|
明治維新後の低迷から蘇り、大阪が日本一の都市になった時期がある。1925(大正14)年に、人口が200万人を超え、東京市を抜いて世界6位の都市となった。その頃に呼ばれたのが「大大阪」である。商都から脱皮し、近代的商工都市として再び活力を取り戻した大阪は、西欧のハイカラを享受する。御堂筋の工事が始まるのはその翌年である。
中之島周辺には、大大阪の時代の記憶をとどめる建築が数多く残っている。梅田から御堂筋を南へ歩くと、堂島川と土佐堀川の間に中之島がある。この景観は、パリのセーヌ河畔に似ている。大阪を再開発するにあたってパリの都市景観に倣ったといわれる。エッフェル塔を通天閣、メトロは地下鉄御堂筋線、そして中之島をパリらしく見せているのが、赤レンガ造りの大阪市中央公会堂や、重厚な石造りで神殿を思わせる大阪府立中之島図書館だ。
中央公会堂は1918(大正7)年に、株式で巨利を得た市民の寄付(現在の約50億円)で建てられた大阪で最も親しまれている建物の一つだ。老朽化が著しく、保存工事(2002年完成)で昔の姿を取り戻したが、費用の多くはやはり寄付で賄われた。中之島図書館は1904(明治37)年に大阪府で初の図書館として開館したが、これも寄付による。住友家本家が「これだけ立派な都市なのに図書館がないのはおかしい」と、建設費と書籍購入費を寄付したのである。
御堂筋を挟んで市庁舎と向き合う日本銀行大阪支店は、1903(明治36)年の竣工。東京駅を設計した建築家・辰野金吾の出世作といわれている。淀屋橋を渡った交差点角にも石造りのビルがあり、そこから東の堺筋方面に歩くと、あちらこちらでノスタルジックな建物と遭遇する。とくに今橋や高麗橋の通り界隈には、モダンな雰囲気を漂わす建築物が多く残っている。
船場の町割りは、大坂城に面した東西に「通り」、南北に「筋」がつくられて碁盤目状に整然と作られている。江戸時代までは、大坂城に通じる「通り」が本来の表通りであったが、近代に入ってからは筋沿いに多くの建物が建てられていった。御堂筋が完成する以前は堺筋が大阪のメインストリートで、船場の堺筋界隈がビジネスや商業の中心だった。それゆえ、船場では近代の大阪を彩った個性的なモダン建築をいくつも見ることができる。
ビルの多くは高度成長期に姿を消したが、今も残るアールデコ風装飾の建物は、ただレトロな風情が目を楽しませるだけでなく、どのビルも近代大阪の商都の勢いと都市文化を語り継ぐ貴重な証である。近代化に沸き立つ大阪には全国から優れた建築家が集まり、個性的な意匠を競ったという。「船場のひと」と呼ばれることは、この町に住む人の誇りであった。そして、通りや筋をモダンでハイカラな旦那衆やご寮人[りょん]さんが闊歩したことだろう。
秀吉の時代から始まり、近代に至るまで大阪の中心として発展した船場、中之島。今でもこの界隈を歩けば、商都の繁栄を謳歌した頃の空気に触れることができる。
|
|
|
|
|
|
大正モダン漂う中央公会堂の大集会室。シンプルでモダンなシャンデリアや大理石の円柱は、シンプルな装飾で大空間に映える。 |
|
|
|
大阪市中央公会堂のライトアップ。正面ファサードは、大アーチを中央に両翼に丸屋根の塔屋を持つデザイン。 |
|
|
|
大阪府立中之島図書館の玄関は、4本の石柱を配した重厚な意匠。 |
|
|
|
|
|
|
|
1930(昭和5)年に建てられた生駒ビルヂング。スクラッチタイルを壁面全面に張り込んであり、重厚な雰囲気をつくる。ショーウインドウの上部に置かれているのは鷲の像。 |
|
大阪府立中之島図書館の階段室。アールのついた優美な階段手すりと、ドーム天井のアーチが見事な調和を成す。 |
|