鳥取市河原町牛戸にある牛ノ戸焼の窯元。敷地内には粘土層が走り、今も粘り気のある陶土に適した土が取れる。写真手前の掘り返された跡は、その粘土層。

特集 日々の暮らしに宿る因州鳥取の民藝美 伝統工芸

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吉田璋也のプロデュース、因州鳥取の新作民藝運動

新作の窯出しの日に、牛ノ戸焼の登窯前で撮影された写真〔1931(昭和6)年〕。初窯出しに立ち会った柳は、吉田が4代目小林秀晴に指南した黒と緑の染分皿を絶賛した。後列左が柳宗悦で、右は吉田璋也。手前は、牛ノ戸焼4代目小林秀晴。(鳥取民藝美術館提供/個人蔵)

黒緑染分皿の染分作業。甕の中の釉薬に、皿を半分まで浸す。皿が浸かり過ぎても、浸かりが浅くても失敗となる。職人は慣れた手つきで一枚一枚、丁寧に手作業を繰り返す。

牛ノ戸窯の母屋の玄関に飾られている緑釉黒釉染分皿。侘びた茶系の釉薬だったものを、吉田の指導で緑色と黒色に変えた。その変更後、牛ノ戸焼は世間から脚光を浴びる。

 鳥取駅から千代川[せんだいがわ]に沿って上流へ遡って行くと、やがて曳田川[ひけたがわ]と合流する。そこから西に川筋を遡れば小さな集落に入る。高台にある平屋の軒先には、無数の薪が整然と並んでいる。鳥取市河原町に登り窯を構える牛ノ戸窯だ。牛ノ戸焼は江戸時代末期に島根の石見[いわみ]の陶工、初代となる小林梅五郎が職人を連れ、ここ牛戸[うしと]の土を求めて移住したことに始まる。当時は60名もの職人が汗を流し、器以外に瓦も手がけていたという。窯元から見える曳田川の水運で賀露[かろ]港(鳥取港)を経て、北前船で全国に流通させた窯場だった。

 時代は下り、昭和初期の牛ノ戸窯は下火であったが、吉田との出逢いを機に新作民藝運動の先駆けになる。窯主である4代目小林秀晴は吉田の助言を忠実に再現し、茶系の釉薬[ゆうやく]と緑釉薬で掛け分けていたものを緑と黒の染め分けに変更した。窯出しに立ち会った柳はそれを見て、「形極めて美しい。大小色々なのが焼ける。将来牛ノ戸のものとして名を長く残すであろう」と絶賛した。

登窯前の6代目小林孝男さんと7代目遼司さん。孝男さんは「日々の暮らしのために作陶しています。牛ノ戸焼を知ってもらい、使ってもらえること。それは、非常にありがたいことだと思っています」と語る。

牛ノ戸窯の研修生として日々、研鑽に努める小乾沙織さん。「母が牛ノ戸焼が好きで実家で使っていました。今度は私が作り手になり、牛ノ戸焼の伝統を護り、貢献したい」と小乾さん。

大因州製紙協業組合の和紙の商品を展示する部屋。文具から照明、壁紙などが展示されている。左の写真は、左から原料になる楮(こうぞ)、三俣(みつまた)、雁皮(がんぴ)。

楮の塵取りの様子。異物混入を防ぐために塵取りは現在も手作業で行われ、職人たちは入念に作業に努めている。

手漉きの因州和紙が使用された柳宗悦の『因幡の源左』。因幡青谷の信仰篤い念仏者の源左に関する著書で、柳はこの取材で因州和紙に出会った。

たくみ割烹店で提供される「すすぎ鍋」。吉田が大戦中に軍医として中国大陸にいた時、火鍋子(ホーコーズ)と呼ばれる中心に煙突のついた鍋で煮たスープに羊肉を浸して食べる料理を知る。吉田はそれを京都の和食料理店である十二段家に伝え、牛肉を使った水炊き(しゃぶしゃぶ)として完成させた。

 「牛ノ戸焼は芸術品ではなく、生活のための工芸品です。装飾も少なく大量に作ります。でも、土にこだわり全力で作陶している。だからこそ、愛着をもって使っていただきたい」と話すのは、6代目小林孝男さん。荒土を陶土にするまでには、手間と時間を要し完成までには膨大な時間を必要とする。だからこそ、それ以上の時間で使ってほしいという、職人の思いが込められている。

 鳥取の伝統工芸「因州和紙」も、新作民藝運動の工芸品だ。鳥取市最西部に位置する青谷町[あおやちょう]はかつて因州和紙が盛んに生産され、藩の御用紙として保護奨励された和紙の郷だ。その歴史は1000年以上を誇り、柳や吉田も足を運んでいる。紙漉き職人であった塩義郎[しおよしろう]は、自分で漉いた和紙で包んだ焼きとうもろこしを柳に手渡すと、「美しいね」と柳から意外な言葉で称賛される。当時の塩義郎には、紙が美しいという発想がなかったのだ。高度成長期に入り、手漉きから機械化に移行する。和紙をもっと身近なものにしたかったからだ。「機械でも同じように不二[ふじ]の美しさを感じれば良いのですから、機械で作れないことはない」。吉田はそう述べると、新作民藝の和紙として「機械抄き和紙」を自宅の壁や襖に用いたという。民藝にとって、「身近なもの」は不可欠だ。そのためには量が必要となり、それに伴いコストは下がる。特筆すべきは、そこに人の心を穿[うが]つ「美」があるかどうか。ただ量産すればいいのでなく、良質な紙を広めたい。その純粋な思いが重要で、吉田はその美に触れたからこそ新作民藝運動に取り入れたのであろう。

 「たくみ工芸店」に併設される「たくみ割烹店」では、吉田が中国大陸から持ち帰り、アレンジした「すすぎ鍋」が提供されている。いわゆる「しゃぶしゃぶ」で、肉野菜が盛られた皿や受け皿は「たくみ工芸店」で取り扱われる工芸品だ。実際に使ってみる場を提供する、これも、吉田による民藝思想を広げるための功績だ。

 ここ因州鳥取から出でて育まれた民藝品には、名もなき職人たちの純粋な気持ちが投影されている。その素朴な気持ちが、美しさとして形に現れている。

参考文献/『吉田璋也の世界』(鳥取民藝美術館)、『日本民藝館手帖』(監修:日本民藝館)、
『民藝の世紀』(藤田治彦著/淡交社)

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