開通から今年で80周年を迎えた姫新線は、
兵庫県姫路駅から岡山県新見[にいみ]駅を結ぶ全長158.1kmの路線。今回は、美作[みまさか]の要衝・津山駅から新見駅間の71.8kmを旅する。
旧出雲街道に沿ってディーゼル列車は、中国山地の山懐の町へと向かった。
列車は旧出雲街道に沿って田園の中を走る。(美作追分駅〜美作落合駅)
旧出雲街道沿いの津山市街地の城東地区には、防火用の袖壁である卯建(うだつ)の上がる町家が軒を連ねる。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
津山市街を南北に流れる宮川から望む津山城の備中櫓。かつては五層の天守閣が聳えていた。
旧出雲街道は古代から山陰と山陽を結ぶ重要路。姫新線はその旧出雲街道に寄り添うように中国山地の山峡を縫って走る。1936(昭和11)年に全線開通し、今年で80年を迎えた。ピーク時に比べると沿線の利用客は減少したが、昨年度は増加に転じ、今も中国山地の東西と陰陽を結ぶ役割に変わりない。
出発点の津山は旧国名でいう美作国の要衝、森氏4代、松平氏9代の城下町。400年前の町割りがそのまま残る城東地区には、旧出雲街道から南北にいくつもの小路が延び、なまこ壁に格子窓の商家や町家が低い軒を連ねている。火の見櫓[やぐら]などもあって、古い時代の趣を色濃く残している。宮川に架かる橋から仰ぐ津山城の城壁は実に重厚感がある。
津山駅は、町の中心から吉井川を渡った対岸にあり、岡山と津山を結ぶ津山線のほか因美線も乗り入れるターミナル駅。乗り込んだ列車はディーゼル音とともに駅を離れる。すぐに、「津山まなびの鉄道館」が目に入る。旧津山扇形機関車庫を今年4月にリニューアルオープンした津山の新しい観光スポットだ。見どころは、国内に現存する扇形機関車庫で2番目の規模を誇る「旧津山扇形機関車庫」や、日本に1両しかないディーゼル機関車「DE501」を含む13両の展示機関車。子どもも大人も楽しめて人気がある。
津山まなびの鉄道館の「旧津山扇形機関車庫」。機関車収容線数は17を誇り、経済産業省の近代化産業遺産に指定される。JR西日本の登録鉄道文化財でもある。
1923(大正12)年築、木造平屋建ての美作千代駅。プラットホームや改札なども大正時代の面影が残る。
1907(明治40)年に建てられた木造校舎の旧遷喬尋常小学校。現在は一般開放され、自由に見学できる。
列車は並走する津山線と分かれ、吉井川の鉄橋を2つ渡ると美作千代[みまさかせんだい]駅。大正時代の木造瓦葺き屋根の小さな駅舎は姫新線でもっとも古い。待合室や窓口は改修がなされているとはいえ壁板や天井、木のベンチなど佇まいは昔のまま。日頃、近代的な建物を見慣れている者には、ノスタルジックで、ほっとした気分にさせられる。
美作追分[みまさかおいわけ]駅を過ぎると風景はいよいよ山気[さんき]を帯びてくる。「追分」とは分岐点を意味し、西の旭川水系と東の吉井川水系の分水嶺に由来している。汽笛が数回鳴り響き、険しいカーブが続く。吉井川に代わって旭川沿いに列車は走っている。
久世[くせ]駅では、旧遷喬[せんきょう]尋常小学校の校舎が必見だ。堂々たる明治期の洋館は国の重要文化財で、たびたび映画やドラマにも登場する。久世駅を離れ、やがて到着するのは中国勝山駅。中国山地の山懐の小さな城下町だ。
高瀬舟の往来で賑わった旭川最上流の船着場の勝山。写真左の山稜は城山、写真右は太鼓山。
文豪谷崎潤一郎は戦渦を逃れ家族で勝山に疎開した。勝山の美しい風景が心の支えになっていたといわれる。
昔のままの姿を唯一残す上級武士の屋敷を修復した武家屋敷館(渡辺邸)。現在、土蔵には武家に関する資料が展示されている。
