託宣神事の一つ「布舞」。呪文を唱えながら白木綿を振り回し、やがて神懸かりになって神の託宣をする。演じるのは妹尾さん。

特集 岡山県高梁市・井原市 備中神楽

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伝統の神事と舞いの技を伝承する神楽太夫

吉備高原神楽民俗伝承館では、備中神楽を本来の姿に近い形で後世に伝えるために、展示やイベントを通して継承活動を続けている。

吉備高原神楽民俗伝承館に展示される鬼の古面。「国譲り」で建御名方命がつける。作者も年代も不明だが、面の表情には作り手の個性が出ている。

 成羽川沿いから山道を進んでいると、不意に大きく波打つような起伏が続く吉備高原の風景が広がった。高梁市に隣接する井原市美星町。その名前の通り、夜には満天の星を仰ぐ美しい山里だ。ここにある中世夢が原「吉備高原神楽民俗伝承館」を訪ねた。

 備中の伝統芸能である備中神楽を、古式のままの形と技を後世に継承するため設けられた施設で、神楽の古面、古い衣装や道具類を展示し、備中神楽の舞台である神殿[こうどの]が常設されている。「神殿とは神座[かむくら]のことで、四隅の柱に榊[さかき]や竹をくくりつけ、横木には日本国土の六十四州を表す64本の御幣を立て、天空界から神々をお迎えするのです」。備中神楽伝承研究会会長の妹尾建治さんはそう説明してくれた。

 民俗学者の折口信夫[おりくちしのぶ]はこの「神座」が訛[なま]って神楽に転じたと説いている。現在では神楽を演じるのは専門の「神楽太夫」と呼ばれる人たちだ。神楽太夫は普段は地元で農業などに従事している。職業上のプロではなく、備中神楽という無形の民俗文化財の伝承者というのが適切だろう。

 神楽太夫は岡山県の神社庁に登録され、備中地域では約200人が、40ほどある神楽を演じる団体、神楽社に属している。7人ほどが神社や個人などの依頼で神楽を奉納する。伝承館では、そうした各神楽社の枠を越えて互いに協力して技を研鑽し、若い後継者の育成にも取り組んでいる。

白蓋の紙の飾りは太夫の手作り。紙飾りや注連縄のほか、小道具など神事の決まり事通り古式に倣って作り、飾る。伝承研究会の山室茂幸さんは神楽面も自分で作る。

 荒神神楽の進行を大きく解説すると、最初に場を清める「榊舞[さかきまい]」や、神を先導する猿田彦の舞いなどの「神事舞[しんじまい]」、神に鎮座を願う「白蓋神事[びゃっかいしんじ]」、次に演劇性の高い「神代神楽」、そして来年の吉凶を占う「託宣神事[たくせんしんじ]」となる。白蓋神事は、神殿の天井中央に吊り下がる千道[ちみち]と称する切り紙飾りが、神職役の太夫の綱さばきによって神殿の中央に座す神職の頭上で激しく動く。リズミカルな太鼓がその神聖な場を徐々に盛り上げ、やがて動きが大きくなった瞬間、神々が神殿に降臨し鎮座する。

神代神楽の「国譲り」は、神殿を所狭しと神々が動き回る。神事の「静」に対して、娯楽性の高い「動」の舞いだ。

 神代神楽の一つである「国譲り」は、国譲りに同意しない大国主命[おおくにぬしのみこと]の子である建御名方命[たけみなかたのみこと]が、高天原から遣わされた経津主命[ふつぬしのみこと]、武甕槌命[たけみかづちのみこと]の2神と合戦する。鬼面をつけた建御名方命は乱戦に破れ降参する。早い動作の勇壮な舞いと軽妙な台詞まわしなど娯楽性が高く、見ているとこちらの身体も自然と動いてくる。

 託宣神事の舞いの一つである「布舞[ぬのまい]」は、一反の白木綿を持って振り回し、「ゴーヤゴーサマ、ゴーヤゴーサマ」と呪文を唱えながら乱舞する。そうして布を身体に巻き付けて神懸かり状態に陥り、他の太夫が身体を支えて座らせる。神懸った太夫の前に神職が進み出てご宣託を請う。これが式年の大掛かりな荒神神楽だ。村中が総がかりで田や畑に神殿を仮設し、篝火[かがりび]を焚いて夜通し神楽が行われるという。

 神事から神代神楽、そして託宣、終わりの神送りまでのどの場面どの瞬間も、神も太夫も観衆も一体となった饗宴の空間が創り出される。今ではイベントで舞う機会も増えているという。東京国立劇場での公演もフランス公演でも大喝采を浴び、妹尾さんは傍らで「私たちの伝統芸能が世界でも評価されたことは本当に誇らしいです」と語った。

神代神楽の一つである「大蛇退治」。素戔嗚尊が出雲の国に降りて、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して奇稲田姫(くしなだひめ)を救うという神話を神楽にしたもの。場面は大蛇退治のクライマックス。

 妹尾さんたち伝承研究会のメンバーは、戸外に神殿を設けて開催される「中世夢が原大神楽」にも出演している。公演は9月、美星町の星空の下で繰り広げられる夜神楽は想像するだけでもすでに幻想的である。

 起伏に富んだ吉備高原に広がる農山村の風景は実に穏やかだ。野焼きの煙がゆるゆるとたなびき、田畑の背後の丘陵地に家々が点在する。広々した空と樹々の緑、この美しい自然と人々の営みが織り成す風景は、一日中眺めていても見飽きない。

参考文献:『山陽新聞サンブックス 備中神楽』(山陽新聞社)

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