Blue Signal
November 2005 vol.103 
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うたびとの歳時記
大阪駅進化論
天守閣探訪
特集[神人和楽[しんじんわらく]の饗宴−神楽] 宮中の御神楽[みかぐら]と民衆の里神楽[さとかぐら]
絢爛の装束、華麗な舞で魅了する芸北神楽
比婆荒神神楽[ひばこうじん]は、中世から受け継ぐ農村の心
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「前神楽」が行われる小当屋の民家。前庭は注連縄が張り巡らされ、「湯立神事」の祭場となる。
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安芸高田市から三次[みよし]を経て広島県の東の端、島根、鳥取、岡山県と接する庄原市東城町には、国の重要無形文化財で古式そのままの「比婆荒神神楽」が伝承されている。比婆山の麓に分け入った集落に連綿と伝わり、とくに託宣[たくせん](人の口を借りて告げる神の意思)の神事を伝えているのは全国でも稀で非常に貴重なものとされる。

比婆荒神神楽は「本山三宝荒神[もとやまさんぽうこうじん]」に奉納する祖霊信仰の神楽だ。三宝とは火の神と竃[かまど]の二神を指し、荒神は「あらぶる神」の意で、屋敷神、同族神、牛馬などの守護神でもある。人々は凶作や疫病、災害などが続くと荒神の怒りだと信じ、荒神の鎮魂を願ったのである。この比婆の地域には中世からの名残りで「名[みょう]」という形態が現存する。名は一族あるいは集落の単位で、名全体の信仰の中心として本山三宝荒神があり、この地域の祖霊神、守護神になっている。

代々神楽一家で、東城町で唯一の比婆荒神神楽保存会社中の代表・横山邦和さんは「比婆荒神神楽は農村の心です。伝統の儀式とともに、土や自然とともに生きる農村の心を残していきたい」と語る。比婆荒神神楽は、毎年行う小[こ]神楽と式年で行われる大[おお]神楽がある。式年は前の式年から数えて7年、9年、13年、33年目に行われ、何年目に大神楽を行うかは各名の習慣で古くから決まっている。大神楽の年には全国各地から研究者をはじめ大勢の人が見物にやってくる。

「大神楽は一年かけて準備します」と横山さん。古式に忠実に則った大がかりな神楽だ。神楽を執り行う大当屋[おおとうや]、小[こ]当屋を定め、過去の記憶に照らして支援態勢を整え、神職の手配をする。基本的には民家で行うしきたりのため、どの民家も天井が高く、舞台となる神殿[こうどの]は民家の奥の間に設けられる。神殿は厳格に位置も寸法も定められている。そうして行われる神楽はかつては3昼夜、4昼夜にも及んだようだが、現在は2昼夜が通例だ。

儀式として「前神楽」「本神楽」「灰神楽」からなる。前神楽は小当屋で行われ、石や粘土で竃を築き大釜をかけ薪を燃やして湯を沸かす「湯立神事[ゆたてしんじ]」にはじまり、神職と氏子の代表が名内の本山三宝荒神社に拝礼して神を迎える「荒神迎[こうじんむかえ]」、そして七つの舞で構成される「七座[しちざ]神事」と続く。太鼓・笛・手拍子で神楽の楽合わせを行う「打立[うったて]」、神楽の基本舞いで座ならしをする「曲舞[きょくまい]」、人に渡して役割を指定する「指紙[さすかみ]」の舞、座を清め神職や氏子を清める「榊舞[さかきまい]」、神前の座を清める「茣蓙舞[ござまい]」、悪魔祓いの「猿田彦の舞」、最後の「神迎えの舞」の七座である。引き続き、各戸の土公神[どくうじん]を降臨させて各戸の吉凶福禍を占う「土公神遊び」が執り行われる。そして祭場を大当屋に移し、本神楽と灰神楽を行う。「祝詞[のりと]神事」「白蓋引[びゃっかいひ]き」、神話に元づく物語の「能舞」が順に奉じられる。

