沿線点描 絶景美を求めて 山口線 新山口駅〜津和野駅(山口県・島根県)

絶景

津和野の野坂峠からの眺望。山間の小さな津和野盆地を背景に疾走するSLやまぐち号。(津和野駅〜船平山駅)

※SLやまぐち号は7月10日まで運休しております。7月16日以降の運行状況はホームページ「JRおでかけネット」でご確認ください。

大内氏ゆかりの「西の京」を巡り、SLやまぐち号が走る中国山地を往く

山口線は新山口駅から島根県の益田駅までの路線で、季節限定で人気のSLやまぐち号も走る。
この旅では、新山口駅から維新の志士ゆかりの湯田温泉郷を経て、山陰の小京都「津和野」をめざした。

絶景

新山口駅を起点に、サイクリングコース「秋吉台グリーンカルスト街道」が整備されている。秋吉台と秋芳洞を走るコースで、湯田温泉に立ち寄るなど、快適な自転車旅ができる施設が充実している。

新山口駅から、俳人と詩人ゆかりの古湯へ

 「フォー」。力強い轟音が、駅構内に響きわたる。迫力ある漆黒のボディーが美しい蒸気機関車を一目見ようと、ホームには人だかりができる。山口線は今もSLが走る路線で知られ、全国方々から鉄道好きがこぞって足を運ぶ路線だ。

 起点の新山口駅は山陽新幹線や山陽本線、宇部線が乗り入れる要衝だ。駅を離れた列車は進路を北に椹野川[ふしのがわ]に沿って走る。一つ隣の周防下郷[すおうしもごう]駅を過ぎ、上郷駅を過ぎると北東の方角に進路を変え、やがて湯田温泉駅に到着。

 駅前で迎えてくれるのは、見上げるほど巨大な白い狐のゆう太像だ。白狐が湯治に利用していたという伝承が残る湯田温泉は約800年の歴史を誇り、山陽路随一の湯量が湧き出る古湯だ。幕末維新の志士や漂泊の俳人 種田山頭火[たねださんとうか]もたびたび訪れた温泉でも知られる。駅から北にほどなく行くと、「湯の町通り」や「温泉通り」など温泉郷にちなんだ一角がある。周囲には、観光施設「狐の足あと」を中心に7つの足湯が点在し、湯に足をつけた学生たちが談笑している。同じように腰をおろして一息。その心地よさに、つい時間を忘れてしまう。

 また、湯田温泉は夭折[ようせつ]の詩人 中原中也[なかはらちゅうや]の生まれ故郷だ。生家の跡地には中也を顕彰[けんしょう]する「中原中也記念館」が建ち、30年という短い生涯を駆け抜けた詩人の軌跡が紹介されている。

 山口市周辺では古くから漆器作りが盛んで、室町時代には守護大名 大内[おおうち]氏の財政を支える輸出品の一つに数えられた。明治時代にはその漆器を「大内塗」と呼び、やがて国の「伝統的工芸品」に指定された。そんな匠の技術を後世に伝えようと山口ふるさと伝承総合センターでは、さまざまな体験教室を実施している。「産業として維持するためには、もっと身近なものにする必要があります。行政や大学とも連携して、広報に力を注いでいます」と話すのは、職人の中村理恵さん。大内塗は現在、4つの工房によって守られている。

1994(平成6)年に開館した中原中也記念館。館内の展示室では、自筆原稿などの関連資料を通じて中也の生涯や詩の世界が紹介されており、定期的に展示替えを行っている。
(画像提供:中原中也記念館)

大内塗漆器振興協同組合の中村さん。「渋みのある深い朱色の上に、大内氏の家紋をあしらった模様が大内塗ならではの特徴です」と話す。

600年前に京より漆職人を連れ「大内千人椀」を作らせたのが始まりといわれる。大内人形は、ひな祭りや夫婦円満の祈願で贈呈されるという。

幕末維新の志士ゆかりの湯田温泉郷を歩く

湯田温泉街に点在する足湯「湯の香通り」。アルカリ性の高い泉質で、肌をすべすべにする美肌の湯として知られる。

観光拠点施設「狐の足あと」では、館内でも足湯が楽しめる。施設内にはカフェが併設され、観光の回遊拠点となっている。

「白狐伝説」の狐を添えたソフトクリーム。カフェのメニューを味わいながら、足湯に浸かることもできる。

 山口市の中央部に位置する湯田温泉は、800年の歴史を誇る温泉郷だ。一日に2,000tもの豊富な湯が湧き出る温泉は、「美肌の湯」として親しまれている。また、幕末に活躍した高杉晋作や坂本龍馬などが訪れ、倒幕、王政復古の密談をしたといわれるなど、維新の志士ゆかりの地として知られる。

