

奈良県の中央部に位置する吉野町には、日本有数の桜の名所で、「修験道」の聖地とされる吉野山がある。
山中で修行を続ける修験者たちが癒やしを求めた秘湯は、吉野の隠し湯に。吉野山の桜と名湯を愛でに、今では各地から客が訪れる。
【アクセス】和歌山線「吉野口」駅からタクシーで約30分。近鉄電車吉野線「吉野」駅から徒歩約20分。
「上千本」と呼ばれる地点から見る吉野山。春の山を包みこむ吉野山の桜は「一目千本」と称えられるが、実際の桜の木は3万本以上といわれている。
修験道の開祖、役行者を開基とする金峯山寺。国宝 「金峯山寺蔵王堂」には秘仏本尊金剛蔵王大権現(重要文化財)が祀られる。
《国宝 仁王門大修理勧進 秘仏本尊特別ご開帳は、2026(令和8)年3月24日(火)〜5月6日(水)》
池を配し、周囲の森とも調和する吉野温泉元湯の日本庭園。
明治期の火災で古い記録は残っていないが、館内には、語り継がれる歴史をまとめた「吉野温泉由来記」が飾られている。
さまざまな文人墨客が訪れた宿。教え子との恋に悩み旅に出た島崎藤村も、1893(明治26)年3月から約40日間、この部屋に逗留した。七福神が描かれた襖絵は、当時から残るものと思われる。
吉野山は吉野熊野国立公園の一部にあたり、修験道の金峯山寺[きんぷせんじ]の門前町として開かれた山域の総称である。吉野山が桜の名所になったのは、この一帯が修験道の霊場だったことに関係する。約1300年前、修験道の開祖 役行者[えんのぎょうじゃ]は、一千日間の参籠修行の末に金剛蔵王大権現[こんごうざおうだいごんげん]の姿を感得、その姿を山桜に刻んで金峯山寺の本尊にした。それから神木として保護された桜を信者らが植え続け、現在のような絶景に至ったといわれる。吉野温泉元湯も、修験者たちに知られた場所だった。元湯とは温泉地の発祥となる湯のことで、吉野温泉の元湯は山間で自噴していた。300年ほど前にはすでに開湯されており、道後や有馬と並び称されたという。
修験道は、死と隣り合わせの厳しい山岳修行が何年も続く。山中は女人禁制だ。近くに湧くこの元湯は、修験者たちの間でも密かな癒やしの場となっていたが、「湯治」と偽り酒色にふける者が続出すると、御役所の命令下で湯宿は廃絶となった。しかしその後も、湯は畑の隅で湧き出ていた。秘密裏に野小屋が建てられ桶風呂を据え、誰でも自由に湯を楽しむ場所ができていった。とはいえまだ禁令下。その湯は誰ともなく「吉野の隠し湯」「内緒風呂」と呼んだ。現在の宿は、当主 小川貴史さんの先祖が1870(明治3)年に開いた。中千本[なかせんぼん]と呼ばれる標高約250mにあり、浴室や部屋からは春は桜、冬は椿など素朴な自然を愛でることができる。温泉の泉質は単純二酸化炭素冷鉱泉で、神経痛や冷え、リウマチなどに効果が期待できるという。鉄分で赤みを帯びた湯は、天候によって色や炭酸量が多少変わる。桜が盛りを迎える4月頃は、前年に訪れた客が予約して帰るためすでに満室。多くのリピーターを有する宿だが、日帰り入浴はいつでも堪能できる。石の湯船にゆっくり浸かれば、吉野の自然と一体になるような開放感に満たされるだろう。
「葛屋 中井春風堂」の店内。春には吉野山に咲き誇る桜を見ることができる。
注文を受けてから作られる「吉野本葛餅」。真っ白な葛粉が透明になっていく様子も見学できる。
葛自体は全国に自生し、掘り子と呼ばれる職人が手作業で根の収穫を行っている。各地の葛の根は吉野に集約され、古くから伝わる精製技術を用いて葛粉となる。葛根100%で作られた葛粉を「吉野本葛」、芋の澱粉が混ぜられたものは「吉野葛」という。
吉野名物の一つに「吉野葛」がある。自生する葛の根を精製し、「葛粉」に仕立てて食したのは奈良が最初。高純度の葛粉にするまで、冬場に何度も水に晒す作業は「吉野晒し」や「寒晒し」と呼ばれる。金峯山寺の門前にある「葛屋 中井春風堂」は吉野葛菓子の専門店。吉野葛の奥深さに魅了された当主の中井孝嘉さんは、代々営んできた飲食店を葛菓子専門店に切り替えた。中井さんが提供する「吉野本葛餅」「吉野本葛切り」は、葛根100%の吉野本葛と水だけで作られており、賞味期限は10分。それ以上経過すると劣化が進むという。自家製のきな粉や黒蜜、地元の醤油蔵で作ったポン酢で味わうと、葛本来の甘みや微かな苦味、独特の食感がより鮮明になる。中井さんが語る葛の話も、知的好奇心をくすぐる旅土産だ。


























