沿線点描【宇野線】岡山駅から宇野駅(岡山県)

広々とした干拓平野を走って、瀬戸内のアートを巡る起点の港へ。

岡山駅と、県南の宇野駅とを結ぶ宇野線。
瀬戸内海の豊かな風光に包まれて、
瀬戸の島々への玄関口、宇野駅を目指した。

岡山駅前に立つ、犬・猿・雉を従えた桃太郎像。

「吉備の穴海」を干拓した広大な田園風景

旅行鞄をモチーフにデザインされた観光列車「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)」は4月9日から運行される。自転車を積み込めるスペースが設置されるほか、車内でグッズや飲み物の販売なども行う予定。(画像はイメージです)

岡山駅の宇野線・本四備讃線発着ホームの一部には旧駅舎の木造屋根がそのまま残っている。

 岡山といえば桃太郎伝説。岡山駅前で出迎えてくれたのも、やっぱり桃太郎の像。いざ鬼退治へ、と桃太郎が犬、猿、雉を従えて立っている。訪れた観光客が像をバックに、入れ代わり記念撮影に興じている。

 岡山駅は、山陽新幹線のほか在来線6路線が乗り入れ、山陰や四国を結ぶ玄関口である。宇野線はここから南下し、瀬戸内海の港町、宇野に至る。今春から愛称は「宇野みなと線」。「晴の国おかやまデスティネーションキャンペーン」中は、旅行鞄をモチーフにデザインされた観光列車「La[ラ] Malle[マル] de[ド] Bois[ボァ]」が運行される。

 2、3、4番線ホームの上屋を支える柱を見ると古レールが使われている。戦時中、岡山駅は空襲で壊滅的な被害を受けたが、この古レールは剥き出しになったまま駅舎とともに焼け残り、その時の歴史と記憶を現在に伝え残しているという。

 宇野線のホームを離れた電車は、高架上を走る。住宅街を車窓に笹ヶ瀬川を渡ると広々した田園風景に変わり、平坦な田畑が広々と、延々と続く。この辺りは日本でも有数の大干拓地帯。もとは「吉備の穴海」と呼ばれた浅海だったところを干拓で壮大な田園地帯に変えたのだ。

車窓には岡山平野の広々とした田園風景が続く。(早島駅〜久々原駅)

宇野線の起点を示すゼロキロポスト。岡山駅は宇野線のほか、山陰や四国方面へ向かう多くの在来線の起点駅である。

早島町花ござ手織り伝承館では、花ござや中継表の手織り技術の保存と継承のため、保存会の皆さんが定期的に手織りの実演を行っている。(写真提供:早島町生涯学習課)

 最初に干潟を干拓したのは戦国大名の宇喜多秀家で、早島[はやしま]を起点にした潮止めの堤を築いたことに始まる。早島という地名は島だった頃の名残で、江戸時代以降、明治、大正、昭和と干拓によってどんどん陸地が広がった。この児島湾の干拓事業の歴史は約400年間にもなる。

 岡山駅から約15分で早島駅に到着。ここは畳表の最高級品「早島表」で隆盛を極めた「い草」の町だ。干拓地で栽培されたい草は明治時代に多くの工場で花ござが生産され、米国にも輸出されて日本経済発展の一翼を担ったという。そんな花ござの手織り技術は、保存会の皆さんにより現在も継承されている。

 茶屋町駅で、宇野線は瀬戸大橋を経て四国に向かう本四備讃線と分かれる。

い草の町として隆盛を極めたという早島の町。「いかしの舎(や)」はかつての畳表・経糸(たていと)の問屋・寺山家を改修したもので、往時をしのばせる風格ある母屋が見学できる。

宇高連絡船の拠点がアートな港町に

茶屋町の守護神として祀られたとされている金毘羅大権現。

茶屋町駅の改札前に展示されている巨大な鬼の面。茶屋町と鬼は昔から深い関わりがあったと伝承されている。

備前田井駅の近くには宇野線開業当時(1910年)から残るアーチ橋「田井架道橋」がある。登録鉄道文化財に指定され、当時としては珍しいコンクリート造りで、現在もほぼ原型のまま使用されている。

 茶屋町も江戸時代に干拓された土地である。茶屋町の名の起こりは諸説あるそうだが、四国の「金毘羅さん詣り」の参拝客のためのお茶屋が金毘羅往来沿いに数多く軒を並べていたことに因む。当時は大層な賑わいだったそうだ。

 茶屋町は“鬼の町”でも知られ、駅改札を出ると巨大な鬼の面が展示されている。『桃太郎伝説』に登場する鬼、「温羅[うら]」に由来するそうだが、秋の祭りには鬼がこん棒を振り回して町中を練り歩く風習が江戸時代から続いている。鬼祭りは一度は廃れてしまったが保存会によって復活した。

