1877(明治10)年に築造された旧堺燈台。高さは11.3mで、現地に現存する木造洋式灯台として日本最古を誇り、国の史跡に指定されている。

特集 古代の技術を受け継ぐ匠の手業  〈大阪府堺市〉 堺打刃物

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古墳築造より続く金属加工の技術

 木造の瀟洒[しょうしゃ]な白い燈台が夕暮れの中で静かに佇んでいる。茜色に染まっていく燈台を見ようと、堺旧港南波止場にやって来る地元の人々は少なくない。かつて海外との交易で発展した港だが、現在の堺旧港は江戸時代に大和川の付け替えによって一時衰退した後に再開発された港で、今は公園に整備され地域の憩いの場として親しまれている。明治の初頭に造られた六角錐の木造燈台は1968(昭和43)年に役割を終え、堺市のシンボルの一つとして保存されている。

 大阪府の中南部に広がる堺市。「さかい」の地名は摂津[せっつ]、河内[かわち]、和泉[いずみ]の三国の境に位置することに因むという。市内の遺跡からは縄文、弥生時代の土器や銅鐸が多く出土し、仁徳天皇陵をはじめとする4世紀後半から6世紀前半に造られた44基に及ぶ古墳が点在する。往時は100基以上を数えた。その百舌鳥[もず]古墳群は、「百舌鳥・古市[ふるいち]古墳群」として2019(令和1)年に大阪の遺構では初めてユネスコの世界文化遺産に認定された。

堺市内の東西・南北約4kmの範囲に広がる百舌鳥古墳群。世界最大級の規模を誇る仁徳天皇陵古墳をはじめ、44基の古墳が残っている。(写真提供:堺市)

 堺の伝統産業の中でも、職人の手仕事で作る打刃物の原点は、その古墳時代にまで遡るという。古墳の築造にあたり大量の鋤[すき]や鍬[くわ]などの鉄製農耕具が必要となり、全国各地から鉄器づくりの技術集団が集められた。また、平安時代から活躍した河内鋳物師[かわちいもじ]は、東大寺の大仏修復や鎌倉大仏の鋳造にも関わったといわれ、金属を溶かし鋳型に流し込むという加工の技術は、その後の堺の金属生産にも影響を与えたと指摘される。戦国期に入ると、堺は対明貿易や南蛮貿易によって世界各地から人や物資、情報が行き交う自由貿易都市として黄金期を迎え、さまざまな文化がもたらされた。「火縄銃」や「タバコ」などがそれで、堺は日本最大の物流の拠点として栄華を極めていく。種子島より伝わった火縄銃の製法は堺のこれまでの金属加工の技術が活かされ、堺は日本でも有数の鉄砲の生産地となる。北旅籠町[きたはたごちょう]にある「堺鉄砲館」では、かつて実用された火縄銃が公開展示され、実際に手に取ることもできる。ズシリと重みのある鉄砲の重さは約5kg。この鉄砲づくりは分業制で製造され、現代の堺の打刃物づくりに大きな影響を与えた。

『住吉祭礼図屏風』(右隻:部分)。江戸時代初期の住吉祭の様子が描かれ、神輿渡御の行列が堺の町中を練り歩く。先頭を行く鉄砲隊(図右上)や、南蛮人に扮した3人の仮装行列(中央下)など、当時の江戸幕府直轄地としての堺の賑わいが伝わってくる。(堺市博物館所蔵)

堺鉄砲館。地元の有志が築100年ほどの町家を再利用し、堺鉄砲の歴史を伝える。本物の火縄銃が展示され、使い方なども説明している。

2021(令和3)年4月にリニューアルされた「堺刃物ミュージアム」。刃物の歴史や、さまざまな堺打刃物が展示されている。

写真右は、タバコの葉を刻むために作られた現存するタバコ包丁。
(堺刀司 和泉利器製作所所蔵)

堺の和鋏(わばさみ)職人としても研鑽を重ねたフランス出身のエリック・シュヴァリエさん。「日本が好きで、中でも堺の古墳に興味がありました」。現在、エリックさんは堺打刃物の海外需要開拓・コーディネーターとしても活動している。

 堺の包丁づくりは、16世紀後半にポルトガルから伝わったタバコが国内でも栽培され、葉を刻むための国産のタバコ包丁が堺で作られたことに始まる。輸入品よりも切れ味が良く長持ちし、その品質の高さは、江戸幕府直轄地(天領)を統治する堺奉行所が管理し、偽造防止と品質保証である「堺極[さかいきわめ]」の極印[ごくいん]が押されたほどだ。それにより、タバコ包丁づくりは堺の7町だけに製造が許され、販路も全国に広がって堺は経済的に大いに潤った。

 紀州街道沿いの材木町にある「堺刃物ミュージアム」では、堺打刃物のルーツであるタバコ包丁をはじめ、柳刃や出刃などさまざまな形状の包丁とそれらの変遷が展示されている。堺の打刃物に魅せられ、その魅力を世界に伝えようと力を注ぐフランス人のエリック・シュヴァリエさんは「日本の包丁は世界にとても人気です。特に堺の包丁は手入れを怠らなければ、100年以上でも使える。だから、まずは使ってほしい」と話した。

 『堺市史』によると最盛期の明治期には、鉄砲鍛治17軒、農道具鍛冶23軒、上打物鍛治が30軒もあったそうだ。現在の堺には打刃物にたずさわる職人が約100人。特にプロの料理人からは絶大な信頼と支持を得ている。その一方で堺の包丁産業は後継者問題にも直面していて、堺刃物商工業協同組合連合会では、その伝統の継承を守るため行政と連携し、若手育成にも取り組んでいる。

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