鉄道に生きる

北村 公宏 株式会社JR西日本テクシア 北陸支店 副支店長

先を読み、時代が求めるものをつくる

部下の説明にしっかり耳を傾け、的確にアドバイスをする。

 JR西日本金沢支社管内の機械設備の保守、工事を担う株式会社JR西日本テクシア北陸支店。今年で入社40年目を迎える北村公宏副支店長は同社でこれまで約200種類の機械設備に携わってきた。中でも降雪地区特有の設備である熱風式融雪装置(以下、融雪装置)に精通しており、運行を支障するような雪から安全安定輸送を守り続けている。

厳格な先輩のエール「俺を抜いていけ」

現物を使い丁寧に部下を指導する。

 機械好きが高じてテクシアの前身となる日本交通機械株式会社に入社。金沢営業所では新卒は北村一人で、父親ほどの年の先輩について仕事を学んでいった。扱う機械は鉄道に関するものから駅や客車から出るゴミを処理するゴミ焼却炉、保養所の空調と多岐にわたった。当時の先輩は職人気質の人が多かったが厳しいことを言うだけあって先輩方は卓越した技術を持っていて、教えを乞うと北村ができるようになるまで丁寧に教えてくれた。そうして3年ほどが経つと、「先輩方に追いついて安心させてやろう」というチャレンジ精神が芽生えていた。するとある日、いつも厳しい先輩が「俺を抜いていけ。そして誰にも負けるな」と北村に声をかけた。自分はまだまだ発展途上と思っていたことに加え、大変厳しい先輩の言葉だっただけに、認めてもらえたことがとてもうれしかった。

何としても北陸新幹線に導入したかったガス融雪装置

JR金沢機械区との打ち合わせ。連携を密にし、共通の目標に向かい意志の疎通を図る。

 北村が現在も手掛ける融雪装置に携わるようになったのは、入社5年目の1985(昭和60)年。当時の融雪装置の主流は「J-35型」と呼ばれる灯油を燃焼させるものだった。しかしこのJ-35型の部品が枯渇し、新機種を作ることとなった。J-35型は大型の上52kgと重く、組み立てに関しても1台につき50箇所も加工しなければならない代物で、新機種製作にあたってはこれらの改善が望まれていた。「当時のJR金沢機械区と毎週会議を行い熱心に議論を重ねました。30日間連続で燃焼させて耐久性を確認するなど、相当の労力を費やしました」。新たなモデルは「TF型」と呼ばれ、1999(平成11)年にデビューし現在では主流となっており、その製造台数は700台を超える。

 TF型が量産体制に入ってしばらくした頃、北村はある懸念を抱いていた。「灯油よりも環境負荷の少ない融雪装置を求められるようになるのではないか。その時に何もできないのは、JR西日本グループの機械の専門家としてあまりに申し訳ない」。社外に目を向ければ、同業他社では1996(平成8)年に環境面で優れるガスを燃料とした融雪装置が採用され始めていた。北村はそれを知っていたが、採用される見込みがないと開発や購入を諦めていた。折しも2015(平成27)年3月に金沢開業を控えた北陸新幹線に融雪装置を導入する話が持ち上がり、北村は「ここでガス融雪装置を絶対に導入する」と意気込んだ。着手したのは2007(平成19)年。北村は先行してガスによる融雪装置を導入していた東北・秋田新幹線を見学するところから始めた。それからは現地にガスを引くためのガス会社との試作機の燃焼試験、新幹線設備を整備する鉄道運輸機構、建設会社との調整、新幹線設備に合わせた仕様にするための地元の鉄工所との打ち合わせと、目が回るような日々だった。そして開発から6年が経った2013(平成25)年、北陸新幹線・黒部保守基地に9台(他基地に30台)を無事に納入した。「1台ずつ着火し、最後の1台が正常に運転していることを確認した時には、緊張感から一気に解放されました。静かな構内に響く燃焼音がとても心地よく、苦労が報われた気がしました」。ガスを燃料としたこの融雪装置は「TFGas型」と名付けられた。

 いくつかの発生機の設計に携わり設計の重要性も感じた。「現場で発生する障害の中には、設計段階の机上ですでに発生し、現場で実証されるケースもあり得るということになります」。貴重な経験を語り継ぐのも、北村の大切な仕事だ。

興味を持たせることが自分の仕事

ミーティングの様子。物腰柔らかな雰囲気は部下の発言も活発にさせる。

 現在も融雪装置の保守と社内の教育に携わる北村。「仕事は興味を持たないとなかなか上達しないと思います。私の仕事は、業務の中で楽しさを感じることができるように仕向けることだと思っています。自分で設計、改善する機会を設けて、若手には成功体験を積んでやりがいを持って取り組んでほしいと思います」。目標は、自分も仲間も安心して冬を越すこと、だそうだ。

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