続・沿線点描 スローな旅 若桜鉄道 郡家駅〜若桜駅(鳥取県)

懐かしく、ほっとする気分を乗せて、中国山地を走る人気の“レトロ鉄道”

若桜鉄道若桜線、若桜と書いて「わかさ」と読む。
鳥取県の山中、郡家駅から若桜駅を結ぶ第三セクター鉄道。全長わずか19.2kmの短い路線だが、
沿線の鉄道関連施設の多くが国の登録有形文化財で
鉄道ファンには特に人気の路線だ。

若桜鉄道の車窓から見える田園風景。
(徳丸駅〜丹比駅)

かかしのまち 八頭町から“ハヤブサライダー”の聖地へ

 ほのぼのした小さな木造駅舎に、素朴なホーム、川に架かる橋梁、というより「鉄橋」と口にするほうが似合う若桜鉄道の路線は、どこもかしこもノスタルジックだ。国の登録有形文化財の鉄道関連施設が、約20kmの沿線の上に23カ所もあって、いわば路線まるごと“鉄道文化財”。山間の小さな路線にもかかわらず鉄道好きや写真愛好家が全国からやって来る人気路線である。

「八頭町には何もない」という言葉を聞くことが多く、ならば皆でかかしを作ろうと始まった「ふるさとかかし」。八頭町観光協会の佐藤さんは、「かかし一体の完成まで二日半かかります。一体一体に皆さんの思いが込められています」と話す。

1929(昭和4)年築の因幡船岡駅。駅舎は一時期、縫製工場をしながら駅業務サービスを行っていた。

 中国山地の山々に囲まれた町、鳥取県の八頭[やず]郡八頭町。起点はJR因美線の郡家[こおげ]駅。難読の「こおげ」とは河川から離れた水利に恵まれない土地を言うそうだが、八頭の町はちょっとばかり不思議な雰囲気だ。駅構内をはじめ銀行や警察署など町のあちこちに、人と見紛うばかりの衣装を着たかかしがいて、驚かされる。「現在約450体のかかしが町の方々にいます」と話すのは八頭町観光協会の佐藤竜也さん。2010(平成22)年から始めた町おこしだ。

 かかしに見送られて列車は郡家駅を後にした。中国山地に分け入るように南下。八頭高校前駅を過ぎると、まもなく八東[はっとう]川に架かる第一八東川橋梁だ。長さ139m、若桜鉄道で最長。緩やかにカーブした橋梁はもちろん文化財。減速して「鉄橋」を走る列車の車窓から八東川とその上流の中国山地の山々の稜線が見える。鉄橋を渡ると因幡船岡駅。駅舎、プラットホームも文化財。赤い屋根の愛らしい駅だ。まるで、懐かしい家族や友人が迎えに来てくれている気がする。

隼駅舎内には、かつての手荷物貨物取扱所窓口などが現在も残る。1930(昭和5)年に若桜駅まで全線開通するまでは終着駅だった。

 列車はここから進路を東に変える。やはり文化財の隼駅はさらに小さな、民家のような駅だ。駅舎内には「隼駅訪問ノート」と記されたノートが置いてあり、ここを聖地とする人たちが全国にいる。実は国産大型バイク「ハヤブサ」のライダーたちの聖地になっていて、毎年8月に催される「隼駅まつり」には全国各地から約2,000人ものハヤブサライダーが集うという。隼駅が一年でもっとも賑わう日で、これも地域の人たちが「隼駅を守るため」に始めた催しだ。

駅舎内に置かれた「隼駅訪問ノート」。ノートには、全国方々のハヤブサライダーがどこから来たのかが記されている。近年は女性ライダーが増えているそうだ。

1929(昭和4)年築の隼駅。駅舎のほか、乗務員休憩所なども設けられていた。

八頭町名物「ふるさとかかし」

かかし村役場には、これまで製作したかかしが保存されている。

かかし村役場1階の事務所。2階の工房では、毎週水・土曜の13時半〜15時半にかかしを製作している。

 八頭町の町おこしの「ふるさとかかし」は郡家駅や周辺の写真店やスーパー、道の駅などに点在し、若桜駅でも駅長姿のかかしが出迎えてくれる。そのかかし製作の拠点が「八頭ふるさとかかし村役場」で、施設内にさまざまな格好をしたかかしがいる。1階は事務所で、スタッフは全てかかし。「何でもやる課」、「お世話します課」など設置され、全国にかかしをPRしているそうだ。2階は工房で、「かかしづくり体験」も実施。かかし製作で最も注意を払うのは、表情づくりなのだとか。体験は毎月第2、4土曜日に実施している(要予約)。

八東川に沿って、氷ノ山の麓の若桜町へ

田園風景を走る観光列車「昭和」。(丹比駅〜若桜駅)

