


曹洞宗では、食事の前に必ず「五観の偈」を唱える。禅院だけでなく、一般的にも食事訓として親しまれている。

大庫院の正面玄関に祀られる韋駄尊天像。韋駄尊天は足が速いことで知られるが、大庫院から離れた僧堂まで、温かいものは温かいままで、冷たいものは冷たいままで出せるように、雲水たちは韋駄尊天のように足早に食事を運ぶ。

2022(令和4)年に永平寺典座に就任した西村典座は、かつて雲水として永平寺典座寮で精進料理を学んだ。「厳しい修行の中で、雲水たちの身体の状態に応じて味を変えなければいけません。食材に対しても優劣をつけず、いただいた命をどのように生かすのか。これが大切です」と話す。
精進料理とは仏教の戒律に基づいて、肉や魚、卵などを用いずに植物性の食材だけで調理された料理をいう。仏道の中でも食を重んじた道元禅師は、料理と向き合う重要性を日本にもたらし、調理と食事作法を仏道修行であると位置づけた。曹洞宗では、典座は修行道場における六知事[ろくちじ](6人の指導役)の一人で、古来より真実の仏法を求める高徳の僧が選ばれた。宋における老典座との邂逅[かいこう]からも、その責任の重さがうかがえる。
その典座に対し、調理の心構えを記したのが『典座教訓』だ。そこには、野菜の皮をむくことも、皿洗いも全てが尊い修行なのだと記されている。なにより、典座には「三つの心」が大切なのだと説かれる。「喜心[きしん]」「老心[ろうしん]」「大心[だいしん]」だ。料理ができることを喜び、食べる人の身になって調理をする。そして、初心を忘れずに向上心を持って取り組むという料理に対する心構えだ。この三心を巡らせて、永平寺の精進料理は調えられる。

永平寺川沿いに立つ柏樹關。かつての永平寺典座から指導を受けた精進料理を提供している。

「典座老師から精進料理とは心を養う、身体を養う料理だと教わりました。食材を“捨てない”という考え方から、“なにを作ろうか、どの料理に使おうか”と発想が変わりました。すると、料理を考えることが楽しくなってきました」と大平さんは話す。

典座から学んだ「大根おろしまんじゅう」。大根の皮やおろしの水分なども捨てずに、出汁として利用される。精進料理では、雲水たちが喜ぶごちそうの一つに数えられる。


水気を切った大根おろしと白玉粉を混ぜ、それを一口大に整え、フライパンで焼き目をつける。野菜や昆布の出汁、みりん、砂糖、醤油を加え弱火で煮る。それに片栗粉をでとろみをつけたタレを加えて「大根おろし饅頭」が完成する。

永平寺御用商、團助の「生ごまどうふ」。香ばしい風味となめらかな舌ざわりが特徴で、良質な白ごまと葛を入念に練り上げている。

1888(明治21)年に、永平寺の門前で創業した團助。現在はごま豆腐を中心に展開している。
「食材の“命”。これをどう生かしきるかというのが重要です。食材の生命をいただいて繋ぐ“命”、そして調理する人間の“命”。この三つの命が一つになって、はじめて精進料理なのです」と話すのは、永平寺の西村眞典[しんてん]典座だ。「まごころ」がなければ、それは精進料理ではない。永平寺では日々、150人分の料理が大庫院の典座寮で調理されている。西村典座の指導のもと、僧堂に配される料理にはどれも作り手の細やかなまごころが随所に込められる。丁寧に調理された料理には、食する者にもそれに応じた作法が求められる。その心得を記したものが『赴粥飯法』だ。私語を慎み、音を立てない。器や箸は両手で扱うなど。そして、曹洞宗では、食事の前に必ず「五観[ごかん]の偈[げ]」と呼ばれる偈文[げもん]を唱える。食事に対する感謝とともに、食を支える他者への感謝など、料理を食べる者に反省を促し、その料理を食べるだけの徳行を積んでいるかを問いかける。
清らかに流れる永平寺川沿いに、一般者向けに精進料理を提供する「柏樹關[はくじゅかん]」が佇む。永平寺の前典座老師より薫陶を受けた料理長の大平英幸[おおひらひでゆき]さんは、「8品目の料理を教わりました。それ以上に、食材に対する考え方、料理の心得についてご指導いただきました」と話す。8品目の一つである「大根おろしまんじゅう」は、大根の皮も捨てずに、出汁として用いられる。食材に無駄はなく、命をいただくことに感謝する。火加減や調味料の調整にも心をくばり、精魂込めて丁寧に調理する。その料理に注ぐ気持ちこそが、精進料理の真髄なのだという。
永平寺に至る沿道には、ごま豆腐を作る老舗の「團助[だんすけ]」がある。かつては門前で豆腐店を営み、先代が永平寺の雲水からごま豆腐の作り方を習得した。今でも、永平寺のごま豆腐の材料となる葛[くず]とごまを納めている。栄養価が高く、精進料理には欠かせない一品だ。
山門を後に、樹齢750年以上の五代杉[ごだいすぎ]の脇を抜けて下山する。この山門をくぐって雲水となり、雲水が再び山門をくぐるのは永平寺の厳しい修行を終えた時だ。その日まで、今日も雲水たちは修行に打ち込み、典座の精進料理で心と体を健全に養うのだろう。
参考文献/『永平寺の精進料理 大本山永平寺・監修』(学研研究社)、
『道元禅師の『典座教訓』を読む』(秋月龍 著/筑摩書房)、
『典座教訓・赴粥飯法』(道元著、中村璋八・石川力山・中村信幸訳/講談社)