Blue Signal
November 2005 vol.103 
特集
駅の風景
うたびとの歳時記
大阪駅進化論
天守閣探訪
うたびとの歳時記 「冬至」には「湯治」の意味もあるとされ、この日柚子湯に入れば、一年中風邪をひかないという言い伝えが残る。写真は嵯峨水尾の「柚子庵  六兵衛」の柚子風呂。
一年のうちで、昼が最も短くなる冬至。
この日を境に、
日脚は少しずつ伸びていくが、
むしろ寒さは厳しさを増し、
「冬至冬中冬始め」の言葉どおり、
本格的な冬への準備の日とされる。
柚子湯は、冬至の習わしのひとつ。
ホトトギス俳人であり、
写生俳句を極めた
皆吉爽雨[みなよしそうう]は、
柚子風呂に入る喜びを、
軽妙な句に詠んでいる。
冬至にまつわる風習のなかに、
季節の味わいをたどった。
写生の心を追求した俳人
爽雨は、高浜虚子を宗師と仰ぎ、客観写生俳句の一句風を樹立した大家として知られる。1902(明治35)年福井市に生まれ、生後3カ月で叔父の皆吉家の養子に入った。生家、皆吉家ともに元丸岡藩士。養父皆吉五郎は、1904(明治37)年からの8年間、故郷丸岡町の町長を務めている。何不自由ない生活も、養父の事業失敗によって翳りが見え、住み慣れた丸岡から三国へ、そして福井へと移居を余儀なくされる。しかし、転住した地は自然も人も美しく、冬になれば一面の銀世界が広がっていた。多感な少年期、爽雨はこうした風土に育まれ、自然愛好の情感をじっくりと養っていくのである。

17歳で旧制福井中学校(現福井県立藤島高校)を卒業した後は、大阪の電気設備会社に就職。ここでの大橋櫻坡子[おうはし]との出会いが、爽雨を俳句の道へと誘うことになる。先輩の櫻坡子から業務とともに俳句の指導を受け、入社後まもなく虚子選の『ホトトギス雑詠』に投句を始める。翌年には初入選を果たし、さらに俳誌『山茶花』の編集を若干20歳で担当する。1932(昭和7)年にホトトギス同人に推され、爽雨36歳の時には、第一句集『雪解[ゆきげ]』を虚子の序文、櫻坡子の跋文[ばつぶん]を得て出版している。その後、職を辞して俳句一筋に歩み、“季語の季節感を浸透させる”という、爽雨俳句の指針を貫いた秀句を数多く残している。
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高名をはせても常に謙虚な一俳人としての心を持ち続けた爽雨。81歳の生涯で編んだ句集は11冊にものぼる。
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福井県鯖江市、西山公園中腹にある爽雨の句碑。1952(昭和27)年に市内「雪解」同人の手によって建立されたもので、全国各地に建つ十数基の中の最初の句碑である。
風呂の柚[ゆ]の歓喜の一つ背へまはる 爽雨
一陽来復の春を願う風習
冬至とは、二十四節気のひとつで、旧暦11月の節で立冬より45日後、新暦では12月22日頃にあたる。中国の太陰太陽暦(日本の旧暦)では、冬至が暦の起点とされ、厳粛な行事が行われていた。これが日本にも中世になって伝わり、宮中などでは朔旦[さくたん]冬至といって祝宴が催されていたという。この日を境に、また日が長くなっていくことから、「一陽来復[いちようらいふく]」とも称され、陰すなわち冬が極まった冬至は、陽である春が訪れる機運と考えられていた。こうしたことから、冬至についてはさまざまな言い伝えや風習が残されている。

「冬至七種※」は、「なんきん」をはじめとする「ん」の字が二つ付く食べ物のことで、この日に食すると病気にならないといわれる。柚子湯もまた、冬至の夜の代表的な慣習である。いつから始まったかは定かでないが、江戸時代の銭湯ではすでに行われていたという。黄色い柚子を湯船に浮かべて身体を浸すのは、邪気を払う禊ぎの一種と考えられ、ひびやあかぎれが治るという薬効もあったことから、歳晩のささやかな行事として定着した。

冒頭の句は、柚子湯に入るその瞬間の情景を生き生きと詠った、爽雨晩年の作である。『自選自解皆吉爽雨句集』(1979年)によると、この日の柚子は町の八百屋に自ら足を運び、買い求めたもの。爽雨は、柚子湯を「年々の私の愉悦の一つである」と記している。今年もまた健全に生きた証として、身を養い、季を味わうことの喜びが、季語の表現に込められている。

※なんきん(南瓜)、ぎんなん(銀杏)、きんかん(金柑)、にんじん(人参)、れんこん(蓮根)、かんてん(寒天)、うんどん(饂飩)
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柚子実る静寂の里
京都市の北西、愛宕山の西麓に、嵯峨水尾[さがみずお]と呼ばれる谷沿いの小さな集落がある。山紫水明のこの里は、古くから良質の柚子の産地として知られる。柚子の原産地は中国の揚子江上流で、奈良時代に渡来したとされるが、水尾は日本における柚子栽培発祥の地ともいわれている。山の斜面に広がる柚子畑だけでなく、屋敷の中、石垣の間、道端など至る所に柚子の大木が茂り、まさに柚子とともに暮らしがある。柚子の栽培農家を営む松尾文子さんによれば、水尾産の柚子は土質に恵まれ、香りが際だっているのが特徴という。収穫時期を迎える晩秋になると、辺りは柚子のさわやかな香気に包まれる。収穫された実は、和菓子や味噌などにされるほか、この地を訪れる人々へのもてなしの湯に浮かべられる。

柚子は、昔から万病のもとである風邪の特効薬といわれてきた。また、木としての寿命が長いため、「柚寿」という当て字で書かれる縁起ものでもある。冬至の柚子湯は、一年の疲れを取り去り、翌年の健康を願う意味が込められた、先人の知恵である。
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清い水が湧くところという意味を持つ「水尾」。平安時代から貴族たちの隠棲の地とされ、清和天皇がこよなく愛したことでも知られる。
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