Blue Signal
September 2007 vol.114 
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探訪 鉄道遺産
特集[世界に輝いた銀鉱山への旅 石見銀山] 中世ヨーロッパの地図に記された銀山王国
最盛期に20万人が暮らした鉱山町
住人が守りつづけた町並みと暮らし
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龍源寺間歩。江戸時代、代官所が直営する「御直山[おじきやま]」の一つで、現在一般に公開されている唯一の間歩。人の背の高さほどの坑道は約900mつづき、途中に鉱脈を追って縦横に幾つもの坑道が掘られている。
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戦国時代の石見銀山の争奪は毛利氏による石見国の平定で終息し、豊臣家と共同支配した時代を含めて38年間、関ヶ原の戦いまで毛利氏が銀山を管理する。この間、ポルトガルは中国で生糸や陶磁器などを仕入れ、日本で銀に換えるという中継貿易で莫大な利益を得た。日本もまた国際通貨として流通した石見銀によって世界中からさまざまな文物を手に入れることができたのである。

江戸時代に移ると石見銀山はさらに活況を呈した。幕府は石見銀山を天領(直轄地)として代官を置き経営にあたらせた。初代銀山奉行の大久保長安は、それまでの鉱山経営を刷新し、石見銀山により大きな繁栄をもたらせた代官として知られる。探索技術で鉱脈を発見し、間歩を縦横に拓き、効率的な採鉱・精錬で銀の生産量を飛躍的に伸ばした。そんな最盛期の銀山のようすを『石見銀山旧記』は次のように描いている。

「慶長のころより寛永年中大盛、士・稼の人数二十万人、一日米穀を費やす事千五百合、車馬の往来昼夜分かたず、家は家の上に建て、軒は軒の下に連なり、されば銀山近き津々浦々、四方の大船に競い繋ぎ、五穀の類いはいうに不及、和洋の珍宝重宝に至るまで寄り集る事…」。また、「家数二万六千軒、寺百ケ寺」という記述もあって、銀山の繁栄ぶりは容易に想像できる。近年の寺跡調査の結果、文献上に登場するものを加えると139カ寺にも及ぶことが確認された。

「釜屋間歩」の遺構はこの最盛期の間歩で、代官所から採掘を請け負っていた山師は「召し使う者、千余人に及ぶ」と述べ、その財力で備中国(岡山県)の吉備津神社の御釜殿を寄進している。銀山遺跡で最大規模の坑道を誇る「大久保間歩」、公儀経営の「御直[おじき]山」のうちで、鉱石をもっとも多く産出した「龍源寺間歩」もやはり江戸時代に拓かれた。間歩の数は現在までの調査で600以上が確認されている。そんな大小、新旧の間歩が沢筋の斜面のあちこちに口を開けて地中の奧深くに延びている。縦横無尽に掘られた坑道のようすはまるで蟻の巣を想像させる。そして間歩の近くには選鉱場があり、製錬場がある。仙ノ山の頂上近くの広い平坦地にある石銀[いしがね]集落跡は、鉱山で働く大勢の鉱山労働者たちが暮らしていた「石銀千軒」と呼ばれた住居跡だ。

これらの鉱山地区を「銀山柵内[さくのうち]」ともいう。銀山を囲むように柵で囲い、出入り口には「口屋[くちや]」と呼ばれる番所を置いて、厳重に出入りが管理された。江戸時代になって柵外につくられたのが大森地区の町並みで、ここに代官所を設けて行政や銀山経営、通商機能を集約させた。生産の場と経営の場を分化して町をつくったのだ。銀山川にそって家々が建ち並ぶ大森の町並みは、武家屋敷と商家や民家が軒を並べるという大らかさがあり、朱色の石州瓦の旧い家並みの佇まいを残している。

そして大森から、銀を積んだ荷馬車が通った銀山街道が続いている。大内氏の時代は馬路[まじ]の鞆ケ浦の港へ、毛利氏の時代には温泉津の沖泊の港へ、さらに江戸時代には三瓶山の麓を通って中国山地を越え、広島県の三次から尾道へと運ばれた。街道は現存し、鞆ケ浦も沖泊の港も往時の名残をとどめている。江戸時代の日本の銀産出量は世界の3分の1を占め、その相当量が石見銀だといわれる。そんな産業革命以前の産業の全体像が極めて良好に保たれている例は世界でも稀という。
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木々に覆われた「本間歩[ほんまぶ]」。江戸時代以前の古い間歩で、仙ノ山の山頂につづく山道沿いに大小いくつもの間歩が岩盤に口を開けている。これまでの調査では600を超える間歩が確認されている。
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出土谷集落跡は、銀の製錬などに従事する職人たちが暮らしていた生活跡。家々が谷間に密集して建ち並び、「石銀千軒」と呼ばれた。
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沖泊の港には、多数の船が停泊するために舫った「鼻ぐり岩」が海岸に残る。
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『坑道図』。間歩の内部を描いた図面。図中には鉱脈である「鉱」の文字が記され、鉱脈に対してどのように掘削していったかが克明に記されている。(石見銀山資料館蔵)
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『銀山稼方絵巻』(1830〜44年頃)。画面中央には、「水吹子(みずふいご)」と呼ばれるポンプで地下水を汲み出すところを描いている。坑道内の作業風景が克明に描かれている。(中村俊郎氏所蔵)