能舞は「国譲りの能」「岩戸の能」「八重垣の能」…、最後に天地万物の要素を解説する、舞うというより語りを静かに聞いて学ぶような「王子舞」が夜が白みかける頃に舞われる。その後に「竜押[たつお]し」が行われ、クライマックスは「荒神納め」。神職が白木綿を竜にかけて押すうちに神がかり状態になって「託宣」を行うというものだ。そうして、竃[へっつい]遊びとも灰神楽[はいかぐら]とも呼ばれる、宝廻しや囲炉裏の中の餅を灰や火の粉を巻き上げながら奪い合う餅取り、恵比須の船遊びなどを経て、神職が障子をパタパタ叩いて「こけこう、こけこう、こけこう」と三声、鶏の声を真似て発すると大神楽のすべての神事が終わる。

33年式年の大神楽は2004年に行われ、神人和楽の宴が2昼夜にわたり繰り広げられた。囃子も舞もゆるりとして素朴だが、現代の日本人が失いかけている何かを思い出させるように心に染み入るという。「家の戸を開け放し、松明を焚いて一升瓶の酒を飲んで、神様も神職も舞人も囃子方も村の人も、全国から来られた大勢の見物人もみな一緒になって、肩組んでワーっとやるんです。能舞などは一演目2時間、3時間かけてね」と横山さんは話す。五穀豊穰を祈り、そして感謝する心。神楽は日本人の原点を教えているようだった。
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(1)(2)「湯立神事」湯釜を据え火打ち石で火を起こすことから始まる。神歌や祭文を読誦し、その湯で当屋の内外を清める。
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(3)「荒神迎」大幣を捧持した当屋の当主を先頭に、神職や地区代表者が名内の「本山三宝荒神社」へ赴き荒神を迎える。
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(4)荒神迎から当屋にもどり、内で待つ神職と神歌を掛け合い、当屋の神殿に荒神を鎮座させる。
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(5)「曲舞」顔見せ舞ともいい、神楽の基本舞。
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(6)「指紙」舞人の役割分担を書いた紙束を竹に挟んで舞う。役割を指定する神事舞。
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(7)「榊舞」座を清めるとともに、神職、氏子一同の身や心を祓い清めるための舞。
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(8)「茣蓙舞」神前に茣蓙を敷く。座を清める舞。
比婆荒神神楽[ひばこうじん]は、中世から受け継ぐ農村の心
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門札に挿してある「迎え幣」。小当屋の屋敷の入り口に「大神事不浄輩出入不可矣」と書かれた門札が立てられ、それに挿してある「迎え幣」を取って神職や氏子の代表が祭場へと入っていく。大神楽のはじまりだ。
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(9)「猿田彦舞」榊の枝と扇子、刀で舞う「榊猿田」という古式の舞と、扇子、刀、長刀で舞う「長刀猿田」と呼ばれる曲芸的な要素の強い舞の2つがある。
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(10)「神迎え」七座神事の最後の神事舞で、荘厳な舞。
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(11)「土公神遊び」土公神の降臨を仰ぎ、吉凶禍福を占いその家の当主に告げる神事。
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広島県庄原市の東城町では、今でも中世からの古式に則り『比婆荒神神楽』が奉納される。
(写真は能舞の『八重垣の能』)
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「八重垣の能」八岐大蛇から須佐之男命が櫛名田比売[くしなだひめ]を救い、二人はめでたく結ばれる。「国譲りの能」とともに代表的な能舞。
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「王子舞」五行舞ともいわれ、天地万物のすべては木、火、土、金、水の五つの要素から成り立っているという五行相生説の物語を語っていく。
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「竜押し」王子舞の後、神殿に飾ってあった8mにもなる藁の竜を、田に持ち出して押し合う。
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比婆荒神神楽保存会社中代表の横山邦和さん。「神楽を通じて神事や儀式や舞という“かたち”の伝統だけでなく、日本の農村や里人の心を残したい」と話す。
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