宇野港の眺望。中央右寄りのオレンジ色の屋根が宇野駅。かつて宇高連絡船が発着していた一帯はメモリアルパークとして生まれ変わり、市民の憩いの場として親しまれている。

 電車は倉敷川を渡って彦崎駅を過ぎ、児島半島の付け根を東へと走る。車窓には延々と続く田園風景。八浜[はちはま]駅を通過すると児島トンネルに入り、山を抜けると一転して風景は市街地に変わる。終着の宇野駅。その先は瀬戸の海だ。

 宇野駅はかつて宇高連絡船の乗り継ぎで賑わった瀬戸内海交通の最大の要衝で、四国への玄関口。当時、列車から船へと乗り継ぐ乗客が席を確保するのに猛然と桟橋を走る姿が日常の風景だった。現在は連絡船時代の港湾跡を残すだけで、引き込み線など、ほとんどの施設は撤去され駅前も姿を変えてしまっている。

宇高連絡船の名残である港湾跡に立つ玉野市産業振興部の木村公香さん。「私が生まれた頃にはもう連絡船はなかったのですが、駅から船への乗り継ぎにお客さんが桟橋を走る姿はおなじみだったと聞いています」と話す。

玉野市のご当地グルメ「たまの温玉めし」。温泉玉子をトッピングした穴子入りの焼き飯。(写真提供:玉野市産業振興部商工観光課)

 瀬戸大橋の完成とともに大役を終えた宇野駅だが、再び脚光を浴びている。駅前の広場から眺める瀬戸内海と、海に浮かぶ島々の風景、そして瀬戸内のアートアイランドへの拠点として観光客が絶えない。海外からの観光客も大勢やって来る。現在でも民間フェリーが就航し、四国や瀬戸内海の美しい島々への中継地の役割を担っているのだ。宇野の町を巡るサイクリングコースも整備されている。

 とにかく風景が素晴らしい。駅の広場から海を挟んで目と鼻先のところに、アートアイランドとして世界的に知られる直島がある。ほかにも点々と島々が浮かび、風景はそれこそ自然が創り出すアートだ。宇野線の約50分の列車の旅の一番の魅力は、この豊かな輝く海の風景だといっていい。

宇野港からは直島や葛島などの瀬戸内の多島美を望むことができる。

もっと巡りたい風景 瀬戸内のアートアイランドへの玄関口

宇野港のメモリアルパークにあるアート作品『宇野のチヌ』(作/淀川テクニック)。宇野港から引き揚げられた廃棄物を集めて造られたモニュメントは宇野のシンボル。正面には、アートアイランドとして世界から注目される直島が見える。

宇野港からは瀬戸内海の島々へのフェリーが運行している。連絡船が廃止された現在でも海上交通の重要な役割を担っている。

 宇野駅を出るとすぐ目の前が宇野港だ。かつて宇高連絡船の中継地として賑わい、親しまれた交通の要衝だ。1910(明治43)年の宇野線全通と時を同じく宇野〜高松間航路が開設。連絡船は本州と四国を結び、1988(昭和63)年の瀬戸大橋開通までの78年間、本州と四国を結ぶ重要な役割を担ってきた。

 連絡船の廃止によりその役割を終え、町や商店街から活況が失われつつあったが、現在、瀬戸内の島々が世界から注目を集めている。アート作品が直島をはじめとする島々に点在し、「瀬戸内国際芸術祭」と題したイベントが3年に一度開催される。今年はその年にあたり、島々への玄関口宇野港がある宇野の町も参加。宇野港周辺に漂着した廃棄物を集めて造られたモニュメント『宇野のチヌ』なども展示されるなど、アートな港町として人気を集め、訪れる人も増えている。

NPO法人瀬戸内こえびネットワーク「こえび隊」の斉藤さんは「瀬戸内国際芸術祭が、地元の人と訪れる方々の交流のきっかけになればいいですね」と話す。

 「前回(2013年)は年間100万人以上の方々が来られました。フランスをはじめ世界各国の方々が宇野港を利用されて町は活力と賑わいを取り戻しています」と話すのは、NPO法人瀬戸内こえびネットワークで瀬戸内国際芸術祭ボランティアサポーター「こえび隊」の斉藤牧枝さん。美しい瀬戸内海に臨み、アートな町に変身しつつある宇野は今注目の観光スポットだ。

宇野駅周辺には、アート作品が点在している。写真左は『愛の女神像』(作/ドルヴァ・ミストリー)、右は『舟底の記憶』(作/小沢敦志)。

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