Blue Signal
September 2006 vol.108 
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特集[水とともに暮らす川端[かばた]のある風景] 豊かな自然がつくる最初の一滴
生命を育む川端[かばた]の生水[しょうず]
川と暮らし、琵琶湖とともに生きる老漁師
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「生水の郷」針江地区の象徴である針江大川。針江大川の水量の80%が各家の「川端」から流れ出た水という。地区内には小さな水路が迷路のように入り組んでいる。
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比良山系の山々に降った雨は川となって下り、流域の田畑を潤しながら傾斜の緩くなった湖西平野を貫きゆっくりと流れる。琵琶湖岸にほど近い高島市新旭町は「生水[しょうず]の郷[さと]」と呼ばれ、水とともに生きる昔ながらの暮らしがある。湧き水のことをこのあたりでは「生水」「生まれてくる水」と呼び、安曇川の伏流水が集落の各所にこんこんと湧き出し、清らかな水が迷路のような水路を流れている。川底に繁茂する梅花藻[ばいかも]の緑と白い花が水の透明感を際立たせ、水辺にいっそうの清涼感を誘う。

新旭町の針江、深溝、藻園、太田のそれぞれの地区で生水は見られるが、とりわけ針江地区のほとんどの家庭に、「川端[かばた]」という200年以上つづく水とのつきあい方が残っている。

「川端の遺構は弥生中期の遺跡からも見つかっていますから、もっと古くからあるでしょうね」。そう説明する石津文雄さんは針江の生水の郷委員会の案内ボランティアで、代々つづく農家の主人。無農薬米の栽培をはじめ、葦原の保護事業にも携わっている。川端は水が湧き出す水場を囲った炊事場のことで、湧き出る水は年間を通じて摂氏13度前後、冬は温かく夏は冷たい。

川端には各家ごとに特徴がある。使い勝手やしつらえはそれぞれに異なり、「水の響きもそれぞれ微妙に違います。バチャバチャとかボコッボコッ…とかね」。しかし、たいていどこの家の川端にも、大きな丸々と肥った鯉が何匹も泳いでいる。「遠い昔は食用にしたこともあったようですが、いまは誰もそんなことしません」。むしろ鯉は川端にとってかけがえのない存在である。調理をしたり、鍋釜や食器などを洗った後の米粒や惣菜の残りを鯉が食べて家庭から外に流れ出る水をきれいにしてくれる。そして、トウヨシノボリなどの琵琶湖の魚たちが遡上してきて、家の川端の隅で愛嬌のある顔を見せることも珍しくない。こうして川端や水路は小さなたくさんの生命を育む場所にもなっている。

「水を汚してはいかん、水は大切に使わなあかん」と、水とのつきあい方を針江では幼少の頃から教えられる。水とともに暮らすには、水を使う暗黙のルールがある。「川上に暮らす人は常に川下の人々への配慮を怠らないことです」。川端の水は個々に独立しており、他家の水と混じることはないが、水路に流れていく水は決して汚さないというのが川端の約束事だ。川端での水の使い方は合理的だ。湧水口にあたる元池[もといけ]の水は顔を洗ったり飲料にしたり、煮炊きなどの料理用に使う。元池から溢れて壼池[つぼいけ]に溜まった水で野菜を洗う。そして洗いものは鯉が泳ぐ鯉池というように、用途に応じて使い分けている。もちろん現在は水道も引いているが、川端の水は一味違う。夏ならスイカやトマトを浸けておくと冷蔵庫で冷やすよりも味がみずみずしいそうだ。

水道水を使うのは風呂とトイレで、その水を水路に流すことは決してない。石津さんはこう話す。「生水は私たちの大切な宝なのです。自然から授かったきれいな水を琵琶湖に流れるまでの間に、ほんの少しだけ私たちの生活に使わせてもらい、きれいな水のままでまた、琵琶湖へお返ししなければいけないんです。人間の営みも水の循環の一部なのですから、それを壊すようなことをしたらあきません」。町を歩くと、そこかしこの家の前に細い水路があって、耳に心地よい川音をたてて流れている。それら個々の生水はそれぞれに琵琶湖に辿りつき、あるいはその細流が一つに集まって、いつの間にか針江大川という「生水の郷」のシンボルとなる。

透き通った川床に誘われて水に入ると、流れは速く、刺すほどに冷たい。比良山系の奥深くで生を受けたその清浄な生水は、自然を生かし生命を生かす水、と表現したほうが適切ではないか。そして針江の人々の暮らし方の中に、人が自然とうまく共存していく手がかりがあった。「川を汚したら湖の神さまに怒られる」。水への敬いだ。
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「川端」はそれぞれの家によって大きさや造りは異なるが、ほとんどは家の中に取り込み、飲み水とするほか炊事用として日常生活のさまざまな場面で生水が使われている。湧き水の噴出口には元池があり、水路の水とは区別している。
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コトコトと音をたてながら回る「いも洗い水車」。中にジャガイモなどを入れておけば、イモとイモがこすれあって自動的に皮が剥ける仕掛け。
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針江地区の曹洞宗の名刹、正傳寺の境内にある亀ケ池にも生水が間断なく湧き出し、池には何匹もの鯉が悠々と泳いでいる。
生命を育む川端[かばた]の生水[しょうず]
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水中で梅花藻が白い花を咲かせる。梅花藻は水質が清浄な証しであり川の透明感をいっそう印象づける。
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