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総合職採用

施設(土木)

近畿統括本部 施設課 課長 田淵 剛 1995年 入社

Career Step

  1. 1995年岡山支社 岡山保線区 施設係
  2. 1997年広島支社 広島保線区 施設技術係
  3. 1999年本社 施設部 企画課
  4. 2000年公益財団法人 鉄道総合技術研究所(出向)
  5. 2003年本社 施設部 新幹線保線課
  6. 2004年本社 施設部 保線課 主席
  7. 2008年大阪支社 阪和線保線区 区長
  8. 2010年近畿統括本部 天王寺保線区 区長
  9. 2012年本社 施設部 企画課 担当課長
  10. 2014年本社 技術企画部 システムチェンジ 担当課長
  11. 2017年近畿統括本部 施設課 課長

安全性向上に欠かせなかったPCまくらぎの開発。
その実現をめざして鉄道総研に出向し、
研究に取り組む日々。

公益財団法人 鉄道総合技術研究所(出向)

入社6年目、私は鉄道総合技術研究所(以下、鉄道総研)に出向し、研究活動に取り組みました。当社の安全性向上のミッションであった、線路を堅牢にするためのPCまくらぎ(※プレストレスト・コンクリートを用いたまくらぎ)化を合理的に進めるため、PCまくらぎ本体の開発や工事費と敷設本数の関係性などを検証するのが主な目的でした。入社直後から5年間保線管理業務の現場を経験し、勉強もしてきたつもりでしたが、配属された軌道構造研究室では当初、研究員の方の会話や計算にほとんどついていけませんでした。「頑張ってきた5年間はなんだったのか」「こんな高尚な技術力が必要なのか」と、自問自答を繰り返す日々。それを打開してくれたのが、当時の研究室長からの一言でした。
「鉄道総研にはJR各社から代表してきたメンバーが、各社の現場の課題を解決するため互いの技術をぶつけ合っている。それとともに、現場を持っていない鉄道総研のプロパー職員への現場課題を共有してもらう使命をもって取り組んでほしい」。
そんな激励の言葉をいただき、これまでのモヤモヤが晴れ、以降は当社のため鉄道総研のために邁進し、時には休日返上で実験室にこもったことも。研究の成果として、当社の路線にふさわしいPCまくらぎを開発することができ、後に当社へ戻ってから安全性と経済性を追求し、それを線路に設置する工法も考案。作業効率を大幅に向上させることに成功し、その技術はJR各社にも応用され、現在では毎年年間数万本が標準敷設されています。
また、この出向期間中に、台湾新幹線への技術協力に関するプロジェクトに携わる機会にも恵まれました。研究室長と共に台湾の最高学府である台湾大学に派遣され、台湾高鉄の技術陣に対し、実験室で日本の線路構成部品の実地試験を実演。その後、何度も議論を重ね、長い道のりを経て採用に至りました。国際的な仕事に巡り会えたこの体験が、海外鉄道への技術貢献を夢見るきっかけとなり、その後さらに技術に磨きをかけようとする原動力にもなりました。

成長を支えたもの

入社から5年間、まくらぎ交換や分岐器の解体検査といった保線現場業務に従事しました。まくらぎ交換は二人一組みで1本60〜70kgあるまくらぎを取り外し、新しいものを入れるという作業を延々繰り返します。分岐器の検査は夜間に行い、横を貨物列車等が通過するなか、限られた時間内でのスピード感、そして正確性が求められるといった鉄道工事ならではの制約を学習。この現場での日々が、特殊な技能、夜間業務への順応性、雨による災害点検など、“安全な鉄道を守り抜くロマン”を芽生えさせてくれました。それと同時に、「体力勝負の人力仕事を機械化し、将来的には女性でもできる仕事に変えなければならない」と強く思うきっかけにもなりました。実際に、これまでにまくらぎ交換を行う専用機械の開発などに関わってきましたが、その原点となっているのがこの現場時代の体験です。どのプロジェクトに限らず、「やってみなはれ精神」とミッションを必ず実現するという使命感、覚悟が、自身の成長の原動力になっていたように思います。

