その名の通り、山の中の渓谷沿いに広がる山中温泉。
「総湯[そうゆ]」と呼ばれる地元の人も観光客も集う共同浴場を中心にした温泉街は、山中漆器や九谷焼、民謡「山中節」などの発祥の地であり、今もさまざまな伝統文化が大切に受け継がれている。
鶴仙渓に架かる総ひのき造りの「こおろぎ橋」は、山中温泉を代表する名勝。その名の由来は諸説あり、かつての道の険しさから「行路危(こうろぎ)」と称されたことからともいわれている。
【北陸新幹線「加賀温泉駅」からバスで約30分】
石川県加賀市の中心地に誕生した北陸新幹線の新駅「加賀温泉駅」。紅殻格子や白壁などを取り入れて、温泉郷の温かみが感じられるデザインとなっている。
鶴仙渓の名前は、明治時代の書家である日下部鳴鶴(くさかべめいかく)が渓谷を好んだことに由来している。川沿いには遊歩道が整備されている。
「この川の黒谷橋は絶景の地なり」と絶賛した松尾芭蕉。鶴仙渓遊歩道の黒谷橋の袂にある芭蕉堂は、芭蕉を慕う全国の俳人たちによって1910(明治43)年に建てられた。
初めて湯ざや(共同湯)が造られた場所に今も立つ総湯「菊の湯」。全国的にも珍しい男女別棟の総湯で、写真は民謡山中節を鑑賞できる「山中座」と併設した女湯。男湯は通りを挟んで向かい側にある。
石川県の南部、加賀市にある3つの温泉地からなる加賀温泉郷。その一つである山中温泉は今から約1300年前、奈良時代の高僧、行基[ぎょうき]が発見したと伝わる。時を経て、俳人 松尾芭蕉も山中温泉に逗留。江戸深川から奥羽[おうう]、北陸、美濃を巡ったその紀行を『おくのほそ道』に記し、山中温泉では「山中や 菊はたをらぬ 湯の匂[におい]」の一句を残した。「山中の温泉に入ると、長寿の薬といわれる菊を折るにも及ばないほど。湯の匂いだけでも命が延びたように思われる」と詠った。芭蕉は実はあまり温泉が好きではなかったというが、山中温泉には8泊9日も滞在し、有馬温泉や草津温泉とともに「扶桑[ふそう]三の名湯」(日本の三名湯)と讃えた。
源泉は、芭蕉の句から命名された総湯[そうゆ](共同浴場)「菊の湯」の地下にあり、そこから16ある各旅館に配湯されている。泉質はカルシウム・ナトリウム一硫酸塩泉で、無色透明のさらりとした湯。泉温は48.3度。美肌効果が期待されるほか、神経痛や関節痛、痔病、冷え性、動脈硬化症に効能があるといわれ、飲めば胆石や便秘、糖尿病、痛風に良いとか。
湯だけでなく、山中温泉の自然の豊かさも芭蕉は気に入ったようだ。小さな温泉街の三方は山に囲まれ、町に沿って流れる大聖寺川[だいしょうじがわ]の渓谷、鶴仙渓[かくせんけい]の美しさは北陸随一といわれている。渓谷の遊歩道は、周囲の山々もさることながら、苔に覆われた斜面や丁寧に敷かれた石の階段が美しく、歩くほどに清々しい気持ちにさせてくれる。
また、山中温泉とゆかりのある伝統文化も多彩だ。山中温泉で作られている漆器「山中塗」、伸びやかな曲調で愛好家も多い民謡「山中節」、「九谷焼」も山中温泉の奥地にある九谷村が発祥だ。温泉街には、これらを体験できる施設が点在している。
1905(明治38)年創業の御菓子調進所 山海堂。上質な葛に包まれた水まんじゅう「花こおり」や上生菓子、もなかが人気。
山海堂5代目の黒田麻実さん。「そっとひらくとーは、女性の感性を活かしやすいものをと、父が考案したお菓子。父曰く、温泉に入っているとアイデアが湧くそうです(笑)」と語る。
「福涌(ふくわく)」は、山中漆器とコラボレーションした商品。
「そっとひらくとー」シリーズの「あきゆらら」。人気に応え、ひな祭り、母の日や七夕など、季節限定のバリエーションが増えている。
ここ山中温泉で、話題の和菓子が老舗和菓子屋「御菓子調進所[ちょうしんどころ] 山海堂[さんかいどう]」の人気シリーズ「そっとひらくとー」だ。もなかの皮を開くと、小さくて可愛らしい季節の干菓子[ひがし]と、占いのお札が入っていて、四季折々の干菓子は一つひとつ手作りされている。「あきゆらら」と題した秋のシリーズは、松葉や照葉[てりは]、桔梗、栗などに模した干菓子と金平糖を詰め合わせたもので、きな粉や寒天などさまざまな原料を使い、見た目だけでなく食感にもそれぞれ個性を出す。占いのお札は、加賀地方のお正月に「辻占[つじうらない]」の入ったお菓子を食べる習慣から。山海堂の 占は、幸せを予感させる言葉に出会える仕掛けとなっている。旅の思い出に、またお土産としても、微笑みがこぼれる一品だ。