和歌の浦は和歌山市の南西部に位置し、紀ノ川の分流である和歌川と紀三井寺川が流れ込む和歌浦湾北部一帯の景勝地の総称だ。『万葉集』にも詠まれた風光明媚な地で、鹽竃[しおがま]神社の鏡山や玉津島神社の裏山の奠供山[てんぐやま]、その北にある妙見山や船頭山など、現在は陸続きとなっているが、万葉時代には海に浮かぶ島々であった。当時は玉津島と呼ばれていた。
聖武天皇は即位の年(724年)の行幸の折にこの景観を見て、弱[わか]浜の名を明光浦[あかのうら]と改めた。海のない大和人が紀ノ川を何日もかけて下り、ようやく目にした光り輝く大海を眺めた時の喜びと感動が察せられる。平安時代に高野山や熊野の参詣が盛んになると、その帰路に和歌の浦に来遊することが多くなった。中でも玉津島は歌枕の地として知られるようになり、玉津島神社は詠歌上達の神として知られるようになった。
和歌浦湾に突き出た砂嘴[さし]である片男波[かたおなみ]の名称は、奈良時代の歌人・山部赤人が詠んだ、「若の浦に 潮満ち来れば 潟[かた]をなみ 葦辺[あしべ]をさして 鶴[たづ]鳴き渡る」に因むとされる。片男波とは打ち寄せる波の中の高い波を指し、男波[おなみ]ともいう。現在の片男波には海水浴場や公園が整備され市民の憩いの場として親しまれているが、眺める和歌の浦の風景は、万葉人が見た感動を今も感じることができる。
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