運転士の交代時には運転状況や車両状態などの情報を伝達。安全運行を担う使命とともに、次の運転士へと列車を引き継ぐ。
2024年3月16日、北陸新幹線 金沢駅〜敦賀駅間の約125kmが延伸開業し、北陸3県が新幹線で結ばれた。金沢駅始発の下り一番列車「つるぎ1号」の運転士を務めた新谷は、詰めかけた地域の方々や鉄道ファンの拍手と歓声に見送られ、敦賀に向け新たな行路を拓いた。
乗車前には、行路をはじめ最新の運行状況や担当の車掌、変更事項の有無など、必要な情報をタブレット端末で確認する。
新谷の入社は2000(平成12)年。最初に配属された京都駅では改札業務を担い、観光都市京都を訪れる多くのお客樣の案内に励んだという。そんな駅業務の中で、改札前を通る運転士の姿が目に留まるようになる。「歩き姿も凛として格好よく、運転士を目指すきっかけになりました」。目標に向けて、新谷はまず車掌となって地元の金沢列車区(当時)に異動する。主に北陸本線の普通列車に乗務し、運転士への出発合図や乗降時のドア扱い、車内巡回など、安全運行の一翼を担う車掌として経験を積んだ。
その後、運転士を目指して学科の講習や実車訓練、車両点検や異常時訓練といった技術の習得に励んだ。運転士見習いの時には、指導操縦者のもとで泊[とまり]駅〜福井駅間の普通列車、直江津駅〜米原駅間の特急列車を運転した。「当時の電車は古くて車両ごとに癖があるため、ブレーキ扱いは特に難しく、親方(指導操縦者)に何度も確認しながらブレーキのタイミングを覚えていきました」。初運転は、特急「しらさぎ12号」の金沢駅〜米原駅までの区間。自身の判断だけで列車を操縦するという緊張感の中で、運転士のスタートを切った。
新谷は、金沢新幹線列車区ではリーダー的な存在。路線の特徴や注意点を情報共有し、若手運転士をサポートする。
在来線の運転士時代には、普通列車をはじめ、特急「サンダーバード」、急行「能登」、寝台急行「きたぐに」など、あらゆる車両を運転したという新谷。「運転操縦にはやりがいを感じ、自然豊かな路線を走行することも楽しみでした」と振り返る。乗務員が協力し合い、社員の家族や一般の方を招いて行った職場体験イベントでは、運転士の帽子を被って喜ぶ子どもたちの姿に、仕事への誇りを感じたそうだ。
約10年、在来線運転士としてキャリアを積んだ後、新谷は新幹線運転士を次の目標に見据える。2015(平成27)年の北陸新幹線 金沢駅〜長野駅間の開業の告知が新幹線に目を向けるきっかけになった。在来線に10年間乗務したことも気持ちの区切りになったと話す。新幹線運転士の免許取得を目指して挑んだ見習い期間には、新大阪駅〜博多駅間の山陽新幹線に乗務。ノッチ(アクセル)を上げる正確なタイミングや快適な乗り心地への配慮など、指導操縦者が実践で示す運転技能を“見て覚える”ことに徹したという。この時の学びは、新幹線運転士の道を歩む新谷の今を支える。
出発前の乗務点呼では行路表を確認し、乗務準備が完了したことを報告。安全への意識を高め、運転操縦に臨む。
新谷は、博多新幹線列車区で1年間山陽新幹線に乗務した後、2015(平成27)年からは念願叶って金沢新幹線列車区に所属し、以来、北陸新幹線「W7系」の運転に携わっている。乗務中は常に駅間の適正速度を計算し、安全に、時間通りに目的地に到着するという使命を果たす。「新幹線は自動運転と思われがちですが、定時運転を守ることができるのは、運転士一人ひとりの速度計算やブレーキ扱いの能力によるものです」と自負する。敦賀延伸開業前の訓練運転では、ATC※ブレーキが緩解してから手動で停止するまでに要する時間をデータにまとめ、駅の勾配や線路の曲線といった新線の特徴とともに情報共有を図り、運転士全員で技術の習熟に努めたそうだ。
新谷は、元日の能登半島地震で大きな被害を受けた石川県珠洲市の出身。初列車「つるぎ1号」の運転士に選ばれたと伝えられた時は、自分でいいのかという戸惑いもあったが「被災地の方々に明るいニュースを届けることができれば」と、故郷への想いを強くしたと語る。出身校の恩師や社内の後輩、地元からも激励の声が多く寄せられた。早朝にもかかわらず、沿線から手を振る人々の姿を心に刻み、敦賀までの新線を高速で駆け抜けた。
※ATCとは「Automatic Train Control」の略で、「自動列車制御装置」と呼ばれる鉄道における信号保安装置の一種。