有田川河口の箕島漁港。有田市の太刀魚の漁獲量は日本一で、年間を通して獲れる。中央付近が船溜まりで、紀伊水道を挟んだ向かいは淡路島の洲本。

特集 和歌山県 紀州有田

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豊かな自然がもたらす有田の食材

有田地方の山々の急斜面はみかんが栽培され、春には白い花が満開となり、周辺は甘い香りに満たされる。

 紀州和歌山。大阪・天王寺駅から特急でわずか約40分。和泉山脈を越えて和歌山県に入ると、途端に風景が明るくなり気分も伸び伸びとしてくる。和歌山駅からさらに約20分、リアス式の海岸線沿いを南に下れば、有田市の中心で県下有数の漁業の町、箕島。海は青々と輝いている。

 一般的に有田とは、有田市の東の有田郡有田川町と市の南の湯浅町と広川町を含む広域を指す。巨大な山塊から成る紀伊半島の西半分を占める和歌山県の中ほどやや北に、東西に横たわるのが有田地方だ。西は紀伊水道の豊かな海に臨み、東の内陸部は山また山が重畳[ちょうじょう]として紀伊山地へと続いている。

 海、川、山。この異なる自然環境が、有田に多彩な恵みをもたらす。早朝6時、訪ねたのは箕島漁港から一つ南の小さな湾にある逢井[おうい]漁港。夜明け前の闇の中からエンジン音を響かせ、漁を終えた小型底引網漁船が次々に帰港し、漁師さんは黙々と水揚げ作業を繰り返した。

早朝の逢井漁港。水揚げを終え、競りを待つ合間に火を囲み暖を取って一息入れる漁師さん。

水揚げした魚を選別。太刀魚は獰猛な顔姿に似ず白身の上品な味で、刺身で食べるのが一番と漁師さんが教えてくれた。

 水揚げされる魚は、鯛、鯖、イカ、鰆[さわら]など種類は豊富だ。中でも銀色に身を輝かせる太刀魚[たちうお]は一年を通じて獲れ、漁獲量は有田箕島漁業組合が日本一。「紀州紀ノ太刀」として知られる有田のブランド魚で、有田では古くからどこの家庭でもご馳走だ。一番は刺身、ほかに焼いたり、干物にしたり、寿司にもする。

 漁場は黒潮も混じる紀伊水道の沖合。夜の闇が白み、朝陽が差すと溢れる光で海は輝いた。漁港の高台で漁師さんが指さして「対岸は四国の徳島。その北には淡路島」。紀伊水道を挟んで徳島県阿南の町が驚くほど近くに見えた。

有田地方の山々、丘々では豊富な品種が栽培され、ほぼ一年中収穫される。

有田川の中流域にあるあらぎ島の棚田。

 漁港を後に、有田川の上流へと向かう。そして川の両側に迫る山々の風景に圧倒された。山々の急斜面のことごとくが段々に築かれた「有田みかん」の畑だ。有田みかんの栽培は400年の歴史があり、仰ぎ見る壮観な風景は温暖で豊かな風土を物語っている。春には白い花が咲き、収穫期の10月から12月には、辺りの山々は全て黄金色に輝く。山々が夕陽で染まるとまるで黄金郷を思わせるような美しさだという。

 江戸時代、このみかんを船に満載し、嵐の中を江戸まで運び巨富を得た紀伊国屋文左衛門には、みかんはまさに黄金だったろう。ただし、当時のみかんは今日の温州[うんしゅう]みかんでなく、サイズが小ぶりの紀州みかんだったという。

 みかん畑を見上げると、どの山も驚くほどの急斜面で斜面からこぼれ落ちそうだ。栽培は大変な手間と労力で、高齢ゆえに畑を放棄する例もあるというが、逆に定年後に故郷に戻ってみかん栽培を始める人もいるそうだ。

 みかん畑を眺めつつさらに上流へと遡ると、有田川は蛇行を繰り返して深い山中に分け入る。河口から約40km、曲路を進んでいると川は大きくUの字を描き、その段丘上にアートのような見事な棚田が現れる。あらぎ島の棚田で、この三田・清水地区の農山村形態は国選定の重要文化的景観である。

有田川町の特産品で、和歌山県優良県産品(プレミア和歌山)に選定されている「ぶどう山椒」は大粒の実で人気がある。

 手つかずの自然ではなく、この山間に暮らす人々がわずかな土地を生かし、生活のために自然と共同で長年月をかけて創りあげた山村の遺産。観光客が多く訪れる棚田は「未来に伝え残したい村の歴史です」と集落の人は誇らしげに話した。

 寒冷地の気候と天水で栽培される棚田米は有田川町のブランド米として珍重されている。大粒の実が特長のぶどう山椒も地域特産品としてブランド化されている。紀伊水道の海の幸、有田川流域の山村の恵み。地域ごとにさまざまな有田の風土がもたらす食材は、実に多彩で豊かである。

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