再訪!沿線点描 北陸本線 福井駅 〜 金沢駅(福井県・石川県) 

越前から加賀へ 霊峰 白山を車窓に古都、金沢へ

福井駅から金沢駅まで76.7kmー
日本海に沿って白山を眺めつつ、
加賀温泉郷を経て金沢をめざした。

松任駅前に展示されているD51形822号蒸気機関車。

越前の中心、福井駅から大聖寺藩10万石の城下町へ

 「オォォォ」。低いトーンの鳴き声が聞こえてくる。福井駅駅前の巨大なモニュメントはその昔、福井県一帯に生息していたとされる恐竜だ。福井県は国内随一の恐竜化石の産出地で、近年は日本の恐竜研究の中心地として注目を集めている。実物大のモニュメントを後に、福井駅のホームに向かった。

 高架の駅を離れた列車は進路を北に九頭竜川[くずりゅうがわ]を渡り、次の森田駅を過ぎると丸岡駅へ。東側の小高い丘の上に聳える丸岡城は現存する天守閣の中でも古い城郭で、その堂々たる姿が築城400年の歴史を現在に伝えている。そこから少し行けば、大河ドラマ『麒麟がくる』で脚光を浴びる戦国武将 明智光秀ゆかりの称念寺[しょうねんじ]がある。織田信長に仕える以前、光秀は称念寺の門前に寺子屋を建て妻子と共にここで10年の時を過ごした。後の細川ガラシャの生誕地だ。

 列車はさらに北をめざし、竹田川を渡れば芦原温泉[あわらおんせん]駅だ。「関西の奥座敷」で親しまれる、あらわ温泉の玄関口を過ぎ、熊坂トンネルを抜けると石川県へと入る。

恐竜の絵柄がペイントされた福井駅。駅前には、実物大の恐竜モニュメントが展示されている。

1576(天正4)年に信長の命によって柴田勝家の甥であった勝豊が築城した丸岡城。屋根が全て石瓦で葺かれているのも大きな特徴。

大聖寺の時鐘堂は、大聖寺藩二代藩主 前田利明により1667(寛文7)年に建てられた。2003(平成15)年に再建されている。

開窯360年の九谷焼の名品を展示する石川県九谷焼美術館。九谷焼は江戸初期に大聖寺藩の九谷村が発祥の地とされる。加賀の伝統工芸品で、初期のものは古九谷と呼ばれる。

全国の北前船寄港地の中でも一、二を競う富豪村と呼ばれた橋立地区。北前船の船主や船頭、船乗りなどが居住していた。

 福井駅から約30分で大聖寺[だいしょうじ]駅。大聖寺という寺院は、戦火により現在はない。大聖寺は加賀藩前田家が分封した大聖寺藩10万石の城下町で、江戸時代の町絵図が現在に通用する町割りが残っている。町には鉄砲町や鍛冶町など当時の町名が約70も残り、本町の時鐘堂が大聖寺のシンボルとして往時を偲ばせている。ちなみに、加賀の伝統工芸品である九谷焼はこの大聖寺藩初代藩主であった前田利治の命によって誕生した。

 また、市街地より北に離れたところに藩を大きく支えた町がある。北前船で栄華を極めた橋立[はしだて]地区だ。橋立は北前船寄港地の中でも特に巨万の財を成した富豪村だ。船主34名、船頭8名が居を構えた「船主のふるさと」で、藩に多額の献金も行っていた。有力船主の屋敷を開放した「北前船の里資料館」周辺には、赤瓦の豪壮な屋敷や蔵が石畳の通りに並んでいる。映画のセットのような情緒あるこの界隈は、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。

明智光秀ゆかりの称念寺

朝廷や足利将軍家の祈願所となり、朝倉家をはじめ歴代の越前国主から保護された称念寺。新田義貞公墓所でも知られ、義貞が着用したと推定される鎧が保管されている。

称念寺には、光秀の妻 煕子が黒髪を売ることで苦難を乗り切った「黒髪伝説」が伝承される。

 丸岡駅から東側に少し行ったところにある称念寺は、時宗の一遍上人が鎌倉時代に開いた寺院だ。戦国武将の明智光秀が20代後半の頃に妻子と共に住んだとされ、寺には「黒髪伝説」が残る。称念寺住職が朝倉家の家臣と連歌の会を催す機会を設けた際に、光秀の妻 煕[ひろ]子が自慢の黒髪を売り、費用を用立てた。その結果、光秀の朝倉家の士官が叶うという伝承だ。その夫婦愛に感銘を受けた俳人 松尾芭蕉は、「月さびよ 明智が妻の はなしせむ」という歌を残している。また、称念寺は南北朝時代の武将新田義貞の菩提寺でも知られる。

“水の町”美川を経て、“醤油の町”を訪ねる

日本海を臨む手取川の橋梁を渡る列車。(小舞子駅〜美川駅)

 大聖寺駅の隣の加賀温泉駅は、加賀温泉郷(山中温泉、山代温泉、片山津温泉)の玄関口だ。駅北方の柴山潟[しばやまがた]湖畔に広がる片山津温泉は、明治期の大干拓工事により形成された温泉街。湖の先に浮かぶように聳える白山の雄姿は荘厳で、見所の一つだ。

