Blue Signal
March 2010 vol.129 
特集
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出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
美味礼讃
特集[古寺に魅せられた思索者の旅 和辻哲郎 古寺巡礼] よみがえる平城京と天平時代を伝える東大寺
斑鳩の里に託した聖徳太子の理想郷
『古寺巡礼』は、哲学者・和辻哲郎が学生だった
大正7年に、奈良の古寺を巡り歩いた旅の印象記である。
大正8年に本が出版されて今日まで、
いったいどれだけ数多くの人がこの本を
バイブルとして奈良を訪れたことだろう。
『古寺巡礼』を手に、
平城京遷都1300年の奈良の古寺を巡った。
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中央に見えるのは、笠を三つ重ねたように見えることから三笠山とも呼ばれる若草山。 その右に連なる三角形の山が春日山。麓には東大寺大仏殿の大屋根が構える。
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 奈良の風景は、日本の国が形づくられた原風景だ。はるかな歴史の彼方を空想させる千年、数百年単位の古さが残されている都市は他にはない。

 和辻哲郎が、奈良の古寺を巡り歩いたのも、残された古建築や仏像や絵画などの古美術を通して、日本人の祖先が東西文化の交流をどう受容したかを空想するためであった。古寺巡礼の目的を和辻は「美術に対してであって、衆生救済の御仏ではない」と記している。奈良に日本の風土の原点を見出し、世界的な視野で建築や仏教美術の造形や様式のなかに、日本人の感性や精神の源流を溯ろうとした。そうして訪れた古寺や仏像にふれて、遠い日本人の美意識に和辻は驚嘆し、深い感銘を受けた。

 奈良はちょうど平城遷都から数えて1300年。都の中心だった平城宮跡に立って、復原された大極殿[だいごくでん]を仰いでいる。威風堂々とそびえ建つ二層の大極殿は、白壁に朱色の柱が美しいコントラストをみせ、金色の巨大な鴟尾[しび]が大屋根の上で黄金の輝きを放っている。西の生駒山に夕陽が隠れようとする瞬間、大極殿は荘厳な光のなかに包まれ、いっそう眩しく崇高な雰囲気を漂わせた。

  薄闇が迫ると辺りの人家は薄暗いベールに覆われ、その風景は1300年前に戻ったような気配になる。大極殿は飛鳥京、藤原京を経て710年に移された平城京の中心だ。京の中央を幅が74mもある朱雀大路が貫き、大小の道で碁盤目状につくられた平城京には、約10万人の人が暮らしていたといわれる。

 周囲をぐるりと見回すと、屏風のように山々が奈良盆地を取り囲んでいる。平城宮のちょうど東に望むのは春日山や、笠を伏せたような山容の若草山(三笠山)だ。その山の麓の森の間に東大寺大仏殿の巨大な大屋根が、鴟尾を金色に輝かせて突き出ている。いにしえの奈良、天平の風景を眺めているだけで想像力がかきたてられる。

 和辻は月の明るい宵にも東大寺を訪れている。南大門の「大きさに驚異の目」を見張り、「偉大な門」と感嘆し、さらに門の壇上に立って、空と同じ蒼い色をした大仏殿の大屋根を望んで「また新しい驚きに襲われた」。そして、夜の境内で、和辻は東大寺創建当時の大伽藍を想像した。聖武天皇の発願[ほつがん]で建立された東大寺は、大仏(盧舎那仏[るしゃなぶつ])を本尊とする国家鎮護の官大寺。南大門をくぐるとそこは瞬く間に天平時代に戻ったような気分になる。

 塀のない境内は夜でも自由に立ち入ることができ、和辻のように人気のない月明かりの静まった境内を歩く。大仏殿から緩い階段を法華堂(三月堂)、開山堂、お水取りで知られる二月堂を経て、裏参道と呼ばれる風情ある土壁の塀に沿って緩やかな坂を下ると、大仏殿の裏手の講堂跡に出る。右に行くと正倉院、まっすぐ進むと戒壇堂。大仏殿をぐるりと一周するこの散策は格別の趣があって、よりいっそう深い古寺の魅力を味わうことができる。

 『古寺巡礼』を手に、想像力を高めて古寺を巡ると、奈良の建造物や仏像ははるか悠久の天平の物語を私たちに語りはじめてくれるに違いない。
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二月堂から大仏殿の裏、講堂跡に至る裏参道。二月堂は修二会(お水取り)で知られ、天平時代から今日まで一度も絶えることなくつづけられている。
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よみがえる平城京と天平時代を伝える東大寺
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晩年の和辻哲郎
(写真提供:姫路文学館)
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夕暮れのもやのなかに静かに佇む古都。大仏殿と、その背後に見えるのは興福寺の五重塔。天平時代とほとんど変わらない風景が広がる。
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