係長以上が集まって行われる毎朝のミーティング。昨日の乗務報告とともに課題などを出し合い、活発に意見交換する。
車掌は運転士とともに、安全・快適にお客様を目的地までお送りするという職務にあたる。大阪新幹線車掌所に所属する約160名の車掌を束ねる仲辻は、輸送サービスの最前線で重責を担う車掌の日々に寄り添い、新幹線の安全走行をともに支える。
進行している業務の進捗状況は担当者から随時報告を受け、必要な場合には親身なアドバイスでサポートする。
1995(平成7)年4月、仲辻は当時JR西日本の旅行業部門であったTiS本部に入社する。その前年には関西国際空港が開港し、関空特急が走り始めた。特急「はるか」に乗務する女性の車掌の育成が望まれる中、仲辻は新入社員から選抜され、旅行業務から車掌へ転向することになる。当初は戸惑いや不安も多かったが、「やってみなければ分からない」という信条のもと、運転取扱いやドアの開閉、車内改札など、車掌業務の基本を学んでいった。見習い乗務の期間を経て、9月には天王寺車掌区最初の女性の車掌となる。特急「くろしお」や大阪環状線にも乗務し、経験を積み重ねた。
およそ3年間在来線に乗務した後、次のステップとして新幹線車掌をめざす。山陽新幹線では、車掌業務の一つに車内の巡視検査業務がある。新幹線は駅間が長いため、車両の不具合は車掌が応急処置をして次の駅まで走行させなければならないのだ。仲辻は、机上および現車での研修を経て試験に合格。停電時のバッテリーの保護処置などにも対応し、安心・快適な新幹線の旅の提供に努めた。「小さなことでもお客様に喜んでいただけることがうれしく、ありがとうの言葉を励みに乗務していました」と振り返る。
所属する車掌のうち、女性は約1割。乗務に関することだけでなく、働き方やキャリア形成などの相談にも気軽に応じる。
その後、仲辻は乗務で培った経験を活かし、車掌の教育・育成や指導業務に携わる。まず、2001(平成13)年には大阪支社輸送課の指導グループに着任。所管の在来線と新幹線に乗務する車掌に向け、安全運行に必要な情報を発信するという業務を担った。例えば、きっぷのルール変更の指示、工事区間に対する注意喚起、女性専用車両のスタート時には、スムーズな導入をサポートした。2007(平成19)年には係長となって京橋車掌区へ異動。列車に添乗して車内アナウンスを直接指導するなど、若手の車掌の育成に尽力した。車掌という職務との関わりの中で、その役割を見つめ直した時期があった。きっかけは2005(平成17)年4月25日に発生させた福知山線列車事故。「事故発生の際に取らなければならない行動について、あらためて気づかされました」。後に、列車乗務員養成所で在来線車掌の新人教育を担当した仲辻は、安全を最優先する行動を徹底するように、安全教育の場で伝え続けた。
所長として、すべての乗務員が笑顔で仕事ができるように、職場の雰囲気づくりにも取り組んでいる。
2014(平成26)年6月、金沢新幹線列車区の発足に伴い、仲辻は車掌助役として赴任する。翌年の北陸新幹線 長野駅〜金沢駅間の開業に向けた準備を担うことになったのだ。新線のためすべてゼロからのスタートに、不安や焦りを感じながらマニュアル整備などを進めていた頃、北陸新幹線「W7系」が長野までの試運転で初お目見えすることになった。金沢駅ホームに現れた車両に懸命に旗を振る子どもたち。沿線の田んぼや学校の屋上からは、地域の方々が手を振り見送ってくれた。地元の期待の大きさを目の当たりにした仲辻は、この日の感動を心に留め、ともにゴールをめざす仲間と苦労を分かち合いながら、開業までの日々を乗り切ったという。
現在、仲辻は乗務員指導管理者として、新幹線に乗務するための知識・技能、訓練の時間数、身体的な適性をクリアしているかなど、車掌一人ひとりの資質管理を担う。心がけているのは、乗務員からの報告や相談には真摯に対応すること。若手の一人は「忙しい時も手を止めてすぐに話を聞いてくれる。女性として目標にしています」と語る。女性社員も活躍の場を広げつつある今、仲辻は後に続く人たちに「どんなこともまずはやってみてほしい」とエールを送る。