勝山は旭川河畔の勝山藩二万三千石の城下町だが、商都でもあり、旭川を往来した高瀬舟の最上流地だ。河畔には、物流の集積拠点として荷の積み降ろしを担った石畳の高瀬舟発着場跡が、往時の繁栄を今に伝えている。
富原茶を栽培する「寿園」代表の梶岡さん。「富原茶の歴史は、江戸時代に始まったとされます。土壌が肥沃な富原は茶の栽培に適しています」と話す。
町の目抜き通りの旧出雲街道から、椀を伏せたような2つの小高い山が見える。本丸が置かれた城山、出丸のあった太鼓山にはかつての高田城(勝山城)が築かれていた。山の麓に開かれた落ち着いた町の佇まいが実にいい。酒蔵の煙突、白壁の土蔵、格子の町家。家々の軒先には暖簾[のれん]が下がり、涼やかな趣が心を和ませる。平成21年度の『美しいまちなみ大賞』(国土交通大臣賞)を受賞し、見物客も増えている。
勝山は、文豪谷崎潤一郎が8カ月間滞在した疎開先で、『細雪』の一部はここで執筆されたそうだ。谷崎を訪ねて永井荷風もこの町に逗留している。フーテンの寅さんの『男はつらいよ』シリーズ最終回のロケ地にもなった。武家屋敷も残っていて散策が楽しい。そんな勝山を後に、列車はさらに西を目指して走る。
新見の町に残る路地。明治時代から昭和中頃まで栄えていた花街があった。三味線や太鼓が聞こえてきたことから御殿町三味線横丁と呼ばれた。
旭川のトラス橋梁を渡るとますます山深くなり、上り勾配で列車の速度がスローになる。山間に汽笛が響き渡り、何度もトンネルをくぐると富原駅だ。富原は茶の産地で知られ、明治期から昭和期にかけて手揉み製茶場が150軒以上もあったという。現在では数少ない富原茶を製造販売する寿園の代表・梶岡泰士さんは、「富原茶は、山間の傾斜地で栽培し、冬場の冷え込みから害虫が少ない。無農薬、無添加の身体にやさしい茶です」。勧められた茶は、独特の香りで深みのある味わいだ。
列車は山裾を分けるように走り、丹治部[たじべ]駅を経て高梁川を渡ると旅の終着の新見駅だ。伯備線、芸備線が発着する中国山地のターミナルで、古くから交通の要衝だ。中国山地の豊かな自然と山々に抱かれた美しい町を辿る旅だった。
勝山の「町並み保存地区」。民家や商家には暖簾が掛かり、電線地中化工事など官民一体となった町づくりを行っている。
檜の木組みが続く勝山新町商店街の“ウッドストリート”。勝山は林業や木材産業が盛んな「木材の町」で知られる。
中国勝山駅を出ると、「檜舞台」と書かれた商店街が続く。通称「ウッドストリート」には、通りの両脇に檜の木組みが設けられ、それが「木材の町」を思わせる。大きく蛇行する旭川に寄り添う勝山は、かつて中国山地の豊かな材木や鉄を高瀬舟で瀬戸内へ運び、帰りには塩や塩干魚などを持ち帰り、繁栄した山間の町だ。
商家や民家の軒先には、さまざまな趣向を凝らした暖簾が掛かる。
商店街を抜けると南北に旧出雲街道が通じる。1985(昭和60)年に岡山県下初の「町並み保存地区」に指定された一角には、宿場町として賑わったかつての佇まいが残されている。電柱がない通りには、創業200余年の造り酒屋をはじめ、白壁・なまこ壁の蔵や商家が軒を連ねる。軒先には暖簾が下がり、店や各家ゆかりの絵柄があしらわれている。教会や銀行にまで暖簾が下がる景観は独特で、現在約115軒が暖簾を飾っているという。
ひのき草木染織工房&ギャラリーで勝山の暖簾を製作する染織家の加納さん。「暖簾の製作には約一週間かかります。勝山の人たちにも喜んでもらい、今後も要望がある限り作り続けていきたいです」と話す。
「教会に暖簾が下がるのは、勝山だけです」と話すのは、暖簾を手がけた染織家の加納容子さん。「当初は町おこしで始めたわけではなかったのですが、今では全国から訪ねてくださる人が増えました」。色とりどりの暖簾が迎えてくれる“暖簾の町”を、旭川のせせらぎとともに歩けば、自然と心が和んでくる。