卯辰山を背景に浅野川と「梅ノ橋」。浅野川の河原は鏡花の『義血俠血』の舞台となった。

特集 ふるさとへの慕情 三文豪の金沢小景

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金沢を舞台に描いた鏡花の幻想世界

 泉鏡花が生まれたのは、浅野川に近い現在の尾張町界隈で百万石通りの一筋裏手の通りである。尾張町は城下で最も古い町の一つ。鏡花の父は加賀象嵌の腕のいい彫金師、母は加賀藩お抱えの葛野[かどの]流大鼓師[おおつづみし]の娘で、藩政以来の加賀の伝統文化を鏡花は生まれながらに身につけていた。幻影の魔術師といわれ、その独特の作品世界は「夢か、現実[うつつ]か」、情景は常に現実を超えて幻めいている。

 鏡花は生家界隈の様子を『照葉狂言[てりはきょうげん]』でこう描いている。「我が居たる町は、一筋細長く東より西に爪先上がりの小路なり。両側に見好げなる仕舞家のみぞ並びける」。少年時代の遊び場だった久保市乙剣宮[くぼいちおとつるぎぐう]の境内を通り、「暗がり坂」と呼ばれる石段を降りると、そこは細い路地が迷路のようになった主計町の茶屋街。路地を抜け出すと浅野川の堤に出る。

 初期の代表作、「滝の白糸」で知られる『義血俠血[ぎけつきょうけつ]』の舞台は、この浅野川の河原だ。その書き出しは「金沢なる浅野川の磧[かわら]は、宵々毎に納涼の人出の為に熱了せられぬ。…就中大評判[なかんづくおほひゃうばん]、大当[おほあたり]は、滝の白糸が水芸なり。太夫滝の白糸は妙齢十八九の別品にて、其技芸は容色と相称[あひかな]ひて、市中の人気山の如し…」。明治の頃の浅野川は渇水期には瀬もでき、河原には興行の小屋が立ち並び、滝の白糸の水芸もそんな見せ物の一つだった。

 鏡花の作品に繰り返し登場するのは、清楚で麗しく美しい女性や母子、母なき子だ。それは鏡花が満9歳の時に死別した母への思慕だといわれる。そして工芸のように精緻な表現で、美文調の文体は鏡花の特徴だが、同じ浅野川を舞台にした『化鳥[けちょう]』は表題からして幻想的作品だ。浅野川に架かる「中の橋」の橋守として心美しく生きる母と子の物語で、はずみで川に落ちた子が誰かに助けられる。それは母が話していた「大きな五色の翼[はね]があって天上に遊んでいる美しいお姉さん」。その美しいお姉さんを探して梅林をさまよううちに、自分の姿が鳥に見えた…といった、現実とも夢ともつかぬ、あるいは現実と異界とを自由に行き来する鏡花の小説世界が描きだされている。

1903(明治36)年、30歳の泉鏡花。文学を志して18歳で上京、のちに尾崎紅葉の門弟になり紅葉宅の玄関番として住み込んだ。22歳で読売新聞に『義血俠血』を発表。28歳の時に「新小説」に『高野聖』が掲載され、その独自の幻想世界を描いて世に認められていく。(写真提供:藤田三男編集事務所)

彫金師の父、清次が彫った鏡花の迷い子札。
(写真提供:藤田三男編集事務所)

 そんな幻想、異界の鏡花作品を代表するのが『高野聖[こうやひじり]』や『天守物語』である。『高野聖』では妖艶で美しい女性とともに、蛇の道や蛭[ひる]の森、動物に変えられた人間が登場し、『天守物語』では異界と人間界の攻防を描く。その魔物や幻想は、並ぶもののない鏡花の世界である。

日本画家・小村雪岱による、泉鏡花集『由縁文庫』の表紙。鏡花の美的で幻想的な作品世界を見事に表現している。(写真提供:泉鏡花記念館)

泉鏡花の生家跡近くにある久保市乙剣宮の境内は幼い鏡花の遊び場だった。

年上の女の能役者と、それを思慕する若者が主人公である、鏡花が23歳のときの作品『照葉狂言』の口絵。 (写真提供:泉鏡花記念館)

 いずれの作品も金沢が舞台ではないが、その創作のイマジネーションをかき立てたのは鏡花が育った原風景の中にある。あの生家近くの「暗がり坂」の向こう側は、鏡花少年にとって異界への入り口だったに違いない。そして迷路の路地は幻想の迷宮だったのではないだろうか。

 生涯に書き残した作品は約300編、そのうち金沢を舞台にした作品は約50編。絶筆の『縷紅新草[るこうしんそう]』で鏡花は、脳裏に焼きつけるように金沢の町を見渡してこう描くのだった。「あ、いい景色だ。…あひかわらず、海も見える、城も見える」。この風景は卯辰山山麓の蓮昌寺からの眺めである。鏡花は故郷の風景を彫金細工のように言葉を刻んでいく。

 鏡花の足跡をたどって浅野川界隈を散策していると、再び晴れ上がった空は急に曇り、無数の細い銀色の筋が川面に小さな波紋をつくりはじめた。それはあたかも、鏡花の幻想世界に引き込まれたような光景だった。

尾張町の旦那集が通った久保市乙剣宮の境内奥の「暗がり坂」。この石段を下ると主計町茶屋街へと抜ける。

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