台車の基本構造は同じでも、1つ1つ必要な検査・修繕は違ってくる。柳田は、若手技術者に“この台車には何をすればいいのか”をまず考えさせているという。
「規定通りに行うことが安全の条件」という柳田。車輪と台車枠との組立工程では、ボルトを締めた箇所には印を入れるなど、細かなルールが設けられている。
白山総合車両所は、北陸新幹線の定期的な検査・修繕を行う車両基地として、2014(平成26)年4月に開所した。現在、車両検修センターにおいて、技術助役として検査の工程や品質管理を担当する柳田は、この新たな総合車両所の開所に合わせて赴任。翌年3月の北陸新幹線開業までの1年間は、検修作業を行うための設備環境を整えるなど、車両所の立ち上げ準備から携わってきた。
柳田は、1980(昭和55)年に当時の国鉄に入社し、山陽新幹線の検査・修繕拠点である今の博多総合車両所に配属となった。以来、約35年間、車輪やモーターなどの走行装置を搭載する「台車」のメンテナンスを主な業務とし、新幹線検修におけるキャリアを積んできた。今でこそ、作業のためのマニュアルや手順書があるが、入社した頃の職場は“見て覚える”という職人気質の世界。柳田は、現場で先輩の作業を見て手法を学び、一つひとつの技術を自分のものにしてきたという。「例えば、新幹線の台車には2本の車軸があり、その車軸間の距離は2m50cmと決まっています。検査では、その誤差を±1mm単位で管理するのです」と、身に付けた技術の精度を誇る。こうして培ってきた検修技術や知識を、新たな北陸新幹線の基地で役立たせたいと、慣れ親しんだ博多を離れ、ここ白山へ赴く決意をしたのだという。
柳田は、デスクワークの合間を縫って場内を巡回し、仕上がりを確認するとともに、若手社員の質問にも答えている。
「総合車両所の立ち上げに携われる機会など、そうはありません。白山に北陸新幹線の基地ができると聞いた時、ぜひ行きたいと迷わず手を挙げました」と、柳田は語る。しかし、赴任した当初は、建物があるだけで内部はがらんとした状態。準備期間の1年は、「全てがゼロからのスタート」だったそうだ。新幹線を検査し、修繕するために必要なものは何か。柳田は、博多からともに赴任したメンバーらと、北陸新幹線W7系の図面を見ながら、ボルトの大きさを確認し、どんな種類のスパナがいくつ要るかなど、工具や材料の細かな洗い出しから始めたという。
新幹線の定期検査には、走行距離または検査周期を基準に、4種類の検査※がある。車両検修センターでは、そのうちの「交番検査」、「台車検査」、「全般検査」を受け持ち、各検査は工程という流れに沿って実施される。「車両所内のどこで、どの作業を行うかで効率が違ってきます。工程を考えながら、それぞれの作業場所を決めるのも大きな課題でした」と話す。博多での経験があったとはいえ、試行錯誤した準備期間。「工程が間に合うか、材料は足りているかと不安でしたが、自分たちが検修した台車を搭載した車両が無事試運転を終えた時は、苦労が一瞬で吹き飛ぶほどの感動と達成感がありました」。
実は柳田には、技術に自信が持てず、どういう方向に進めば良いのか、迷っていた時期があった。そんな時、上司から「泣こかい、飛ぼかい、泣くよっかひっ飛べ」という言葉で励まされた思い出がある。“迷っているくらいなら、積極的にやってみるべきだ”という意味の鹿児島の方言。あの言葉がなかったら、自ら希望してここに来ることもなかったと振り返る。「思い切ってこちらに来て良かった」と言い切る柳田は、若い社員たちにも、行動することの大切さを伝えている。
車両業務研究発表会に向けてのグループミーティング。資料内容やプレゼンテーションの流れを全員で情報共有する。
「新幹線の安全は、検査・修繕の確かな技術力によって保たれています」。そう語る柳田は、今、知識の習得も含めて、若手技術者のレベルアップに取り組んでいる。現場で徹底させているのは、「見つける検査」。自分の持ち場だけで仕事を完結させず、周りを見る目を身に付けさせる。「前の人がチェックしているから安心するのではなく、違和感があれば指摘する。“あれ?”という気付きが、走行の安全性や快適性を支えています」。
さらに、車両メーカー、グループ会社の技術者とともに、部品の種類やメンテナンス、不具合事例などを学ぶ勉強会も定期的に実施。ボルトの緩みなど、検査箇所の不備を見つけさせる試験も導入し、できなかった若手には見るべきポイントを丁寧に指導する。こうした取り組みは、白山総合車両所の未来を担う技術者を育成すると同時に、新幹線の安全を途切れることなく継承していくためだ。「立ち上げから今日までやってきて、これが完成形ではありません。新しい車両所として、より良い検修のあり方を考えていきたい」。柳田は、さらなる先を見据えている。