ふるさとの祭り

神話に由来する勇壮な海の祭り 諸手船(もろたぶね)神事 12月2日(宵祭)・3日/島根県松江市美保関町

2艘の船に乗り込んだ氏子たちが
「ヤア、ヤア」とかけ声も勇ましく
互いに海水をかけ合いながら漕ぎ競う。
島根県美保関[みほのせき]の厳寒の海を舞台に
繰り広げられる諸手船神事は、
古代の伝承・神話を現代へと語り継ぐ
郷土に根ざした祭りである。


かつて入港する船の目印になった「関の五本松」ゆかりの山上からは、美保関の漁港や名峰大山を望むことができる。

国譲り神話を再現した御船神事

美保神社の境内の奥には、大社造りの神殿2棟を並べた比翼大社造り(美保造り)と呼ばれる本殿が控える。

美保関の玄関口では、稲穂を持つ三穂津姫命と、釣り竿を手に鯛を抱く「えびす様」こと事代主神が迎えてくれる。

 島根半島の東端に位置する美保関町は、古くは室町幕府の関所が置かれ、海上交通の要衝として栄えた港町である。天然の入江を活かした弓なりの港の奥には、『出雲国風土記』(733年)に「美保の浜、西に神の社あり」と記された古社、美保神社が鎮座している。天日干しの海産物が並べられた通りから、鳥居をくぐり神門へと進んでいくと、静謐な雰囲気の境内があらわれる。本殿には、三穂津姫命[みほつひめのみこと]と事代主神[ことしろぬしのかみ]の2神が祀られている。古来より海の守り神とされる事代主神は、中世にはえびす神と結びつき、漁業や商売、歌舞音曲の神として信仰を集めた。美保神社は、全国のえびす様の総本宮としても名高い。

 諸手船神事は、『古事記』(712年)に伝えられる「国譲り神話」にちなんだ古代色あふれる祭りで、春に行われる青柴垣[あおふしがき]神事と対をなす美保神社の代表的神事である。祭りでは、天[あま]つ神[かみ]から国譲りを迫られた出雲の大国主神[おおくにぬしのかみ]が、美保の岬で釣りをする息子の事代主神に早船で使者を送ったという神話の件が2艘の船の競争で再現される。国家安泰、五穀豊穣、大漁を祈願して行われ、古くは「八百穂[いやほの]祭」ともいわれた。諸手船は、この神事専用の祭器で、樅[もみ]の丸木をくり抜いて造る「刳舟[くりぶね]」と呼ばれる古代船の原型を残し、国の重要有形民俗文化財に指定されている。

氏子の信仰と誇りが祭りを支える

3日の午前中に行われる新嘗祭。美保神社拝殿にてその年の収穫を感謝する。

新嘗祭ののち正午ごろ、末社・客人社に参向し献饌、巫女舞など一連の例祭を行う。

 諸手船神事は、12月2日の宵祭から始まり、神前に神饌[しんせん]を供え、祝詞や神楽が奉納される。かがり火が焚かれた拝殿には、宮司と裃[かみしも]姿の「當屋[とうや]」らが参列する。「當屋」とは、氏子による祭祀組織の役職のひとつで、他にも「準官[じゅんかん]」「客人當[まろうどとう]」「頭人[とうにん]」などさまざまな役職が決められ、細かなしきたりや心身を清めるなどの潔斎[けっさい]のもとに、神饌作りや飾りなどの準備にも携わっている。氏子が祭りに深く関わり、神職とともにつくりあげているのがこの神事の特徴である。

 3日の当日は、新嘗祭や大国主神を祀る末社・客人社[まろうどしゃ]での祭礼が厳粛に行われ、その後、美保神社に戻り神籤の儀へと移る。宮司が神籤を引き名前を読み上げ、船の舳先に立てる三又の木鉾を持つ「真剣[まっか]持ち」をはじめとする乗船員が、氏子の中から選ばれていく。該当者の辞退などがあった場合、はずれた者たちによる装束の奪い合いが起こり、祭りの熱気が盛り上がっていく。こうして乗船資格を得た氏子たちは、宮灘と呼ばれる船着き場に向かい、2艘の諸手船に9人ずつが分乗する。神事始めの太鼓を合図に両船は対岸の客人社を仰ぐ位置まで漕ぎ進み、遥拝した後、宮灘に向かって3度の船競争が始まる。見どころは、装束姿の氏子たちが互いに激しく海水をかけ合う場面で、身を清める禊ぎの意味を持つ。師走の美保関港に繰り広げられる神話の世界は、荒々しさの中に門前町の人々の深い信仰が息づいている。

諸手船神事の様子が描かれた美保神社の飾り絵馬。

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