海底トンネルの線路更新工事に挑戦。
数多くのプロジェクトメンバーに支えられ、
難事業を成し遂げる

本社 施設部 新幹線保線課

鉄道総研への出向から本社に異動となり、施設部 新幹線保線課で山陽新幹線の新関門トンネル内海底部の線路更新工事に取り組みました。当時、山陽新幹線開業から約30年が経過し、特に過酷な腐食環境下にある海底トンネルの劣化が激しく、工事の必要性は部内の共通認識でもありました。一方で、当社の収入の柱である山陽新幹線を部分運休しながら線路更新工事をしていくことはできる限り避けたい。そこで、最終列車後から一番列車までの通常の工事間合い時間で施工を効率良く行い、もっとも劣化が著しかった軌道スラブを交換するプロジェクトを立ち上げました。
予算などの兼ね合いもあり、与えられた期間は1年間。これまでの人の手による施工では一晩で5mの軌道スラブを1枚しか交換できず、効率化を図るために一晩5枚交換できる専用機械の開発をめざしました。それとともに、交換する軌道スラブの寿命を従来の2倍以上のものにするため、高耐久性の材料の開発にも取り組みました。
プロジェクトが動き出してから、上司、当該箇所の現場長、現場施工計画を立てるグループ会社の方々、大型機械を開発する複数社の関係者、高耐久性材料を開発するための鉄道総合技術研究所のさまざまな研究者、材料メーカーの関係者などといった多数のメンバーで構成されるチームを結成しました。それぞれの工程管理を最優先し、周りのご理解と支えを感じながら、各メンバーと二人三脚して取り組んだ結果、当初構想した専用機械や仕様変更した軌道スラブが完成。その後、新関門トンネルの海底部の軌道スラブはすべて機械で交換することができました。プロジェクトをやり遂げられた時の達成感は格別で、協力していただいた多くの仲間たちと喜びを分かち合うことができました。

これまで培ってきた知見をフル活用し、
従来の鉄道システムにはない
新しい仕組みづくりに挑戦

本社 技術企画部 システムチェンジ 担当課長

鉄道車両の自動運転など、従来の鉄道システムにはない新しい仕組みづくりを目的とした技術企画部が設置され、私はシステムチェンジというグループの初代リーダーに任命されました。入社10年目以降から、それまでの経験に基づき、将来の鉄道技術や海外鉄道への技術貢献に関していつかは具体化してみたいと考えていたので、まさに夢が叶った感じでした。在籍中にさまざまなプロジェクトに取り組みましたが、中でも印象に残っているのが、ブラジルでの保線技術支援でのエピソードです。
当社が初めて海外の鉄道事業者へ出資したことを受け、その鉄道会社の企業価値を高めるための方策として、技術支援を行っていく事業計画ができました。その一環として取り組んだのが、リオデジャネイロでの在来線都市鉄道への保線の技術支援です。ただ、ブラジル人の技術者たちとは鉄道、安全、保線、技術のあらゆる面で価値観や考え方が異なり、当初はこちらの話をまともに聞いてもらえませんでした。何カ月も試行錯誤し、状況を打開するために私が取った行動は「自分が相手の中に飛び込み、先ずは相手を知り学ぶ」というアプローチ。ブラジル人の衣食住や文化を体験し、現地の人と対話を重ねる。そのなかで信頼関係を築いていくと、仕事帰りのサッカーや休日の家族との食事に招かれるようになり、仲間が増え、徐々に向こうから私の安全に拘る考えや日本の鉄道のことに興味を示してくれるようになりました。ここまでで約2年かかりましたが、認められた喜びと、得られた成果は大きかったです。何より、技術支援を通じて国の発展に貢献することができ、一人の鉄道員としてこれほどうれしいことはありませんでした。
今後もこれまでの鉄道人生で身に付けた知見を最大限に活かし、国内・国外を問わず、目の前のミッションを達成していくことを通じて、社会に貢献していければと思います。

私の地域への取り組み

今後の鉄道事業のあり方として、単なる交通手段としてだけではなく、「世界一安全で安心」「乗るとワクワクする」「面白い」といったサービスを提供していかなければならないと考えています。そんな、“わざわざ”選択される交通手段としての安全な鉄道を実現するため、保線に関わる技術の側面から今後も貢献し、地域の皆様に還元していければと思います。また「地域」といっても対象が「世界」になりますが、台湾、ブラジルをはじめ、これまでにさまざまな国の鉄道に関する技術支援に関わってきました。そのなかで私自身が学んだのは、技術を提供する側として相手と向き合うのではなく、相手を尊重し、対等な立場でディスカッションしプロジェクトを進めていくことの大切さ。日本の鉄道技術を応用できる国は世界にまだまだたくさんあると思うので、「相手の技術を尊重した上で、足りない部分を日本の技術で補完する」という姿勢を常に忘れず、機会があればもう一度、どこかの国の技術支援にも携わって鉄道の素晴らしさを世界中に伝えていきたいです。