 湯田温泉の泉質は無色透明のアルカリ性単純温泉で、源泉は72℃と高温だ。

大内文化の西の京から山峡の城下町 津和野へ

篠目駅に入る列車。ホームの傍には、1922(大正11)年に設置された蒸気機関車に水を補給するレンガ造りの給水塔が佇む。現在は使用されていない。

 上山口駅からほど近い山口ふるさと伝承総合センターから北に行くと、桧皮葺[ひわだぶき]が美しい五重塔が見えてくる。国宝「瑠璃光寺[るりこうじ]五重塔」は、26代目の大内盛見[もりみ]が先代の供養塔として建立した大内文化のシンボルだ。その文化は、室町時代に長門周防国の守護に任じられた24代目の弘世[ひろよ]が京の都を模したまちづくりに始まる。朝鮮王朝や明との交易で財を成した大内氏は、その財力を背景に以後200年、文化の発展と振興に尽力した。周辺には遺構や史跡が点在し、大内氏が築いた“西の京”の面影を残している。

漆黒のD51(デゴイチ)と津和野駅の転車台

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煙を吐きながら津和野をめざして走るSLやまぐち号。写真は「D51形200号機」。

津和野駅の転車台で車両を回転させるSLやまぐち号。鉄道好きが集まるシャッターポイントの一つ。

復路(津和野駅〜新山口駅)のために、石炭をボイラー側に寄せる作業と水を補給するSLやまぐち号。

 SLやまぐち号は蒸気機関車で、主に土・日・祝日に限り新山口駅から津和野駅間を一日一往復で運行している。牽引するのは2種類の蒸気機関車で、時期によって運転車両が変わる。「貴婦人」の愛称で親しまれるC57形と、力自慢の「デゴイチ」ことD51形だ。

 津和野駅では蒸気機関車に水などを補給するために現役の転車台が利用されている。転車台で向きを変える機関車を見学するため、鉄道ファンが集まる人気スポットだ。

新山口駅で販売される「SLやまぐち弁当」。具材は、郷土名物にちなんだものが並ぶ。

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瑠璃光寺の五重塔。奈良の法隆寺、京都の醍醐寺と並び、「日本三名塔」に数えられる。

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萩生まれの日本画家で地質学者の高島北海によって命名された長門峡。1923(大正12)年に国の名勝に指定された。

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石州瓦の家並みの中を走り抜け、津和野川を渡るSLやまぐち号。津和野橋には多くの見物人が手を振りながら出迎える。

 上山口駅を出発した列車は、宮野駅を過ぎるとやがて山間部に入っていく。次の仁保[にほ]駅から篠目駅にかけては、急勾配が連続する山口線屈指の難所だ。瀬戸内側と日本海側に川が流れ込む分水嶺にも近く、列車は懸命に峠を越えていく。レンガ造りの給水塔が見えると、篠目駅だ。かつて蒸気機関車に水を補給するために利用された給水塔は、鉄道遺構として現在もその姿を留めている。列車は篠目川に沿って北上すると、まもなく長門峡[ちょうもんきょう]駅だ。

 「長門峡」は国の名勝に指定される渓谷で、新緑や紅葉の景勝地で知られる。約5kmのハイキングコースが阿武川沿いに設けられ、清流が穿[うが]つ荒々しい奇岩や巨岩、険阻な断崖など自然豊かな渓谷美が楽しめる。

 列車は阿武川の鉄橋を渡ると、さらに進路を北に向けて中国山地を分け入っていく。大小のトンネルを幾度となくくぐり抜け、やがて津和野川を渡ると朱色に光る石州瓦が見えてくる。今回の目的駅、津和野駅だ。

 津和野は、“山陰の小京都”と呼ばれる城下町で、駅から南に少し行くと、白壁の旧家や豪壮な武家屋敷が並ぶ「本町通り」「殿町通り」に行き着く。映画のセットのような通りには文豪 森外や思想家の西周[にしあまね]が通った藩校「養老館」や、家老屋敷の立派な表門など、藩政時代の史跡が現存し往時を偲ばせている。掘割の水路に目をやると、色とりどりの鯉たちが口をパクパクさせながら悠々と泳いでいた。

 SLやまぐち号が駆け抜ける山口線は、足湯に癒やされ、栄華を極めた大内氏の文化に触れつつ、山峡の城下町を巡る旅であった。

郷土の偉人、おう外ゆかりの津和野を巡る

殿町通りにある藩校の養老館と掘割。鯉の数は少なくとも300〜500匹はいるのだとか。

代々、津和野藩の藩医だった森家の旧宅。森外は上京する10歳までここで過ごした。ほど近くには、西周の旧居もある。

 島根県南西部、山口県との県境に広がる津和野町は“山陰の小京都”と呼ばれる。目抜き通りには老舗の酒蔵や石州瓦の商家などの文化財が点在し、藩政時代の遺構も残り、旅の話題に事欠かない。そんな通りの水路には赤や白や黒などの鯉が通りに彩りを添えている。

 津和野町は軍医としても活躍した文豪 森外や西洋哲学者 西周の生誕地で、町内には外を顕彰した記念館や旧宅が保存展示されている。

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