出雲大社拝殿(手前)と奥が国内最大級を誇る本殿(国宝)。平安時代の「口遊(くちずさみ)」に「雲太(出雲大社)、和二(東大寺大仏殿)、京三(平安京大極殿)」と呼ばれ、当代一の巨大神殿と称された。

特集 日が沈む聖地出雲 〜神が創り出した地の夕日を巡る〜 〈島根県出雲市〉 八雲立つ神々の原郷

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「ひしずみのみや」日の本の夜を守らん

 出雲大社へ向かう清々しい樹林の中の参道を進むと巨大な注連縄が張られた拝殿が見えてくる。その奥が大国主大神が鎮まる本殿だ。正しくは「いづもおおやしろ」といい、明治までは杵築大社[きづきたいしゃ]と呼ばれていた。「神々が集まって築いた宮」というのが由来である。

 創祀は神代だが、史料上の初出は659(斎明天皇5)年。現在の御本殿は江戸時代の造営で、以後約60年に1度の遷宮を重ねている。神域は約20万m2に及び社殿は神社建築の中で最大、そして最古の形式を伝えている。静寂な大気の中に鎮まる何か荘厳な気配が漂う。間近に仰ぐ神殿は圧倒的な迫力だ。

 それをはるかに凌ぐ神殿が、この場所にかつて実在した。平安時代に参詣した寂蓮法師[じゃくれんほうし]は「この世の事とも覚えざりけり」と記している。が、驚きは創祀以来、祭事が途切れなく粛々と続けられていることだ。祭事は年間に70余り。この祭事の間、周囲の人々はひたすら静粛に暮らすというのが古くからの習わしである。

 出雲大社の境内を西に出て稲佐の浜から海岸線に沿って北に向かう。白砂の浜と一転して、海岸線は険しい断崖が続く。その昔は辺境の地だっただろう。おそらく海路を利用したに違いない。島根半島の北西、日御碕の突端には白亜の日御碕灯台がある。ここ日御碕も平安時代に「聖[ひじり]の住処[すみか]」とされた聖地だ。

出雲大社本殿は南向きに建っているが、本殿の神座の正面は夕陽が沈む西を向き、稲佐の浜の方角に鎮座している。

出雲大社境内に祭神の大国主大神と白兎の像。「稲羽(因幡)の白兎」は小学唱歌『大黒さま』でおなじみの出雲神話。

島根半島の最西端、日御碕の海に臨む地に鎮まる日御碕神社社殿。緑の中に鮮やかな朱色が栄える。

天照大御神を祭る日宮(下の宮)は、出雲では「日が沈む聖地の宮」として知られる。太陽神である天照大御神を日没の夕日と結びつける独特な社である。

素盞嗚尊を祀る神の宮(上の宮)。日御碕神社の斎主は素盞嗚尊の御子神の天葺根命。日宮の正面の高台にあり、その境内一群の景観は美しさと調和を醸し出している。

日御碕神社の小野宮司。「日御碕神社は、日の出る伊勢大神宮が日本の昼を守るのに対して日本の夜を護らんとする神社です」と話す。

 日御碕神社は、灯台から海岸に下りた小さな入り江に臨んで鎮まっている。桧皮葺[ひわだぶき]の屋根に、朱と極彩色で飾られた神代以来の古社だ。天照大御神を祀る「日宮」(下の宮)と素盞嗚尊を祀る「神の宮」(上の宮)の2社を総称して日御碕神社と呼ぶ。斎主は素盞嗚尊の御子神の天葺根命[あめのふきねのみこと]で代々その子孫が宮司を務める。

 小野高慶宮司は98代の後裔[こうえい]だ。やはり現代に生きる神話である。日宮の縁起によると、735(天平7)年乙亥[きのとい]勅命の一節にこう記されている。「日の出る所伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り日の本の昼を守り、出雲国日御碕清江の浜に日宮を建て日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らん」。

 出雲は伊勢や大和の西北に位置し、日御碕は古来夕日を鎮める霊域として崇敬されていたのだ。「現在の社殿は徳川3代将軍家光公の命により幕府直轄工事として造営され、三百数十年を経ています」と話す。極彩色の内陣の天井四壁など華麗荘重を競って見事で、社殿全部と境内の石造建物を含めて国の重要文化財だ。

 そして神社では、神代以来絶やすことなく祭事が執り行われている。大晦日の深夜、宮司一人で神山に登って執り行う神事は、それまで激しい雨雪でも神事が始まると不思議と空は晴れわたるそうだ。また、かつて社殿があった経島[ふみしま]では毎年夕日を鎮める「神幸神事[みゆきしんじ]」が行われる。島は古来、神職以外何人も立ち入ることができない禁足の聖地である。

 日本遺産「日が沈む聖地出雲」を構成するのは神話の伝承地や出雲大社、日御碕神社などの文化財だが、一番の主役は夕日だ。出雲独特の挨拶「ばんじまして」は、昼と夜の間の夕刻だけの挨拶で、人々は古来から夕日を特別なものとしてきた証だろう。

 稲佐の浜の向こうに、そして日御碕のかなたに沈む夕日は金色に輝き、やがて光の余韻を曳きながら赤々と水平線に没していく。その荘厳さに誰もが神々を感じても何も不思議ではない。そんな出雲の夕日をハーンは「夢のように静かだ」と表現した。

弁天島をシルエットに稲佐の浜に沈む夕陽。日本遺産の「日が沈む聖地出雲」の中心を成すシンボル的風景。稲佐の浜は「記紀」では「国譲り神話」の舞台として登場する。出雲大社から西へ約1kmほどのこの白砂の浜は、夕日の絶景スポットとして知られている。

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