洞川温泉街。「行者宿」は行者が一度に出立できるように通りに沿って広い縁側が設けられている。この宿を営むのは役行者の弟子「後鬼(ごき)」の子孫という。

特集 奈良県吉野郡 天川村

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大峯山麓 修験道の聖地、洞川

深山幽谷の絶景が展開する、みたらい渓谷。荒々しい渓谷や原生林、透明な水など自然の姿に圧倒される。

 吉野川を渡るとバスは山中へと分け入り、谷沿いの急勾配の山道を、右に左に蛇行しながら天川村[てんかわむら]を目指した。標高1,500m以上の峰々が連なる大峯山系は「近畿の屋根」といわれ、山は険しく谷は深い。天川とは、人が容易に近づくことができない神聖な場所「高天原」に由来するという説があり、この地は長らく「秘境」と呼ばれた。

 進むに従い深山幽谷の気配を帯びはじめる。大小の曲路が続き、やがて長いトンネルを2つ抜けると天川村に着いた。交通事情が良くなったとはいえ、いまだ秘境と呼ぶにふさわしい。四方を山に囲まれた天川村川合[かわあい]は、谷が交わり天ノ川と出合う村の中心部にあたり、村で唯一の信号があって近くには村役場もある。道路脇の立て看板に「天の国、木の国、川の国」と記されている。

 看板には「日本の滝百選」、「水の郷百選」、「名水百選」、「日本百名山」、「吉野熊野国立公園」とも記される。加えれば「吉野・大峯奥駈道[おくがけみち]」は世界文化遺産の一部でもある。人口約1,300人の村は年間60万人が訪れる観光地になっているのだが、天川村は昔と変わらず今も大峯山(山上ケ岳)信仰の拠点である。

母公堂には修験道の始祖、役行者とその母が祀られている。その昔はここが女人結界だった。厳しい行場で修行する息子を案じて後を追う母を、この先は命に危険が及ぶとここで足止めしたという。それが女人禁足のいわれ。

 川合から、修験道の聖地である洞川へ向かう途中、みたらい渓谷に立ち寄った。景観は太古の様相で、荒々しく削られた石灰岩の渓谷には家ほどの巨岩、奇岩が転がり、むき出しの岩壁が両岸にのしかかる。原生林が覆う沢の奥からほとばしる大小無数の滝。水は息を呑むほど透明で、随所に鮮やかなエメラルドグリーンの淵をつくっている。

 神威を宿したような圧倒的な自然の姿は美しいと思う一方、それは畏[おそ]れにもなる。この渓谷の先の、天ノ川の上流である山上川に沿った山峡に洞川がある。標高は約800m、厳冬期は岩も凍てつく。洞川には温泉街があって天川村で一番賑やかな場所だ。町の歴史は修験道の開祖である役行者[えんのぎょうじゃ](役小角[えんのおづぬ])が約1300年前に大峯山を開山したことに始まる。

龍泉寺は役行者が神泉を発見したのに始まる。寺は全国修験道の根本道場で、境内で水行を終えてから大峯山へと修行に赴く。写真上は「第一水行場」。写真左は「龍王の滝」。

 修験道とは、山に籠って厳しい修行を行うことで悟りを得るという、日本古来の山岳信仰と仏教とが集合した独特の宗教で、修行者を修験者、山伏ともいう。すずかけの衣をまとい、金剛杖[こんごうづえ]を手に法螺貝[ほらがい]を鳴らし、「六根清浄[ろっこんしょうじょう]」と唱えて山中を渉猟[しょうりょう]してさまざまな行を行う。平安時代には盛んに信仰され、帝や貴族も大峯山に参詣したという。

65年間、先達として大峯の行場を案内した谷口さん。現在は母公堂の堂守を務める。祖父も、妻の祖父も母公堂を管理した。

女人結界門。以前の結界は母公堂だったが、戦時中、男手がなく女性たちも山仕事をするため、さらに上流の現在の場所に移した。

 全国から集まる行者の宿場として発展した洞川にはこんな伝承がある。役行者には前鬼[ぜんき]と後鬼[ごき]の弟子がいて、役行者は世を去る間際に後鬼に託した。「私が亡き後、修験者のお世話をよくするように」と。「私どもはその後鬼の子孫です」と室町時代から500年続く行者宿の主人は話した。

 行者宿はどこも通りに面して広い縁側を設けてある。大勢の行者が一度に出入りするのに都合良くできている独特の景観だ。行者通りには行者宿や旅館がいくつも軒を連ねるほか、役行者由来の和漢薬の秘薬「陀羅尼助[だらにすけ]」を製造販売する土産物店も多い。水源の洞窟に反響する水音に因む名水「ごろごろ水」も洞川の名物として観光客に人気がある。

 行者通りは大峯山へと続く道。行者はまず龍泉寺の第一水行場で行を行い、それから大峯山へと赴く。その道中に役行者と母「白専女[しらとうめ]」を祀る母公堂[ははこどう]がある。谷口清一さん(88歳)は5月から9月の間、寝泊まりしてお堂を守る。65年間、行場へと導く先達[せんだつ]を務めてきた谷口さんはこう話す。「大峯山あっての洞川。ありがたいお山です」。

 山道を辿ると、大峯の連山が姿を現した。ノコギリ歯のような尾根と険しい絶壁。そんな行場への入り口にある女人結界門の前で、二人の女性が立ち止まっていた。

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