 車窓には白山山系の山陵が続き、動橋[いぶりはし]駅、粟津[あわづ]駅を過ぎる。次の小松駅は、2023(令和5)年に延伸開業する北陸新幹線の「金沢駅〜敦賀駅」間の停車駅で、着々と工事が進行中だ。列車はさらに北上し、能美根上[のみねあがり]駅、小舞子[こまいこ]駅を過ぎる。白山に源を発する手取川を渡れば美川駅だ。

 美川町には、県庁が置かれた歴史がある。旧石川郡美川町に属したことで、1872(明治5)年に「石川県」が誕生した。石川県の変遷とともに、手取川流域の成り立ちなどを現在に伝える石川ルーツ交流館で、観光ボランティアガイドを務める「美川おかえりの会」の西川義正さんは、「ここ美川町は手取川の扇状地で、昔から白山の恩恵を受けて、伏流水が至る所で湧き出ます。数年前の崩落で湧き水は一時枯渇しましたが、町の懸命な努力で復旧しました」と話す。5カ所に点在する湧水所は、「白山美川伏流水群」として町おこしにも活用されている。こんこんと湧く清水の周囲には雑貨や花が彩り、地域の人々に守られている。清水を口に含めば、スーッと心も洗われるように五臓六腑に行き渡る。

柴山潟の先に見える春の雪を頂く白山。湖畔には片山津温泉街が広がる。

「平成の名水百選」に選ばれた白山美川伏流水群の一つ、「お台場の水」。美川町では現在でもポンプアップせず自然に湧き出る水が50カ所以上あるとされている。

かつての県庁跡地に建てられた「石川ルーツ交流館」。学芸員の早松由起子さん(写真右側)は、「石川郡美川町に県庁が置かれた時に県名が、石川県に変更されました。そういう意味でここがルーツです」と話す。西川さん(写真左側)は、白山市観光ボランティアガイド「美川おかえりの会」の会長。

北陸新幹線 小松駅

2023年(令和5)年に、金沢駅〜敦賀駅間の延伸開業が予定される北陸新幹線。小松駅は停車駅として新設される。(画像提供:鉄道・運輸機構)

 北陸新幹線は、2023(令和5)年春に金沢駅〜敦賀駅間の延伸開業をめざし、工事が進んでいる。線路延長は約125km。小松駅は新設される停車駅の一つだ。

 駅舎のデザインイメージは、「慣れ親しんだ白山の雄大な山並みと未来を感じるターミナル」だ。雪化粧した霊峰白山の山並みをモチーフにしている。駅舎内には、加賀の伝統工芸品の九谷焼をはじめ、地場産の木材や石材がふんだんに使われる。ほかの停車駅にもそれぞれのコンセプトが設けられ、加賀温泉駅、芦原温泉駅、福井駅、南越駅(仮称)、そして敦賀駅と新駅が予定されている。

「ヤマト・糀パーク」の糀蔵の中では、醤油、味噌の製造工程やヤマト醤油味噌の歴史を紹介している。ほかにも醤油や味噌の味や色、香りの体験、手がすべすべになる糀手湯体験なども実施している。

加賀では多くの人に飲まれている加賀棒茶。かつて昭和天皇に献上された。

 列車は次の加賀笠間駅を過ぎ、松任[まっとう]駅へ。白山市は江戸時代の女流俳人であった加賀の千代女[ちよじょ]の故郷だ。駅前の「千代女の里俳句館」に立ち寄り、俳句に触れるのもいい。そうして西金沢駅を過ぎ、犀川を渡ると終点の金沢駅だ。

 金沢駅から西方の大野川河口に広がる大野は、18社の醤油メーカーが集まる「醤油の町」だ。最盛期には醤油醸造業者が60軒を数え、全国五大産地の一つで知られる。400年の歴史を誇る大野醤油は加賀料理の味を支えながら、醤油をはじめ味噌や塩糀[こうじ]など「発酵食文化」を伝えようと観光客を誘致している。煙突が目をひく「ヤマト・糀パーク」では、発酵食づくり体験プログラムなども用意され、金沢の新たな観光スポットとして注目されている。また、金沢で愛飲される「加賀棒茶」を土産にするのもいい。上質な茶の茎を焙煎した茶は「令和の大嘗祭[だいじょうさい]」で宮内庁に届けられた一品で、芳ばしい香りが特徴だ。

 福井駅から金沢駅まで見所いっぱいの北陸本線は美しい白山を眺めつつ、加賀の歴史や文化を満喫する旅であった。

加賀の女流俳人、千代女

「千代女の里俳句館」では千代女の数々の作品をはじめ、直筆の掛軸や文台などが展示されている。

松任駅の駅前にある「千代女の里俳句館」。

 手取川扇状地の中央に位置する加賀国松任[まっとう]町(現・白山市)で表具師の娘として生まれた加賀の千代女。千代女は幼い頃から俳諧に親しみ、17歳で芭蕉の弟子の各務支考[かがみしこう]と出会うことでその才能を開花させていく。1763(宝暦13)年には、朝鮮通信使の贈り物に21句の俳句をしたためた掛物や扇子を加賀藩に差し出すなど、その作品は高く評価された。

 「朝顔に 釣瓶とられて もらひ水」は、千代女の代表句として今日に伝えられる。千代女は73歳で没したが、その作品、書簡類は、現在では300点余りが確認されている。

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