山口県のほぼ中央に位置する湯田温泉。白い狐が傷を癒やしていたという伝説が伝わることから「白狐[びゃっこ]の湯」ともいわれ、その歴史は820年以上を数え、湧出量は今も山陽路随一の湯量を誇る。温泉街には歴史ある老舗をはじめ、日帰り入浴が可能な旅館まであり、癖のない柔らかな湯質が世代を超えて愛されている。
湯田温泉駅では見上げるほど大きな白狐のモニュメントが出迎えてくれる。駅横には足湯が併設され、降りてすぐに浸かることができる。
【山口線「湯田温泉駅」から徒歩約15分】
山口県内に点在する25カ所の酒蔵の酒を扱う原田酒舗。店舗内には、どこで造られているかがひと目でわかる地酒マップが飾られている。
観光施設「狐の足あと」では屋外の「四季の湯」をはじめ、「窓辺の湯」、「言音の湯」の3つの足湯を設置。湯田温泉のマスコットキャラクター「ゆう太」くんと「ゆう子」ちゃんは、温泉客にも地元でも大人気だ。
温泉街には足湯が6カ所。列車を眺めながら浸かれる湯田温泉駅前の足湯では、「SLやまぐち号」の運行日には、迫力ある車体が間近で見られる。
「狐の足あとカフェ」では、「湯田から車で30分セット」など、好みを見つけたり、酒蔵巡りが計画しやすい利き酒セットが人気。他にも白狐をモチーフにした狐のカフェラテや、山口銘菓「ういろう」をトッピングしたミニパフェも。
ニューヨークタイムズ紙が発表した「2024年に行くべき52カ所」において、山口市は世界の旅行地の中で3番目に選ばれた。人混みを避けて古都の雰囲気を満喫できるというのがその理由だ。街の始まりは京の文化や情緒に感銘を受けた長門・周防国の守護 大内弘世が、1360年頃に京都の盆地に似た山口に本拠を移し、京を模した街づくりを行った。以後200年の間、歴代当代も弘世に倣った街づくりを続け、「西の京」と称される。湯田温泉は、当時から豊富な湯が湧き出る土地として知られ、1200(正治[しょうじ]2)年の「周防阿弥陀寺文書[すおうあみだじもんじょ]」には既に「湯田三段」の名が記されていることから、それ以前から存在していたと考えられる。
この地を好んだ先人達も多く、高杉晋作、西郷隆盛、坂本龍馬、伊藤博文らはたびたび滞在し、薩長同盟の密談を交わしていた。俳人の種田山頭火[たねださんとうか]もこの地に移り住み、湯田の湯を詠んだ句を多く残した。
マグマの熱で温められた「火山性温泉」と違い、湯田温泉は地温で温められた地下水が湧き出る「非火山性温泉」。非火山性温泉の中でも約74℃と非常に高温な湯が1日2,000tも湧き出ている。この恵みが枯れないように、湯田温泉では昭和40年代から温泉の集中管理システムを確立した。ホテルや加盟店に配湯されているアルカリ性単純温泉は6つの源泉の湯をミックスしたもので、肌によく馴染むツルッとした柔らかな湯質は、神経痛、関節のこわばり、冷え性、疲労回復など多くの効能を持つ。湯に含まれる化学成分の量が少ないことから「美肌の湯」ともいわれる。
県内25の酒蔵の地酒が揃う「原田酒舗」。湯田温泉出身の詩人 中原中也の生家の建物を借りて、1918(大正7)年から酒屋を始めた。
原田酒舗の岩崎憲さん。「山口の酒は醤油と同じく、少し甘めで口当たりが柔らか。お酒だけで、料理と合わせてと、いろんな表情をお楽しみください」と話す。
地酒選びに迷ったら、原田酒舗の「山口地酒セット」を。(写真左から)世界中で愛される純米大吟醸「獺祭」、料理を選ばず、毎日の晩酌に最適な「雁木」、水害による蔵存続の危機を乗り越えた「東洋美人」は清々しい香りと口あたり。
三方を海に囲まれ、内陸には盆地が広がる山口には名物は数あれど、その独特の自然の利を凝縮した地酒が豊富だ。近年は「獺祭[だっさい]」「東洋美人[とうようびじん]」などに代表される清酒が国内外で人気を博し、近年の清酒の出荷数量も急激に伸びている。数々の山を水源とする軟水に恵まれ、田園地帯では県内産の山田錦のほか、山口県オリジナルの酒米「西都[さいと]の雫[しずく]」も酒造好適米として栽培されている。新酒の品評会では、西都の雫を使った酒の部門も分けて審査が行われる。
毎年秋には、山口の地酒が一堂に会して呑み比べできるほか、地酒に合う料理も楽しめる「湯田温泉酒まつり」が行われている。秋を待たずとも、観光施設「狐の足あと」では、足湯に浸かりながら、山口の地酒の利き酒が楽しめる。
ちょっと甘めで、口当たり柔らかな地酒が山口の名物として、みやげものとしても華を添えてくれる。