太鼓や法螺貝[ほらがい]、鐘などが鳴り響く中、
仙人に率いられた赤鬼、青鬼が
堂内を力強く練り歩き、災厄を払う。
竹林山常勝寺[じょうしょうじ]では、毎年2月11日に
「鬼こそ」と呼ばれる行事が行われる。
一風変わった鬼追い式には
丹波の里人の素朴な信仰が息づいている。
大化年間(645から650年)、インドより渡来した法道仙人によって開基されたと伝わる竹林山常勝寺。「鬼こそ」の舞台となる本堂までは、石段の参道がまっすぐに伸びる。
天台宗の古刹常勝寺は、福知山線谷川駅の南、静かな集落が広がる観音山の麓にある。山田川に架かる普門橋を渡ると、石段の途中に朱塗りの山門が見える。365段あるという苔むした石段を上りきれば、木立に囲まれた厳かな空間に本堂が現れる。無病息災・五穀豊穣を祈願する追儺[ついな]の儀式「鬼こそ」は、この本堂を舞台に繰り広げられる。追儺とは、奈良時代に中国から伝わった悪鬼や厄神を弓矢などで追い払う行事で、「鬼やらい」「鬼走り」などとも呼ばれている。日本では文武天皇の治世の706(慶雲3)年、疫病が流行したことから除災招福を念じて取り入れたのが始まりとされ、平安時代には宮中で盛大に行われていたという。この追儺式が、江戸時代になると炒った大豆をまいて邪気を払う民間習俗と結びつき、今日に伝わる節分祭の豆まき行事となった。
「鬼こそ」は、かつて常勝寺本堂が観音山中にあった頃、たびたび現れる化け物を退治するため、開基である法道仙人[ほうどうせんにん]の教えによって始めたのがその由来と伝わっている。「鬼は外」というように、一般に鬼は追い払われる対象であるが、この地域では法道仙人が鬼を改心させ、その鬼が災難を防いで里人を守ると考えられてきた。鬼役は地元の厄年の男性が厄払いとして務めるのが慣わしであったが、近年では家内安全や病気平癒を祈願する希望者が演じている。
立春を過ぎてもこの時期は寒さが厳しく、雪やみぞれに見舞われる年もあるという。
法会に先立ち、本堂内陣には儀式に用いる直径40cm余りの掛餅が用意され、本尊前には鬼面をはじめ、矛や刀、錫杖[しゃくじょう]など鬼の持ち物が供えられる。午後1時、まず今年1年の国の平穏と里人の無病息災・五穀豊穣を祈願し読経が行われた後、法道仙人に扮した男児の先導で、髪を振り乱し目玉が大きく飛び出た形相の4匹の鬼が登場する。火・水・風・雨を表すともいわれる4鬼は、赤と緑の装束の上から「鬼のヒボ」と呼ばれる白布を体や手足に巻き付けた独特の姿をしている。
一番鬼の赤鬼に松明が手渡され、矛と太刀を持った鬼が掛餅に向かって3回切る動作をする「餅切り」が始まる。続いて、外陣での「火供え」や「火合わせ」など、鬼による厄払いの所作が披露されていく。その後、4番目の青鬼が持つ錫杖の調子に合わせ、多くの参詣者が見守る中を足を踏みならして回廊を巡る。鬼役が堂内を進む間は、僧侶や世話人たちによって法螺貝や太鼓、繞[にょう]、鈸[はち]、木魚などの仏具が騒々しいまでに打ち鳴らされることから、戦場で士気を高めるための太鼓やときの声である「鼓騒[こそう]」が変化し、「鬼こそ」の呼び名になったそうだ。回廊を1周した後、境内に向かって鬼が松明を放り投げ儀式を締めくくる。養蚕が盛んだった昔は、拾った松明は蚕をつまむ箸にしたり、各家々の竈[かまど]にくべるなどしていたという。今では、厄除けに持ち帰ろうとする参詣者が競って松明を奪い合い、境内は熱気と歓声に包まれる。
伝統的民俗芸能として、兵庫県の「ともしびの賞」を受賞した記念の土鈴。
松明持ちを先頭に矛、刀、錫杖持ちの順に4鬼が力強い足どりで回廊を巡り厄を払う。
須弥壇(しゅみだん)に並べ置かれた面や鬼の持ち物。その両側には、掛餅と呼ばれる大きな鏡餅が裏白とともにかけられ、儀式の準備が整えられる。