Blue Signal
March 2010 vol.129 
特集
原風景を行く
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
美味礼讃
原風景を行く 桜井線
古代史の舞台を往く「万葉まほろば線」 藤原京から平城京へ遷都されて1300年。 しかし、桜井線の旅は、それよりはるか遠くの時代、 記紀神話の時代にまで溯る。 奈良駅から、古代に文明の十字路だった桜井を経て高田駅へ。 大和盆地をほぼ半周する桜井線の車窓から見えるのは、 日本の原風景といっていい。
 
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青垣の山々と大和造りの家並み、桜井線の車窓にはのどかな風景が広がる。(柳本駅〜巻向駅間)
 
 畝傍山[うねびやま]、天香具山[あまのかぐやま]、耳成山[みみなしやま]の大和三山も、海原の島のように見える。そうして、天理を過ぎるとそこはもう、大和朝廷の発祥の地だ。崇神天皇陵、景行天皇陵のほか、田園地帯のそこここに古墳が点在する。なかでも、歴史的な大発見で話題になった「纒向[まきむく]遺跡」の大規模な遺構は、巻向駅のホームの傍の畑地で発掘された。箸墓[はしはか]古墳はそこからほど近い。
 卑弥呼の墓ではないかと推論されている古墳で、纒向の遺構の発見はそれを裏付けるかもしれないと注目されている。列車はその箸墓古墳の横を走り過ぎる。それは古代史ファンならずとも、なんとも感慨深い光景である。
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寺院風のデザインが目を引く旧奈良駅舎。駅の高架化にともない役割を終えたが、現在は観光案内所として利用されている。
大和し美し…『古事記』のなかの原風景を巡る
「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 大和[やまと]し美[うるわ]し」は、『古事記』に記された倭建命の有名な歌だ。「まほろば」とは「素晴らしい場所」の意で、桜井線はそんなまほろばの風景を車窓の友として走る。
 「万葉まほろば線」と名づけられた桜井線の沿線はことごとく、万葉の記憶をとどめる古代史の舞台である。奈良駅を離れた列車の次の駅は「京終[きょうばて]」。この難読の名の由来は、平城京の南の端ということらしく、次の「帯解[おびとけ]」や「櫟本[いちのもと]」もとっさには読めない。そうこう思案する間に、列車は古事記の世界に誘われるように南下していく。
 車窓の東側に眺めるのは、古事記に詠まれる青垣の山並み。その優美な山々に寄り添うように列車は軽快に走る。西に目を向けると、陽に照らされて輝く大和盆地が視界いっぱいに広がっている。法隆寺のある矢田丘陵、その向こうに生駒山、信貴山、さらに二上山、葛城や金剛の山が屏風のように連なる。まったく晴れ晴れとした豊かな風景だ。
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奈良盆地にぽっこり浮かぶのは、右から耳成山、畝傍山、天香具山の大和三山。遠方に見える山並みは金剛山、葛城山。
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天理駅の東の山中にある石上(いそのかみ)神宮は物部氏の氏神で、日本でも古い歴史を有する神社。天理から桜井までを結ぶ現在の山の辺の道の北の起点ともなっている。
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巻向駅周辺に広がる纏向遺跡からは多くの遺構や出土品が発掘されている。写真手前の土で埋めもどされたところが発掘現場の一部。この遺跡からは、卑弥呼の居館跡ではないかとも言われる大規模な遺構が見つかった。
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大和三山の優美な姿に万葉びとの歌心を想う
 車窓の東には、優雅な姿の三輪山が間近に迫っている。三輪駅を降りるとすぐ、大神[おおみわ]神社への参道だ。山全体が古代から信仰の対象で、その神域を日本最古の道といわれる山の辺の道が南北に続いている。現在の山の辺の道は、天理駅の東にある石上神宮の境内から、青垣の山の麓を辿って桜井駅までおよそ16kmのコースだ。
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奈良盆地東の山裾を縫うように走る山の辺の道は、明るく開放的な風景が続く。また、道沿いのいたる所に万葉の歌碑があり、古代へと思いが駆り立てられる。
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桧原神社近くにある倭建命の歌「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 大和し美し」の歌碑。
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山の辺の道から西方、箸墓古墳を望む。その後方に見えるのは雄岳、雌岳の2つの頂きを持つ二上山。
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日本最古の神社といわれる大神神社は、三輪山そのものを御神体とするため拝殿はあるが本殿は持たない。
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古来から聖なる山、神の山として崇められた三輪山。三輪駅を出るとすぐに大神神社の参道となる。
 桜井は古代、日本の交易の中心地だった。ここを中心に道は東西南北に続き、物資や情報が集まった。仏教伝来の地であり、大陸や朝鮮半島から盛んに人が往来し、さまざまな文化や技術をもたらした。そうして開かれた歴史が6世紀から8世紀におよぶ飛鳥時代。明日香村は全域が明日香特別措置法によって保存・管理されており、足を踏み入れると風景はたちまち古代へと溯る。そこは日本の国家の基礎と文化が形成された舞台だった。
 列車は桜井から、奈良盆地の南端を西へと向かう。蘇我氏が館とした甘樫丘[あまかしのおか]が車窓に見える。背後にひかえる風景は、古代と変わらない万葉の風景だ。香久山駅を過ぎて、南に見えるのは藤原宮跡だ。大和三山のほぼ中心に位置する藤原京は、明日香の後、平城京に遷都されるまでの16年間だけの都だったが、唐の長安に倣った日本で最初の本格的な計画都市だった。平城京や平安京にも劣らない規模だったそうで、現在も発掘調査が続いている。
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香久山駅と畝傍駅の南側にある藤原宮跡。
 大和三山は小さな山だが、どの山も優美で、古代信仰と深く関わる。特に朝もやや夕日に浮かぶその姿は幻想的で、神々しいほどに美しい。万葉びとが歌に詠んだ今も変わらぬこれらの風景そのものが、貴重な歴史的遺産である。畝傍[うねび]駅を出ると、終着駅の高田駅はもう間もなくだ。全行程29.4km、約50分で結ぶ桜井線は、一駅ごとに下車したくなる旅である。
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畝傍駅近くの今井町の風情ある町並み。町内600余軒の民家のうち、500軒が江戸の伝統様式を残す町家で、町を歩くと江戸時代にタイムスリップしたかのようだ。
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1940(昭和15)年に造られ、今も歴史ある佇まいを残す畝傍駅。昭和天皇が橿原神宮の参拝に訪れた際、駅舎内の貴賓室で休憩された。現在は閉鎖されているが、構内には皇族用の貴賓室が今も残っている。
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