エッセイ 出会いの旅

久住昌之

1958年東京都三鷹市生まれ。マンガ家、ミュージシャン。法政大学卒。美學校・絵文字工房で、赤瀬川原平氏に師事。1981年、泉晴紀氏と組んで「泉昌之」名でマンガ家としてデビュー。泉昌之名義では、デビュー作にしてロングセラーの単行本『かっこいいスキヤキ』他、『新さん』『ダンドリくん』など単行本多数。実弟の久住卓也氏と組んだマンガユニット「Q.B.B.」は、1999年『中学生日記』で、第45回文藝春秋漫画賞を受賞。谷口ジロー氏と組んで描いたマンガ『孤独のグルメ』は、2012年にテレビドラマ化された。劇中全ての音楽の制作演奏、脚本監修、最後にレポーターとして出演もしている。

「歩いているだけで、面白い」

 ボクが、旅をする必要がある、と思ったのは、14年前、50歳を過ぎた頃だ。マンガを描いたり文章を書いたり歌を作ったりして、いつの間にか30年がたっていた。気がつきゃ初老だ。

 なにか自分が、忙しくて、出力過多で、入力不足な気がしてきたのだ。このままでは自分の中から、表現したいものが尽き果ててしまうような、不安を覚えた。

 それで、東京から大阪まで散歩することにした。散歩は好きだ。長く歩くことは、ちっとも苦ではない。登山のような、体力勝負の歩きは苦手だが、自分のペースで自由に歩くなら、何時間でも歩ける。でも大阪までは遠すぎる。でもそのくらいしないと、面白くないじゃないか。

 散歩だから地図は見ない。スマホも見ない。左側に海を見て歩けば、名古屋までは行けるだろう。迷ったら、土地の人に聞けばいい。

 日が暮れてきたら、駅を探して、電車で帰ってくる。次は、東京から電車でその駅まで行って、そこからまた歩く。でもルールで自分を縛らない。散歩だから。

 それを一月に一回やって、25回。迷ったり、逆走したりしながら、約2年かかって大阪城の下にたどり着いた。

 最初の2回ぐらいは、疲れた。やはり、無意識に気負いがあり、先を急ぐ気持ちと、なんか面白いネタを見つけようという邪念、仕事癖があった。と、今はわかる。

 それが、大磯のあたりの海岸を歩いている頃から、無心になってきた。ただ歩いているのが、なんともいえず面白いのだ。

 海岸を「海はやっぱりいいなぁ」なんて思いながら歩いていて、ふと振り返ると、歩き始めた場所が、物凄く遠くに見える。それがなんだか、痛快というか、愉快だった。ただ歩いているだけで。

 富士山がだんだん近づいて、横に並んで、後ろに行って、見えなくなる。自分は確かに日本地図の上を移動している。してなかったことをしてる。

 大きな川にぶつかり、遠くに見える橋まで歩き、渡ると「東海道」と書いてある。おお、そうか。

 そこが、舗装された車道であっても、確かに古くからの道に思える不思議。家並みのシルエットが、なにか歴史を帯びて見える。

 長い上り坂にさしかかり、汗をかいて、足も痛くなり、でも地図を見ないから「いつまで続くのかなあ」と思って歩いてる。と、ストンと道が下りになり「あ、峠を越えた」と思う。その時「きっと江戸時代の人も、もっと昔の旅人も、ここで同じことを感じたに違いない」と実感する。時間を超え、足の裏でその人たちと繋がった気がする。彼らと喜びを分かち合っているかのように、うれしい。思わずひとり、笑ってしまう。

 田舎の住宅地で、思いがけぬ時に、塀の間からちょっとだけ青い海が見えたりする。「え?海?」と、突然プレゼントをもらったみたいに、急に元気になってそちらに向かう。なんだろう、元気って。

 昼下がりのあぜ道で、ふと忘れていたことを思い出す。それから、そのことをあれこれ考えて歩く。すると、風景が違って見えてくる。見たことない田畑が懐かしい。

 ポツンと一軒ある古い中華そば屋に入ってすする、一杯のラーメンのおいしさ、ありがたさ。自分の足で歩いてきて、自分で見つけた店だからこその味だ。人にはちょっと説明できない。

 そうやって2年間歩いて、結果何がわかったかというと、何もわからない。「結果」ではないのだ。

 自分自身なんて、どこまでも未知で、入力だの出力だのそんなものは観念だ。「ネタ」なんてツマラナイ考えを捨てれば、住んでるマンションの裏の日陰の道も、美しいし、奇妙だし、面白い。

 人生はいつも、途中だ。目標を持つことも素晴らしいが、目標がなくてもいい。ただ生きていても、無欲になれば楽しい発見は必ずある。それは自分を変える。大阪に着いた時、うれしいよりも寂しかった。すぐまた歩きだしたかった。

 それで今も旅をして、歩いているんです。

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