Blue Signal
September 2008 vol.120 
特集
駅の風景
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
探訪 鉄道遺産
Essay 出会いの旅
平松洋子
エッセイスト、フードジャーナリスト。岡山県生まれ。 東京女子大学文理学部社会学科卒業。食文化と暮らしの関わりを中心に、書籍、新聞、雑誌などで執筆活動を行う。著書に『おとなの味』(平凡社)『夜中にジャムを煮る』(新潮社)、『よい香りのする皿』(講談社)。文庫最新刊は『世の中で一番おいしいのはつまみ食いである』(文春文庫)など多数。
雲を待つ旅
 雲を待っていた。
 もうすこししたら、きっと。わずかに夕闇が忍び寄りかけた田んぼの畦道で、身を潜めるようにして、けれどもゆっくりと雲を待ち侘びていた。

 出雲は雲のうつくしい土地だ。はじめて出雲を訪れたとき、突然そのことに気がついた。むくむくと雲が湧き起こっている。けれども、それは勢いにまかせた野放図な動きではない。静かにやってきて、おだやかに空を充たしてのち、ふたたびどこかへ消える。

 はっとした。ずっと「いずも」と呼んでいるから不覚にも気づかなかったけれど、「いずも」は「雲が出ずる」と書くではないか。ほかでもない、出雲は雲が出ずる土地。遅蒔きながらようやく地名の由来に思い至り、同時にああ間違っていなかったのだと自分を信じた。この土地でむしょうに雲に魅かれてしまうのは、やはり理由があったのだと。土地の名前に背中を押してもらったような気になり、あらためて、空低く、頭上いっぱいに垂れこめる雲の群れをまじまじと見つめたのだった。

 爾来、出雲を訪れるといつも密かに雲を待つようになった。もちろん出雲にだって雲ひとつない空の日はある。しかし、ほかではけっして出合うことのできない雲がたしかにここにはあるのだ。

 ある日、松江を訪ねて帰りに出雲まで足を伸ばした。先を急ぐ旅ではなかったから、久しぶりに宍道湖のほとりに宿を取っていっときを過ごそうと思いついたのだ。

 日がすこしずつ傾きはじめ、地平線を上下に分かつ夕空に陰影が生まれる。すると、どうだろう。風とともに何処からかどんどん雲が湧く。ついさっきまで雲のすがたひとつ見つからなかったというのに。そして、みるみる空は低く立ちこめる雲で充ちた。まるで私が「おいでおいで、待っているよ」と誘いをかけたら、応えてやろうとすがたを現してくれたかのように。

 じつのところ、それは一度や二度ではなかった。だから出雲に行くと、ひとりしずかにじっと雲を待つ。

 雲がなくても、魅かれる空もある。それが鳥取砂丘の空だ。空の下はんぶん、どこまでも砂の丘が緩やかに広がっている。じいっと見入ると、自分の足もとがゆっくり崩れ落ちて、次第にずぶずぶ沈んで吸い込まれてしまいそうだ。一歩一歩、確かめるように、引きずりこまれないように歩を進める。だから、空のことも雲のこともすっかり意識から飛んで消えてゆく。
 こどものころ、家族四人でいっしょに鳥取砂丘を訪れたことがある。ごとごと汽車に揺られながら、あれはなんという名前の駅だったのだろう、途中で停車した駅で冷凍みかんを買ってもらった。窓から冷凍みかんを受けとると、赤い網の袋に入ったみかんの皮はびっしりと白い霜で覆われており、つかんだ指先が当たるとそのぶぶんだけあっけなく溶けるから、たじろいだ。妹とふたり、競い合うようにして、けれどもひと房ずつだいじに食べたしゃりしゃりの冷たさを忘れることができない。

 父も母も、もちろん私も妹も、砂丘を見るのも歩くのも初めてだった。先へ進んでも進んでも、つぎつぎに砂の丘が現れる。どこまで行けばこの丘はおしまいになるのだろう。いったいこの先にはどんな世界が待ち受けているのだろう。そう思ったら背中が寒いような気がして、すこし恐くなった。ここにひとりでいるのではなくて、よかった。父と母と妹がいっしょにいるから、ちっとも怖がることはないのだ。そう思い直したけれど、空のことも雲のこともちっとも覚えていない。でも、あの真空のようにあっけらかんと無限に広がる空があるからこそ、鳥取砂丘に魅かれる。

 旅先では、いつも空を見上げる。雲の在りか、風のみちすじをしずかに辿っていると芯からくつろいで、土地の空気に混じり合う。
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