1932(昭和7)年築の安部駅。駅舎は1930(昭和5)年の全線開通から約2年遅れて竣工された。映画『男はつらいよ』の舞台にもなった。

安部駅で美容室を営む岡垣さん。「若桜鉄道は主に学生が利用しています。時代は移り変わりましたが、列車から見える春の桜の絶景は昔のままで美しいですよ」。

八東駅に保存、展示される有蓋緩急車「ワフ35000型」。宇都宮貨物ターミナル駅に長期保管されていたものを有償で譲り受けた。

 郡家から4つ目の駅、安部駅まで乗車時間約15分。ホームには、見たことのある外見のかかしが待合所で腰掛けている。あの、フーテンの「寅さん」だ。安部駅は『男はつらいよ』(第44作)のロケ地になった駅で、駅舎内には撮影当時の写真などが展示されている。その駅の構内に岡垣仁美さんが営む美容室があり、岡垣さんは傍ら、切符の受け渡しや清掃など、委託で駅の管理を行っている。

 「映画の撮影時にこの店はまだありませんでした。学生の頃に私も利用した駅で、その頃は駅長さんがいました。当時と利用状況は変わりましたが、駅舎や風景は昔のままです。むしろ変わらないことが若桜鉄道の良さだと思います」と岡垣さん。そんな岡垣さんに見送られて、列車はさらに東へと進む。

 八東駅の駅舎とホームも文化財で、構内には有蓋緩急車[ゆうがいかんきゅうしゃ]である「ワフ35000型」が保存されている。車掌室と貨物室が一体となった車両で、ローカル線の貨物廃止などで姿を消していった。現存する展示車両では日本唯一で、若桜線SL遺産保存会が地域活性化のため有償で譲り受けたそうだ。八東駅を過ぎると文化財の第二八東川橋梁にさしかかる。車窓の風景はゴツゴツした岩石地帯で、火山から噴出した溶岩が冷え固まり、40〜70万年前に形成された地形だ。

“地元の人が乗りたくなる”観光列車

窓枠にまで木を使用している観光列車「昭和」の内装。木を基調にした車内が昭和レトロなイメージを演出している。

ディーゼルエンジンの気動車WT3003を改修した観光列車「昭和」。

 若桜鉄道では、観光列車が2018(平成30)年から運行している。観光列車「昭和」は“地元の人が乗りたくなる車両”をコンセプトに、鳥取県八頭町から若桜町を結んで走る。車両名「昭和」は沿線上の駅舎やホームなどの懐かしい風景が昭和をイメージさせることに由来。シンボルマークは春の車窓を彩る「桜」を模している。青色の車両は川や水をイメージし、内装にはソファーやテーブルを設置し、ふんだんに木を使用している。

 平日は通常運行で、毎週土・日曜に限り旅行ツアー限定の観光列車として臨時運行している。また、3月2日には新観光列車「八頭号」がデビューした。

 徳丸駅を過ぎるとおだやかな田園風景が続く。丹比[たんぴ]駅もまた文化財で、その路線先の「落石覆」、「雪覆」も文化財。この辺りは豪雪地帯だ。やがて列車は終着の若桜駅に着いた。若桜駅は鳥取県最東部の駅で、古き良き昭和レトロな雰囲気がいくつも残っている。駅舎をはじめ駅構内には、旧国鉄時代からの手動式転車台や給水塔、機関車庫など近代化鉄道遺産の数々が当時のまま保存。C12蒸気機関車やDD16形ディーゼル機関車も見学できて、ちょっとした“鉄道博物館”だ。

 若桜町は氷ノ山[ひょうのせん]の麓にあって、城下町だった。古くから但馬[たじま]、播磨[はりま]、美作[みまさか]に通じる交通の要所で、宿場町としても賑わった。

 わずか20kmほどの短い鉄道の旅だが、若桜鉄道は鉄道も沿線の町も全てがノスタルジックで、懐かしい気分に満たされる。

火災から寺を守るために、蔵以外の建築が禁止された若桜町の蔵通り。約300mの白壁土蔵群の通りには、現在20の蔵が残る。

若桜駅構内にある機関車転車台。底はすり鉢状になっている。

若桜鉄道の近代化鉄道遺産

若桜駅構内で展示、保存される蒸気機関車「C12」と給水塔。(給水塔は登録有形文化財)

DD16形ディーゼル機関車も展示されている。

 若桜鉄道の前身は「鉄道省若桜線」で、1930(昭和5)年に開通。その後、若桜鉄道が1987(昭和62)年に第三セクター鉄道として引き継いだ。沿線には近代化鉄道遺産が数多く残り、そのほとんどが今も現役だ。

 なかでも、若桜駅には鉄道遺産がまとまって保存されている。かつての信号灯の保管室や転轍機を扱う係員の待機所、除雪された雪を流す水路などこれらも全て国の登録有形文化財だ。

 また、若桜駅には蒸気機関車「C12-167号機」も展示。1944(昭和19)年から1946(昭和21)年まで鳥取機関区に所属し、若桜線を走っていた車両だ。

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