南北に長い日本列島は、自然や気候も地域によって少しずつ違う。そうした環境や、四季の移ろいを慈しむ日本人の気質が織りなす食文化は、長い歴史とともに受け継がれ、今や世界に誇る「和食」となった。2013(平成25)年に「和食;日本人の伝統的な食文化」としてユネスコ無形文化遺産に登録されたことも記憶に新しい。
北長門海岸国定公園にある青海島(おおみじま)から見た長門市仙崎の町。江戸時代には「瀬戸崎」と呼ばれた港町で、童謡詩人 金子みすゞの故郷としても知られる。
仙崎のみすゞ通り。「金子みすゞ記念館」や蒲鉾板を使ったモザイクアートなど、町の中を歩くだけでも仙崎の文化に触れることができる。
現代の日常的に味わう和食の中には、かつて宮中料理などで振る舞われていた食品があり、「蒲鉾」もその一つだ。文献に初めて記載されてから900年以上の時を経て、現代の一般家庭でも食されている。
大和蒲鉾で使う材料は、創業以来、新鮮な天然エソを漁師から直接仕入れる。エソは髪の毛のような小骨が多いため、一般的には流通していない。
一匹ずつ手作業でエソの頭や内臓を除去しながら、胃の内容物などを見てその日の身質を確認する。多い日で300〜400kgを捌くという。
攪拌機と手洗いで内臓の取り残しや血合を洗った後、さらに、冷水にさらして余分な脂肪や汚れを取り除く。この「さらし」の工程で蒲鉾の白さが決まる。
すり身を板に盛りつけてフィルムを巻いた後、遠赤外線で焼き上げる。蒲鉾板の下から火を入れる「焼き抜き」の製法は、かつては炭で行われていた。
蒲鉾という名称は、川岸や湿地に群生する水生植物「ガマ」の穂に由来し、茶色く円柱状の穂が蒲鉾に似ていたからだといわれる。蒲鉾が文献に初めて登場するのは、平安時代の古文書『類聚雑要抄[るいじゅうぞうようしょう]』だ。1115(永久3)年に催された関白右大臣新任による祝宴の膳が図に描かれており、そこには魚のすり身を棒に巻きつけたものが蒲鉾として紹介されている。当時の蒲鉾の形は、今の「ちくわ」に似ていた。古くはナマズ、ハモ、カレイなどのすり身を棒に刺して直火で炙り焼いていたが、江戸中期以降から関西は「焼き」、関東は「蒸し」が主流となった。杉板に貼って焼く現在の形状になっても蒲鉾の名はそのまま残ったのだ。
西日本屈指の蒲鉾の産地の一つにあげられるのが山口県長門市仙崎だ。仙崎は漁業の盛んな町で、仙崎出身の童謡詩人 金子みすゞは、大漁で賑わう浜の様子を童謡に描いている。仙崎の蒲鉾づくりは、1680年代に長州藩主の毛利公に献上したことが始まりという。蒸さずに、蒲鉾板の下から火で焼き通す「焼き抜き製法」が用いられるのが、仙崎蒲鉾の特徴だ。
大和蒲鉾の皆さん。3代目社長の磯野奈緒さん(右から3人目)と妹の周子さん(左端)。周子さんの夫で常務の大野寿史さん(写真右端)。奈緒さんは「うちは、綺麗と丁寧がモットーです」と語る。
天然エソのみで作る大和蒲鉾の看板商品「浜千鳥」。農林水産大臣賞など数々の受賞歴を誇り、贈答品としても人気。お刺身感覚でワサビ醤油をつけていただくのが定番だが、何もつけずに食べても旨みにあふれる。
1946(昭和21)年創業の「大和蒲鉾[やまとかまぼこ]」は、冷凍すり身を一切使わず、水揚げされた新鮮なエソのみを使用している。エソは蒲鉾の原料として最高級の魚。すり身にすると白身の美しさ、旨みの強さ、歯応えにつながる弾力性が際立つ。一定の場所に留まって生息するため、地域や季節によって身質が異なるのもエソの特徴だ。大和蒲鉾ではエソを捌く際に身質を確認しながら、その日の工程を調整する。蒲鉾板の下から火を通す仙崎特有の「焼き抜き」の工程では、まず低温でじっくり焼いた後、本焼きへ移り、ここで「アシ」と呼ばれる弾力をさらに引き出す。上品な白さをたたえた仙崎蒲鉾は、厚さ1cmほどに切って食すと、弾むような食感と豊かな旨みに驚くことだろう。案内された作業場は隅々まで清潔に整えられ、壁には「血合をきれいに取り除くこと」「一匹一匹ていねいに洗うこと」と手書きされた張り紙があった。伝統と品質を守るために、基本を疎かにしない。そんな混じり気のない心意気が感じられた。
参考文献/『かまぼこの歴史』(清水 亘著/日本食糧新聞社)
























