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November 2005 vol.103
日本三大山城にも数えられている備中松山城。市街地の北端にある臥牛山[がぎゅうざん]にそびえ、現存する山城としては随一の高さを誇っている。
城としての歴史は鎌倉時代にまでさかのぼるが、戦国の山城として整備されたのは三村元親が城主となってからのこと。1574(天正2)年の備中兵乱の時には、「砦二十一丸」と呼ばれた出丸が築かれていたと記録に残る。
現存天守は、備中松山藩主水谷勝宗が1681(天和1)年から3年かけて修築したものとされ、二層天守は小振りながらも、威風堂々とした佇まいをしている。1997(平成9)年に復元整備された本丸に続いて、その6年後には天守の大規模修理が完了し、「おしろやま」の愛称で市民に親しまれている。