
株式会社HiRAKU代表。1981年生まれ、大阪府吹田市出身。大阪府立北野高校、慶応義塾大学理工学部を経て2004年東芝ブレイブルーパスに入団。中・高・大・社会人とラグビー部でキャプテンを経験。高校日本代表、日本代表チームでも主将を務め、通算キャップ数は28。ラグビーワールドカップ2015イングランド大会では歴史的勝利に貢献。2016年現役引退。ビジネス・ブレークスルー大学院入学。2017〜19年東芝コーチを経て東芝退社。TBS系ドラマ『ノーサイド・ゲーム』出演。ラグビースポーツ関連団体の理事を数多く務める。
5歳で吹田ラグビースクールに入り、小学校、中学校と万博公園にある練習場に通っていた。中学では学校のラグビー部にも入部し、初めてキャプテンに。やんちゃだが気の合う仲間ばかりの部活で、楽しく愉快な中学時代を過ごした。高校は大阪府立北野高校へ。いわゆる強豪校ではないが、過去にはラグビーで花園の決勝に進んだこともある。大阪の下町的な繁華街、十三[じゅうそう]という街にあり、近くに有名な「ねぎ焼き」の店がある。練習の後など、時折みんなと腹ごしらえに行くのが楽しみだった。ねぎ焼きはいわば僕たちのソウルフード。大阪を離れてからも、帰省した折に時間があれば食べに寄っている。
高校時代には大阪選抜チームに選ばれ国体で優勝したり、日本代表でキャプテンを務めたり、学外でもレベルの高いラグビーを経験させてもらった。部活引退後の高校3年後半は大阪工業大学附属高校(現:常翔学園高校)のラグビー部の練習に参加していた。大阪駅前から市バスでグラウンドに一人向かうときの、少し心細いような、そんな自分を奮い立たせようとするような、あの気持ちを懐かしく思い出す。
大学進学を機に関東へ来て20年余り。生まれ育った大阪で過ごした月日よりもいつのまにか関東での暮らしの方が長くなっている。が、言葉も、味覚も、気質も、根っこはまぎれもなく関西人だ。ラガーマンには関西出身者が多い。大学でも企業でも周囲に関西の先輩や仲間が多かったこともあり、あまり標準語に感化されることなく過ごしてきた。食べものにしても然り。子どもの頃から母親が極力手作りの食事を作ってくれていたおかげで、だしをきかせた関西風の薄味が舌になじむ。妻は神奈川出身で、正月の雑煮もすき焼きも関東風でおいしいが、時に関西風が恋しくなることもある。東京にもおいしいものはたくさんあるが、大阪に帰ってくるたびに、“安くておいしい”ものがふんだんにあり、大阪の食の豊かさをあらためて実感する。
現役を引退し、昨春、自分の会社を立ち上げ、活動の幅が広がっている。昨年は日本で開催されたラグビーワールドカップ2019のアンバサダーに就任。ラグビーファンを増やすまたとない機会をどう盛り上げるかを考え、思いついたのが「スクラムユニゾン」というプロジェクトだ。ラグビーワールドカップ開催期間中、世界中から来日するラグビーファンや選手たちを、彼らの国の国歌やチームの応援歌でもてなそうというもの。僕自身、試合前に「君が代」を歌うと気持ちが高まり、イギリスではスコットランド代表のアンセム(応援歌)を観客席が一体となって合唱する光景に感動した経験があり、ふとひらめいたアイデアだった。多くの人が賛同してくれ、各地に応援の輪が広がった。大阪ミナミのスポーツバーの会場には僕も駆けつけたが、大阪の人はひときわ大きな声でノリノリに歌ってくれて、おおいに盛り上がった。スクラムユニゾンでは、僕はモーツァルトに似た指揮者“トシツァルト”というキャラクターに扮したりもする。おもしろいことをやりたい、という気持ちが常に根っこにあるのも大阪育ちのなせるわざかもしれない。
今、日本の発酵食文化を「みそ汁カフェ」で広められたらおもしろいなと、構想をあたためている。子どもたちに「ラグビーボールを配る」活動も計画中。ボールが手元にありさえすれば子どもたちは勝手に遊び始めるのでは、というシンプルな発想が原点だ。「ボールにスポンサー名を入れてQRコードもつけては」とか「校庭の芝生化が進めばラグビーもやりやすいのでは」とか、アイデアがどんどん湧いてくる。そんなアイデアとラグビーボールを携え、これからもっといろいろな土地を訪ねたい。今年はぜひ金沢へ。ラグビーではほぼ足を踏み入れることがなかった日本海側は、僕にとって未知のエリアだが、おいしいものとおもしろいことにきっと出会える予感がする。