Blue Signal
March 2010 vol.129 
特集
原風景を行く
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
美味礼讃
Essay 出会いの旅
井上 博道
1931年兵庫県生まれ。1954年龍谷大学文学部仏教史学科卒業後、産経新聞大阪本社編集局写真部入社。1966年プロカメラマンとして独立。1987年有限会社 井上企画・幡を設立。1983年から1997年まで大阪芸術大学写真学科勤務、退職後は撮影・創作活動に専念。日本写真家協会会員(JPS)、奈良市美術家協会会員、水門会会員ほか。主な著書として、『東大寺』(中央公論社)、『日本の庭園』、『やまとのかたち・こころ』(講談社)、『万葉集』、『俳句』、『山頭火』、『禅語』(ピエ・ブックス)など。
古代飛鳥の唸り
 三十数年前に撮った飛鳥にある石舞台のフィルムは周辺がレンゲ畑で、その中を遠足らしい小学生が一列に並んで歩いている。現在この位置からの石舞台周辺は深い堀に囲まれ、大きく育った桜樹の並木になり、さらに有刺鉄線を巻いた高い杭で見えなくなっている。しかし、西側の料金所から入場すると、春は桜や唐桃が咲きみだれ、その見事さに観光客は歓声をあげている。

 石舞台の周辺には大駐車場も整備され、地場産の野菜や果物、加工品が並んでいて大いに賑わいを見せている。まさに春、秋の行楽シーズンには飛鳥銀座に変るのである。

 そしてこの石舞台を少し下がり、右手に折れると整備された道が明日香の中腹を北に向かって走っている。無論、人も歩けるが、左手に眺める遠望風景が美しいので、よそ見運転車に注意が必要だ。この道を行くと約4キロほどで飛鳥資料館前の三叉路で終わるが、私は四季を通じて飛鳥に来たら何か絵になる場所なので必ず撮影に立ち寄る。高台であるだけに、飛鳥古墳風景が谷間ごとに違って見え、特に午後の光が最高に美しい。

 途中、「奈良県立万葉文化館」では万葉集に由来する数々の名画や周辺を発掘調査したときの遺跡や遺物を見ることがでる。

 もう一度本道に帰りしばらく走ると、右手に明日香村字八釣という小さな村に出る。万葉集にも矢釣山や八釣川と詠まれている場所だ。

 私自身は明日香村で一番飛鳥らしい景色がこの八釣だと思っている。そしてここでは住民は頑ななまでに古い生活環境を大切に守り続けている。

 少し山手に登って小高い所からカメラを構えてみれば、手前の棚田、村の佇まい、大和三山のひとつ畝傍山、そして二上山、葛城山と、まさに古代飛鳥のロマンを想い起こす決定版といえる景色である。

 昨年暮れ、取材でここよりもさらに高い、車もあえぐような急坂道を登り、地侍だった旧八釣氏の居城跡と伝えられる高台に、最後は徒歩でたどり着いた。

 春日神社とは名ばかりの祠のような神社で、色々いわくのありそうな石造物が散乱していて異様な場所であった。それよりもさらに同行の皆が歓声をあげたのは、ここからの眺望である。眼下に堂々と鎮座している畝傍山、気になる人家などは小さな存在でなんと雄大な景色かと…。
 それから数日後、どうしても大型カメラで再度挑戦したいと思い、気心の知れたカメラマンに同行してもらい、日没を目指して登った。

 当日の夕焼けもそれなりに見事で夢中でシャッターを押し続けた。とうとう残りのフィルムが数カットになっていた時、ふと夜景はどうなるのかと写欲の権化となってしまった。手伝ってもらっている彼に迷惑を顧みずそのことを告げると快諾?

 やがて残照の遠望の下は夜の帳となり、寒さのため街々の明かりが星のように瞬いている。その中央に黒々と巨体のように畝傍山が横たわり、あたかも戦艦大和のように浮いて感じられた。

 この時、何か闇の中からかすかに唸りのような音が聞こえ、自分の耳鳴りのせいかと思った。やがてフィルムも使い果たし、懐中電灯の明かりが闇に溶け込んでしまいそうな坂道を夢中で下った。

 車にたどり着き、とにかくエンジンをかけ、少し暖房が効きはじめた頃、彼が一言、「山が唸ってましたね!」
このページのトップへ