山陰本線は京都駅から幡生駅(山口県)を結ぶ全長約680kmの日本最長の路線。
途中、非電化の区間もあり、1両編成で走る区間もある。
鉄道ファンの間では「偉大なるローカル線」と呼ばれたりもするが、沿線の風景は変化に富み、退屈することはない。
今回、倉吉駅(鳥取県)から出雲市駅(島根県)までの
約115kmを旅した。
嫁ヶ島をシルエットに変えて沈む宍道湖の夕陽。
江戸時代から明治時代に建てられた白壁土蔵群。倉吉のかつての繁栄を物語る。
鳥取県の倉吉は「くらしよし」が語源ともいわれ、風情ある町並みが残る。江戸時代、倉吉の名を全国に広めたものが2つあり、米の収穫を飛躍的に高めた「倉吉千刃[せんば]」と木綿地の丈夫な「倉吉絣[かすり]」で、町はたいそう栄えた。旧市街の玉川沿いの白壁土蔵の商家の町並みはその名残で、豊かな倉吉は確かに「暮らし良し」であったのかもしれない。そんな倉吉駅が今回の出発点だ。
倉吉駅を出て最初の見どころは、なんといっても大山の雄姿。「あっ、大山」と車内の方々から弾んだ声が聞こえてくる。雲を巻き込んでそびえる大山の山容はまさに伯耆国[ほうきのくに]の富士山。霊峰と呼ばれる気高さもある。列車が山陰本線最古の御来屋[みくりや]駅を通過すると、車窓に美保湾の海が青く広がり、島根半島も見えてくる。わずかに見える海岸線は白砂の弓ケ浜。巨大な風力発電の風車が列をなして大きな羽根をぐるりぐるりと回している。名和駅から伯耆大山駅の区間は山陰本線のビューポイントの一つだ。大山を杭に、弓ケ浜という綱をかけ、島々を引き寄せてできたのが島根半島…『出雲国風土記』の「国引き神話」に想いを馳せて風景を眺めるのもまた一興である。
やがて列車は米子駅に到着。駅の0番線は、“妖怪のまち”境港[さかいみなと]への出発ホームで、ゲゲゲの鬼太郎やねずみ男らおなじみの妖怪たちが迎えてくれる。北前船の寄港で栄えた水路のある商都の風情を船で楽しむのもよい。米子駅から再び列車に乗り込むと次は安来[やすぎ]駅だ。
安来は、江戸時代には「安来千軒」と安来節に唄われるほどに賑わい、ドジョウすくい踊りとともに有名だが、知る人ぞ知る世界最高級品質の「刃物鋼」の町でもある。「ヤスキハガネ」は世界的なブランドで、カミソリの国内シェアは半数以上を占め、海外の有名メーカーの髭剃り刃も「やすきのハガネ」だそうだ。「濁音は不純物や濁りを連想させるので、私たちは“やすき”と発音しています」と、和鋼博物館の館員さんが教えてくれた。博物館には日本古来の「たたら製鉄」の歴史や技術がくわしく展示されている。
倉吉郷土玩具「はこた人形」。江戸時代から伝わる、無病息災を願った人形。
山陰最古の駅、御来屋駅。木造の駅舎の中には、鉄道遺産の数々が保存されている。
安来にある和鋼博物館。「和鋼(ハガネ)」に関する展示から、体験コーナーまで楽しんで学べる。
松江城は、山陰地方で唯一天守が残る城。遊覧船にゆられて堀めぐりができる。
斐伊川に架かる鉄橋を渡る列車。斐伊川はヤマタノオロチの正体ともいわれる。(直江駅から出雲市駅間)
列車は中海に沿って走る。中海がやがて水路のように狭まってくると松江駅だ。1611(慶長16)年築城の松江城は今年で400年。山陰で唯一残された貴重な天守を持つ城だ。武家屋敷が並ぶ塩見縄手の景観をはじめ、城下町の趣が色濃く残る。観光の人気は遊覧船での堀めぐり。船に揺られて眺める町の景色はまたひと味ちがう。
松江といえば茶の湯と和菓子。緑茶やコーヒーを飲む感覚でどこの家でも気軽に抹茶がふるまわれるそうだ。松江では、京都の和菓子と並び称されるほど、和菓子文化が生活に根づいている。それを城下に奨励したのが、名君といわれた松江藩7代藩主の松平不昧[ふまい]公(治郷)。町の歴史と文化を探索するのも旅の楽しみだ。
宍道湖[しんじこ]の湖面にぽつんと浮かぶ嫁ヶ島。陽が沈み、茜色に湖面が染まると、姑にいじめられた若嫁が島になったと伝わる悲話がいっそうロマンを帯びてくる。岸辺にカメラを構えた人がずらりと並んでいる光景も、宍道湖の夕方の風景といえそうだ。
列車は松江駅を離れ、宍道湖に沿って記紀神話の出雲をめざし、「勾玉[まがたま]の里」の玉造温泉駅に到着。この温泉は古代出雲神話の中で神に見いだされた温泉とされ、地元の人は「神の湯」と呼んでいる。荘原駅で途中下車すると荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡がある。銅剣や銅鐸など弥生時代の青銅器が大量に出土し、日本古代史上の重要な発見として有名な遺跡で、公園として整備されている。直江駅を過ぎると斐伊川[ひいがわ]の鉄橋を渡る。神話のヤマタノオロチは、古代に氾濫を繰り返した暴れ川であった斐伊川を見立てたとの解釈もある。
列車は出雲市駅のホームにゆっくりと入り、到着のアナウンスが今回の旅の終わりを告げる。駅を出て出雲大社に出向くと、御本殿は平成の大遷宮で御仮殿に。2013(平成25)年には本殿遷座祭が行われ、大國主大神は元の御本殿に還る。巨大なしめ縄の下でうやうやしく参拝する。陰暦10月は神在月。11月の初旬の7日間(平成23年は11月6から12日)、諸国の神々が出雲大社にお集まりになるという。そのお迎えの儀式が脈々と続けられている出雲では、今も記紀神話が生きている。鳥取県から島根県まで、スローな気分でゆっくり旅情を楽しむ“大いなるローカル”の旅だった。
松江名物“ぼてぼて茶”は、茶せんでお茶をたてる音の“ぼてぼて”が名の由来だとか。松江城内で茶店を営む永野忠志さんと南海子さんは、「番茶の中にお茶の花や赤飯などの具を入れて一気に食べるのが本来の食べ方」と言う。
玉造温泉は、美肌と健康の湯として1300年の歴史がある。
旧大社駅。純和風建築の駅舎はその役割を終え、今は国の重要文化財となっている。
縁結びの神様で知られる出雲大社。現在、大遷宮のため御本殿は御仮殿に。