「輪島大祭」重蔵神社の例祭のキリコ。一堂に揃ったキリコの灯りが夜の闇を華麗に彩る。その昔のキリコは10m以上もあったが、電線が障害になるので現在のキリコは約6m。同じように見えても装飾は競い合うように町ごとに異なる。

特集 灯り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜 〈石川県七尾市・輪島市・珠洲市・志賀町・穴水町・能登町〉 神をいざなう能登の祭り

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キリコ祭りは能登の人々の魂

 夏の日が西に傾き始めると、祭りは一気にクライマックスへと向かう。夜空に花火がはじけ、大太鼓が打ち鳴らされた。雄叫びのように勇猛に、刻むように鳴り響く。笛、鉦[かね]の囃子[はやし]が掛け合う。法被[はっぴ]姿の大勢の若衆が怒声のような掛け声とともに、「キリコ」を担ぎ上げ、右に左に激しくうねり、練り回った。

 見物人も一体となって興奮と熱狂に包まれる。キリコ祭りは夏から秋にかけて、能登半島の約200カ所の里山里海の神社で行われる祭礼で、キリコとは神様が乗る神輿[みこし]に付き従う、巨大な御神灯のことだ。能登固有のものでキリコの数は700基とも800基ともいわれ、能登の人々の魂ともいうべき祭りなのだ。

※キリコは「切籠」と書き、「切子灯籠」の略称。神仏に供える灯りのことだが、能登では御神灯として、地域によって「ホートー(奉燈)」、「オアカシ(お明かし)」とも呼ばれる。

重蔵(じゅうぞう)神社は漆の町、輪島のシンボル。社伝では崇神天皇の頃に創建。室町時代の漆塗扉は輪島塗のルーツといわれている。キリコ祭りのクライマックスは浜辺の大松明。燃え盛る松明から「御幣」を若衆が奪い合う様子は勇壮だ。

キリコのルーツは「笹キリコ」。4〜5mほどの笹竹の上部に小さな行灯をつけたもので1人で持ち歩けるサイズだった。

 「都会に出た者も、盆正月には帰らなくても必ずキリコ祭りには帰ってくるほど大切なもの」と話すのは輪島市の「輪島キリコ会館」の竹中正治館長。館内には「輪島大祭」の大小30基のキリコが常設展示してある。高さは4〜6mが主流で担ぎ手は約20人、15mもある大型のキリコは重量2t、1基を100人以上で担ぐ。

 見上げるキリコは壮観だ。正しくは「切子灯籠[きりことうろう]」という。基本の形は担ぎ棒に対して直角に建てられた直方体の行灯[あんどん]状で、四面に張られた和紙には町別に3文字の吉祥[きっしょう]文字が墨書されたり、裏面には紋や武者絵などが描かれている。また、細部に彫刻や金箔などが施されている。輪島地区らしく総漆塗の豪奢なキリコもある。

「輪島大祭」奥津比ひめ(ひめ)神社の例祭。奥津比ひめ神社は中世から海女漁(あまりょう)で知られる沖合の舳倉島の本社の里宮。女神ならではの祭礼で、顔に化粧を施し女装した若衆が神輿を担ぎ、豊漁安全を祈願して海で神輿を練り回す。

「輪島大祭」住吉神社の例祭。勇壮な御神事太鼓に先導されてキリコが町内を激しく練り歩き、川に架かる橋を疾走する。松明神事や太鼓の競演が見もの。

輪島キリコ会館の竹中館長は「キリコは神様が座す御神輿のために夜道を照らす灯り、つまり御神燈なのです」と話す。

 「地域ごとに形状や装飾に違いはありますが、神様の乗る神輿のお供をして道中を照らすという点は地域にかかわらず共通しています。キリコ祭りは奉燈神事[ほうとうしんじ]で、主に夜のお祭りです」と竹中さん。起源は中国由来で、京都の祇園信仰や夏越しの神事がその起こりといわれ、やがて全国に広がって能登ではキリコ祭りとして根付いた。

 笹竹の先につけた和紙で作った小さな笹キリコが始まり。それが江戸時代以降、交易で財を成した豪商たちが大きさと豪華さを競った。輪島は江戸時代、北前船が寄港し人、物、文化の交流地として繁栄を謳歌した。もっとも古い記録が江戸時代初期の輪島・住吉神社の祭礼定書には、「…夜大灯籠の行粧例年に変わらず」と記されている。

 輪島キリコ会館には現存最古を含め、江戸時代のキリコが2基保存されている。どれも彫り物を施し、総輪島塗の10mを超す巨大なキリコで、輪島の豪商たちの羽振りを今に伝えるものだ。現在では、「輪島大祭[わじまたいさい]」の4つの各神社の氏子が地域単位でキリコを維持している。他に同窓会や有志でキリコ祭りに参加している例もあるようだ。

 キリコ祭りは能登半島3市3町の農村、漁村と地域ごとに独自の特色がある。7月の初めにキリコ祭りの一番手を飾るのは能登町宇出津[うしつ]の「あばれ祭」。数あるキリコ祭りの中でも勇壮かつ豪快。キリコの数も約40基。担ぎ手と囃子方だけで2,000人を超す壮大な祭りである。

 荒ぶる神を祭祀する八坂神社の例祭で、伝承では江戸時代に疫病が流行り、京都の祇園社から牛頭天王[ごずてんのう]を勧請し、盛大に祭礼を始めると人々は快癒したという。暴れるほど神に喜ばれ、疫病神が鎮まるといわれ、神輿を徹底的に壊すのが特徴。例祭初日には燃え盛る大松明の火の粉の中をキリコが乱舞する。

 あばれ祭の華麗でかつ勇壮な祭りのエネルギーと熱気、どよめきが肌に伝わってくる。

能登町宇出津の「あばれ祭」。宇出津は江戸時代から漁業と交易で栄えた港町。初日にはキリコが神輿の周りを練り歩き、翌日には火や川に投げ込んで原形がなくなるまで壊す。ゆえに「あばれ祭」として知られる。荒ぶる神を祀る八坂神社の祭礼。

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