

八乙女山を正面に見ながら瑞泉寺へと向かう。参道は本町通りを経て八日町通りへと続く。本町通りには鑿や彫刻刀を扱う店、建具屋、木地屋、塗師[ぬし]屋など主に道具類を扱う店が並ぶ。八日町通りは石畳の緩い勾配の坂道で齋賀家[さいがけ]住宅(国登録有形文化財)など、江戸時代の門前町の風情を残している。
八日町通りの特徴は、各家々の表札や、軒先や玄関先の看板だ。木彫ギャラリーのような通りで看板を見て歩くだけでも楽しい。耳を澄ますと、どこかしこから「コン、コン」と鑿を打つ木槌の音がする。「日本の音風景100選」でもある木彫の里、井波の音だ。格子越しに覗くと、職人さんが黙々と木槌をふるっている。
通りには木彫工房が軒を連ねる。全国的に名高い「井波欄間」を制作する職人さんは、格闘するように木槌で鑿を叩く。材料は主にクス、キリ、ケヤキなど。花鳥風月、日本三景、天女など題材はさまざまだが、欄間彫刻では座敷で座る目線を考慮して、奥行きを深く彫るのが特徴で、陰影が出ることで彫刻の表情が豊かになる。
天神像も井波彫刻の定番だ。この地方では男児が生まれると木造の天神像を贈る。高額なものだがそれが習わしで獅子頭も定番。高岡や城端[じょうはな]などの祭りの山車[だし]や曳山[ひきやま]の加飾は井波彫刻の真骨頂で、「岸和田のだんじり」もその例だそうだ。そして今日では、伝統工芸にとどまらないさまざまな題材、分野で創作しているという。

八日町通りを歩くと「コンコン、カッカッ」と鑿を打つ木槌の音、木を削る音が聞こえてくる。どの工房もショーウインドウのように通りから格子越しに職人さんの仕事ぶりを垣間見ることができる。
八日町通りの個性的な木彫の看板は見ているだけで楽しい。龍や虎、大黒様など、家の表札や酒屋、土産物店などの看板も個性的。なぜか表情豊かな猫の木彫があちこちにいて観光客に人気だ。

井波八幡宮の傍にある藤崎さんの工房。井波では数少ない仏師だが、井波彫刻協同組合理事長として「井波の伝統である木彫の技や文化を国内だけでなく、海外にも発信していきたい」と話す。


神戸出身の猪俣さんも今や井波彫刻の伝統を受け継ぐ一人だ。「最高のお手本がすぐ近くにあります。早く技を身に付けて伝統を担えるようになりたいです」。
井波彫刻協同組合の理事長の藤崎秀平(号:秀胤[しゅういん])(60歳)さんはこう話す。「井波彫刻の一番の特徴は、立体的で精緻で躍動感のある高度な技術です。特に欄間では、鑿や彫刻刀を200本以上使い分けて、“透かし深彫り”と言って、木の表と裏の両面から彫刻を施す。これが井波彫刻の高度な技です」。
井波彫刻の最盛期は明治、大正時代。瑞泉寺の再建、各地の祭り彫刻、さらに住宅用欄間、天神像や獅子頭の需要が激増したのもこの時代以後だ。八日町通りに木彫の工房が集積するようになったのもこの頃からで、最盛期には工房が200軒、木彫職人は300人を数えたといわれているが、「現在では150人前後です」。
とはいえ、一つの場所に木彫職人が集住しているというのはやはり日本一の木彫の里だ。藤崎さんは井波生まれ井波育ちで、父親から欄間彫刻を習い、自ら工房を構えてからは主に仏像制作を得意としている。むろん注文に応じて天神像や獅子頭も制作している。
藤崎さんは、井波彫刻の優れた作品を常設展示している井波彫刻総合会館館長に井波木彫刻工芸高等職業訓練校校長も兼務。そんな藤崎さんの工房で木彫修行しているのは神戸出身の猪俣愛(25歳)さん。京都市立芸術大学を卒業後、弟子入りして3年。「週1日、訓練校に通いながら修行しています。学校も修行の年期も5年です」
「将来は木彫作家になりたいです」。そう話す猪俣さんのように、工房で修行する若者は現在10数人。藤崎さんによれば井波彫刻の担い手は今や「地元井波に限らず、県外出身者が少なくありません。井波木彫をめざして全国からやって来た若者が井波で腕を磨き、名工の技を受け継いで伝統を繋いでいるのです」。
砺波平野に陽が沈む夕刻。人の往来が絶えた八日町通りの石畳の坂道は銀色に眩しく輝く。聞こえるのは鑿を打つ槌の音。坂道の先に瑞泉寺がある。敬虔[けいけん]な祈りに満ちた端正な風景はまさに日本の遺産である。

井波彫刻総合会館は世界に誇る木彫刻ミュージアムで、井波彫刻の歴史をはじめ、古い井波彫刻の名品の数々や住宅用欄間、彫刻エレキギターなど現代の井波彫刻などが常設展示してある。彫刻の実演も行っている。