を得ながらも、「新幹線運転士になるのはどうせ無理だろう」と決めつけていた自分がいました。しかし、単なる夢から具体的な目標へと変えてくれたのは、私の周りの上司や先輩でした。
ある時、上司に冗談半分で「新幹線運転士になるのが夢」と話したところ、自分以上に真剣に考えてくれ、新幹線運転士としての知識を身につけるために必要な社内の研修を勧めてもらい、運転士になるまでの具体的なステップについて調べてくれたのです。
加えて、何よりも大きなきっかけとなったのは、新幹線運転士になった先輩の話を聞く機会を設けてくれたことです。運転士としての話の内容が魅力的であったのはもちろんのこと、話をする先輩の目が輝いていたことから、「私も新幹線運転士になりたい」と強く思ったのです。その日を境にして、新幹線運転士になることは夢から目標へと変わりました。
その後、仕事の合間に勉強に打ち込みました。それは決して簡単なことではありませんでしたが、社内の多くの仲間や家族から応援され、やり通すことができました。新幹線運転士の試験を受験して無事に合格した時、挑戦のきっかけをくれた先輩に真っ先に結果を伝えました。すると、まるで自分のことのように喜んでくれたのを今でもよく覚えています。私が新幹線運転士になることができたのは、後輩のために一生懸命になってくれた上司や先輩がいたことも大きな要因となっています。
常に高みをめざして挑戦していく。その思いは新幹線運転士になってからも変わっていません。
2011年には、試験列車の運転を専門に担う部署での業務に携わることを志願しました。JR西日本では、新幹線のさらなる安全性の向上や新しい技術の開発のために、さまざまな研究や試験を行っています。その一環として、車内に技術者が何十人も乗り込み、必要なデータを収集するためにさまざまな条件で列車を運転する走行試験を行っています。1回の走行で必要なデータを確実に取る必要があり、営業運転とは異なる難しさと緊張感がありました。しかし、無事に試験が成功した時の達成感と安堵感はこの上ないものであり、運転士としてまた一つ成長できたと感じました。

乗務員の実務能力を競い合う
競技会でチームワークの大切さを
改めて実感

新幹線鉄道事業本部 広島新幹線運転所

JR西日本では、新幹線の乗務員のレベルアップを図るために、定期的に訓練や研修、試験などさまざまな取り組みを行っています。その中で、乗務員の実務能力を競い合う競技会が年に一度開催されており、新幹線運転士になって10年目という節目の年に職場の代表として出場しました。
この競技会は、運転士や車掌、客室乗務員といった乗務員が大阪や博多、広島、金沢にある新幹線の乗務員区所から代表して参加し、運転や車内業務の品質を競うものです。今回の競技会において、運転操縦部門で最優秀賞を受賞でき、10年間にわたって新幹線運転士として経験を積んできた成果が出たことに大きなやりがいを感じました。
また、この大会に出場して改めて感じたのは、冷静な判断とチームワークの大切さです。この競技会では、運転士と車掌、客室乗務員で1つのチームを構成し、新幹線車両の中で次々と起こるトラブルを対処していくという審査項目もあります。新幹線で何かトラブルが発生した際、その列車に乗務中の乗務員でトラブルを対処するためには、乗務員の間で情報を共有することと、各乗務員の役割を決めてその役割を果たすことがとても重要です。各乗務員がバラバラに動くのではなく、しっかり状況を共有しながら、自分に任された役割を果たすとともに、それぞれの業務をサポートし合うことが不可欠です。状況によって、車掌がトラブルの対処にかかりきりにならざるを得ない場合、運転士が車内アナウンスを代わりに行うこともあります。競技に参加して、チームワークを発揮することでその場にいる人数以上の力が出せると実感できました。今後の乗務でも、競技での気づきをしっかり意識しながら、新幹線の安全運行にこれまで以上に努めていきたいと考えています。
競技会への参加に加えて、現在、指導操縦者として運転士見習いの指導に取り組んでいます。かつて先輩に育ててもらった感謝の気持ちを抱きつつ、これまで培ってきた知識と技術を新しい運転士にしっかり引き継いでいきながら、安全を最優先に考えて考動できる運転士を一人でも多く育てていきたいと考えています。

私の地域への取り組み

現在、私は新幹線の運転士で構成される「ファンづくり委員会」に所属しています。この委員会では、地域の方々が新幹線に対してより親しみを抱いていただけるように、年に数回、広島県内の幼稚園などを訪問する活動を行っています。委員会の際にはメンバーが知恵を出し合い、園児の皆さんに楽しんでいただけるように当日の催し物に工夫を凝らしています。幼稚園に訪問した際には、運転士の制服を着用して部屋に入ると、子どもたちの歓声が起き、私たちも気持ちが高まります。その後、運転士の仕事の紹介から始まって、クイズやゲームのコーナー、さらには私たちが自主制作した動画の放映などを通じて、新幹線に対する興味を高めていただきます。こうしたファンづくりの活動を通じて、未来の新幹線の運転士が一人でも多く誕生することを期待しています。