参拝者が絶えない法善寺の水掛不動尊。その隣には小説『夫婦善哉』の柳吉と蝶子が立ち寄った、「ぜんざい」店がある。

特集 人々の悲喜劇を活写する 大阪の文学的原風景

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大阪を描ききった『夫婦善哉』は、作之助の原風景。 柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」
と蝶子を誘った。 『夫婦善哉』より

 「年中借金取が出はいりした」。織田作之助の出世作『夫婦善哉』の書き出しだ。「節季[せっき]はむろんまるで毎日のことで、醤油屋、油屋、八百屋、鰯[いわし]屋、乾物屋、炭屋、米屋、家主その他、いずれも厳しい催促だった」と描かれた様子は、作之助が育った上町台地にある天王寺区上汐町の裏長屋の情景でもある。

 小説では、主人公柳吉の女房で気の強いしっかり者の蝶子の実家という設定になっているが、それは作之助自身の原風景でもあった。家は狭い路地の六軒長屋で、露天で魚を商っていた。『夫婦善哉』は作之助の『わが町』を下敷きに、姉である千代の夫婦をモデルにしている。時代は大正の末、作之助27歳の作品だ。上町台地の西縁から小説に登場する千日前や道頓堀、いわゆるミナミの盛り場を見下ろし、坂を下りると松屋町筋、その西は堺筋の日本橋一丁目。柳吉と蝶子が路地裏の2階を間借りして暮らした黒門市場はそこにある。

大阪にこだわり大阪を描き、大阪を主張した織田作之助。『西鶴新論』では「西鶴は大阪の人」といい、虚飾や気取りにとらわれない西鶴に心酔した。(撮影:林忠彦氏/周南市美術博物館蔵)

 『夫婦善哉』は、曽根崎新地のしっかり者の芸者蝶子が、妻子のある安化粧品問屋のたよりない跡取り柳吉に惚れ、駆け落ちして苦労しながらも健気に生きる姿を描く。柳吉は放蕩三昧で借金しては遊興にふけり、蝶子の貯金まで使い込む。蝶子は働き者で、仏壇に花を絶やさず法善寺に蝋燭を寄進するほど律儀な女性。何をさせても続かず、時に行方をくらますような亭主に蝶子は愛想をつかし、その度に柳吉を張り倒し折檻する。

 それでもまた健気に柳吉を支え続ける。それは逞しく生きる大阪の下町の女性の典型だ。作中で描かれる人物も、盛り場の風俗や風情も作之助自身が幼い頃から馴染み親しんだもの。モデルの姉の夫に連れられて盛り場を歩き、青年期にはミナミのネオン街を流浪した。登場する街の空気を克明に描き、そして食い道楽だった柳吉に「うまいもん」の店を並べあげさせる。それはまるでガイドブックのごときである。

天王寺区上汐町で育った作之助がよく通った口縄坂。口縄とは蛇のことで、道がくねくねしていることからその名がある。

『夫婦善哉』の柳吉と蝶子が間借りして暮らした黒門市場。大阪ミナミの料亭などがこの市場で鮮魚など食材を仕入れる。

 小説の終わりに、柳吉が蝶子を法善寺の境内のぜんざい店「夫婦善哉」に誘う。作之助はこう描く。「道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福[おたふく]人形が据えられ、その前に〈めをとぜんざい〉と書いた赤い大提灯[おおぢょうちん]がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった」。その法善寺横丁に日が暮れる。狭い小路に肩を寄せ合う店々に明かりがともり、その光が水を打った石畳に映える。

蝶子は「一人より夫婦の方が良えいうことでっしゃろ」ポンと襟を突き上げると肩が大きく揺れた。 『夫婦善哉』より

 お参りする人がお不動さんに水をかけている。その横に「夫婦善哉」の店はある。注文すると一人前の盆に二杯のぜんざいが出てくる。作中、「一人より夫婦の方が良えいうことでっしゃろ」と蝶子は柳吉に応える。それはいかにもしみじみとした台詞だ。柳吉と蝶子はやがて浄瑠璃に凝り出し、柳吉は蝶子の三味線で素義大会で二等賞をとった。

 作之助は「自分の小説は後年、地誌として意味のあるものになるかもしれない」と言った。それほどに大阪を描き切っている。そしてエッセイ『大阪の恩人』で、西鶴と近松を上方文化の創始者とし、その背景を成した元禄の大坂の町人が恩人だと書いている。

法善寺横丁の佇まい。『夫婦善哉』で描かれた横丁は火事で焼失したが、しみじみとした趣きはいまも昔と変わらない。西側の入口にかかる「法善寺横丁」は故・藤山寛美氏の書。

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