Blue Signal
November 2005 vol.103 
特集
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うたびとの歳時記
大阪駅進化論
天守閣探訪
三次駅 駅の風景【三次駅】
三つの川が出合う水の町
三次と書いて「みよし」と読む。
地名の起源ははっきりしないが、
古語でいえば「水の集落」という
意味だとする説もある。
中国山地の山々に抱かれ、
美しい川と寄り添う三次は、
まさに水の町だ。
自然がつくり出す霧の海
広島駅から芸備線で約1時間。中国山地の中央に位置する三次は、標高500m前後の山々に囲まれた盆地で、町の真ん中を江[ごう]の川、馬洗[ばせん]川、西城[さいじょう]川の三つの川が巴のように合流して流れる。

「広島県の3分の1の水が三次盆地に集まっている」と駅前の商店主が教えてくれたが、この豊かな水量と盆地という地形が相まって幻想的で特異な自然現象をこの町にもたらす。「三次の霧海」「霧の盆地」「三次の雲海」といわれ、町を紹介する写真には必ず「霧の海」が登場する。

秋から春先にかけての晴れた日。寒暖差の激しい日の夜中から朝方にかけて、川の水面から水蒸気が湧きあがり、霧となって周囲の山々の肌を這い伝い、町全体を覆いつくす。町を見下ろす高谷山の展望台に立つと、朝日で乳白色に染まった霧が海に、周囲の山陵が島々のように見える。

霧の季節になると全国から大勢のカメラマンが展望台に三脚を並べるといい、10年間、毎朝通っているという町のアマチュア写真家は「今日はダメだね」と呟いた。霧は発生したが、雲が厚く朝日が射し込まない。それでも十分に神秘的だった。
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芸備線と三江線が交わる三次駅。山陰と山陽とを結ぶ交通の要としての役割は昔も今も変わらない。
イメージ 西城川と馬洗川が合流する場所は、夏には鵜飼いが行われる。「三次名物鵜飼いのかがり 夜の夜なかに花が咲く」と三次小唄にも唄われている。
イメージ 三次本通り商店街の町並み。比熊山を背に江の川と西城川に挟まれた一帯が旧城下町。あちこちに路地があって昔懐かしい建物や風景に出合える。
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秋から早春にかけて見られる霧の海は天下の奇観。「三次の霧海」「三次の雲海」の名で全国的に有名。
(写真提供/三次市自治振興部 まちづくり推進室)
地図
古代から開けた水の町
三次は古くから開けた土地だ。日本海へと注ぐ江の川を通じて、出雲や石見、伯耆の山陰と山陽を結ぶ要衝として、物資や文化が行き交った。周辺には古代の住居跡が無数に発見されていて、中国地方最大の古墳の密集地といわれている。

中世には三次氏が居城、戦国時代には尼子氏が治めた。夏の風物詩である「三次の鵜飼い」は毛利氏に敗れた尼子氏の落武者が鵜を操って鮎を捕ったことに始まるという。毛利氏の後は福島正則の武将、尾関正勝が居城し、尾関山公園は今は桜の名所になっている。

しかし三次の人が一番親しみ深く話すのが三次藩浅野家。初代長治が築いた温和な藩風は現在の三次の気風に通じる。浅野家の菩提寺である「鳳源寺」にちなみ、お年寄りは今も長治を「鳳源寺さま」と敬意を払って呼ぶ人が少なくない。播州赤穂の浅野家とは縁戚にあたり、浅野内匠頭の妻で忠臣蔵で有名な瑶泉院(阿久利姫)は長治の娘である。

赤穂義士の木像を安置した義士堂もある「鳳源寺」のすぐ裏手に、こんもりとした比熊山(340m)がある。木々が鬱蒼と茂る山は、三次の人なら誰でも知っている妖怪伝説の舞台だ。
三次盆地は中国地方屈指の古墳密集地で、3,000余の古墳がある。「みよし風土記の丘」の古墳群や住居跡は、古代に大きな豪族がいたことを物語る。 イメージ
比熊山の麓にある鳳源寺は浅野家の菩提寺。境内には大石内蔵助が手植えしたといわれる枝垂れ桜がある。 イメージ
町の北にある比熊山。山上には三次氏の居城跡があり、山麓一帯は「稲生物怪録」の舞台。 イメージ
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妖怪伝説の舞台、比熊山
妖怪物語は「稲生物怪録[いのうもののけろく]」といい、江戸の国学者平田篤胤[あつたね]が称賛し、その後は泉鏡花が作品化したり民俗学者の折口信夫にも紹介された物怪譚である。

主人公は浅野藩藩士の稲生武太夫[ぶだゆう]で、平太郎と呼ばれた16歳の頃の話だ。武術に優れた平太郎は「百物語」という妖怪を呼び出す方法で仲間と肝試しをする。すると、やがて家鳴りがし畳が浮きあがったり、怪奇なことが身の回りに次々と起こりはじめる。

夜な夜な、さまざまな妖怪が出没する。一ツ目の大男、首から手が伸びた女の妖怪…30日間、次々と襲いかかる妖怪に平太郎は立ち向かう。そしてある時、壁の中から大男が現れ「平太郎さんの豪胆には驚いた」と降参し、魔王を呼び出す木槌を友情の証に置いて姿を消したという物語。ちなみに武太夫(平太郎)は実在した人物である。

比熊山の麓には稲生武太夫の碑があり、観光地図には「物怪伝説発祥の地域」とある。奇想天外な妖怪たちも存外、霧の中の幻惑、幻視かもしれない。

霧の海と鵜飼いは三次の観光名物であり、それは三つの川がもたらす豊富な水の恵みでもある
『稲生物怪録絵巻』のポストカード
(写真提供/三次商工会議所)
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370年の伝統を有する三次人形。藩主浅野長治が江戸から人形師を連れ帰って家臣の子どもの誕生祝いに土人形をつくらせ贈ったのが始まりといわれる。今では唯一の人形窯元5代目の丸本[たかし]さんは「伝統に負けない平成の三次人形をつくっていきたい」と力強く語ってくれた。 イメージ
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